魂と自我と自己肯定感・その1

今日も
目覚めと共になんともいえない孤独感と焦燥感を感じたが
昨日よりははるかにマシな苦しさだった

昨日1日、在宅でデジタルの背景アシスタントをしていたので
「働いた」事で生まれた余裕だろうか?

しかし不快感はまだ残る 

「そうだ、こういう時はプロセスをやろう」と思って
この世は自分の意識が作った仮想現実だ」と自分の脳と意識に真実を告げる、という
アファメーションのプロセスを実践

プロセスは不快感を和らげる働きがあるし
実際に効果も実感してるので、なんだかんだで1年半ほど続けている

プロセスをやった後、寝転がったままセルフ・レイキをしたかったが
焦燥感がまだわずかに残っていて、じっとしてられない気分だったので起き出した 

体を起こすと、今度は何かを思い出す度、考える度に
過去の人間関係で負った傷が次々と浮かび上がってズキズキと心を苛んだ

都会の孤独のキツイ所は
過去のフラッシュ・バックから逃げられない所だと思う
狭い1Rマンションで一人でいると、視野が極端に狭くなって
自分の心の暗部達がリアリティーを持って迫って来る
ついこの間の嫌な事柄~~子供時代のトラウマまでがネガティブな感情を伴いつつ
際限なく脳内で再現されて、ある意味、無限地獄なのだ

「、、、耐えられない」

そう思ってパソコンを開いた
とりあえず、いつものようにSNSを1時間位ザーッと観覧して気持ちを反らした

そうするうちに、ふと
「、、、そういえば、この世が仮想現実だという証拠が欲しい」
という考えが湧いて来て、それ関連の検索をかけた

そうして、いくつかの似たような、スピと量子力学とを掛け合わせた
「それはもう知ってるよ」と言いたくなるような仮想現実理論たちを
ネット記事で観覧してると「自己肯定感」というお馴染みのキーワードにぶつかった

「自己肯定感」

上京して以来、自分が失ったものの代表格みたいな、この言葉
しかも一度失ったら、ちょっとやそっとじゃ取り戻せないものらしい

というか、最近の心理学では
自己肯定感が育まれるのは、世界(親)と自分の関係性が育まれるという
幼少期までらしいので、大人になって低いという事は
幼少期から低かった事になる

そういえば、幼い頃から人前で堂々とできない子供だった
今が最底辺というだけで、自己肯定感は昔から低かったのだろう

で、これは一昨日
最近ハマッてるヒプノ・マスターの書籍を読んでいて衝撃を受けた事だけど

「波動(波長)の高さ=自己肯定感の高さ」

だとマスターは断言していた

確かに、自分や世界を否定していて、波動が高いわけがない!
「自己肯定感=セルフイメージ」だという事は知っていたけど
セルフイメージが低いままだと、波動まで低いのだ、、、!!

この事実を理解すると、やりきれない絶望感が襲って来た

セルフイメージを上げる努力やアファメーションは、今まで散々やってきたけど
毎回一瞬は努力が実り、奇跡のような展開(連載が決まるなど)になったとしても
速攻で元に引き戻されるようなトラウマ級の事件が起きて
なんなら前より苦しくなる事も多く、いっこうに報われない

そして今に至っているのだ、、、

それもこれも、波動が低い(自己肯定感が低い)ゆえの結果なのか?
波動が低いゆえ、私の潜在意識は、それに見合った酷い仮想現実を
刻々と作り出しているのだろうか?

「だとしたら、もう自分ではどうしようもないじゃん、、、」
「現実、傷だらけのセルフ・イメージをどうやって『自分大好き!』
変えられるというんだよ、、、?」

もっと言うと、自分を取り巻く世界に対するイメージも、今の時点で最悪なのだ

毎日毎日「上京する前の一番幸せだったあの頃に戻りたい・人生の道を間違えた」
後ろばっかり向いて後悔する事を止められない私なのだった

「自己肯定感(波動)を上げる事は出来そうに無い、、、」

だって今の自分はドン底で、若くもなければ綺麗でもない
頭は鈍り、身体は神経痛でアチコチ痛み
更年期障害の不快感に苦しみ
一番身近な家族も彼氏も、私にとっては大きな悩みの種なのだ

こんな精神状態で、面白い漫画など描けるはずもない
自信がなく、未来への恐怖に怯え鬱状態で生きてるだけで精一杯の毎日、、、
こんな事を相談できる友達もいない

地獄じゃないか、、、!


なんとか気分を上げようと、様々な事にチャレンジはしてきた
美味しいものを時々食べたり、散歩したり、レイキやったり
瞑想や呼吸法、気功も毎日やってきた
脳内執事や脳内彼氏、脳内母親を作って
自分をチヤホヤと甘やかして貰う作戦も毎日やった

これらはそれなりの効果はあったものの
環境の悪さへの不快感、身体の不快感、圧倒的孤独感、寂しさ、絶望感、
過去のトラウマへのリアリティーには、どうしても負けてしまう
「自分が好き」なんてとても言えない状態で
自己肯定感の土台となる「自己受容」さえ難しかった

ハッキリ言って自分の自我は、私の「ありのまま」を認めていない

それよりも「自己否定の方が大きい」のだった

「自己肯定感を上げる事など無理なのだ、、、」
そう理解して諦めて、シャワーを浴びている時に閃いた!

自我(自分の心)は自己否定が強いので、自己受容さえできないけれど

自我を超えた「魂」だったら肯定出来るのではないか? と


「魂」とは、目には見えない概念のようなものだけど
「ある」と私は思っている
そして「魂=全能の神の分け御霊」だとも思っている

「全能の神」と言うと、どこかにそういう「意識体」があるような気もするが
もしかしたら「宇宙の法則」みたいなものかも知れない

 
とにかく、自分の顕在意識(自我)の奧に
潜在意識をも含んだ「核」となる超純粋なるものがあって
その「核」は、全てのものを産み出した大元である
「世界や全ての次元を含む宇宙の創造の根源」同じ成分であり
しっかりと結び付いていて繋がっている、という自分なりの理解なのだ

「魂だったら肯定できる!!!」


さっそくシャワーを浴びながら「魂を肯定」するアファメーションをやってみた

「魂ちゃんて素晴らしいよね! どんな時も輝いていて本当に素敵!
大好きだよ! 愛してるよ!!」

心の中でそう語りかける言葉を何度か繰り返してみると
なんとなく「イイ感じ」だった

魂ちゃんが胸の奥でポムポムポム!と飛び跳ねて、やっと気付いてくれた事に
喜んでるような感覚さえも薄っっすらと伝わって来て、なんだか妙な納得感があった

自我で自分を褒めたり励ましたりしようとしても、こうはいかない
心のどこかが薄っすらと抵抗して来る
「最高だよ!」 『え、どこが? 常識的に言ったら負け組だよ?』
「いけるよ!」 『どうだろうね?今までだって失敗続きだったんじゃん』
「生きてるだけで素晴らしいよ!」 『今まで食べた動植物達、殺して来た者達の命に
                 報いるだけの生き方してる?してないよね?』

根本的に自己肯定ができていないと
本当の気持ち(自己否定感)を無視して、自己肯定に至るのは難しいのだ

けれど「魂ちゃん」は自我を超えた存在なので、抵抗も無ければ
「全能の神であり、自我をも含む私の全てを作った凄い存在」という納得感だ!


しかも「魂ちゃんを肯定する事は、魂ちゃんが創作した

『私=自我と身体』も同じく肯定する事に繋がる!」のだ!!


私、めっちゃ良いアファメーション・メソッドを発見したかも知れない!!!


この「魂を肯定する」というアファメーションは、まだ本やネット、どこにも私は見た事がない

これをしばらくやってみて、もし効果があったなら
他の苦しんでいる皆さんにも紹介できるメソッドになるぞ!

などと期待してしまう、、、

とりあえず、このメソッドに壁があるとしたら
「魂という概念にはリアリティーが感じにくい」という事だろうか?

今まで数々のメソッドを試して来たけど
リアリティー薄めの概念的なものはやはり
続ける事が難しく、すぐに効果を感じないと飽きてしまう事が多かった

「こんな風に考えてみよう、こう思ってやってみよう」という
「思考を変えて行こう」的な類のものは
現実のリアルな状況・感覚・感情には一瞬しか勝てないのだ

なのでこのメソッドを続けられるとしたら
「自分の魂の存在」をどれだけ信じていられるか?
「魂の役割や働き」をどれだけ理解しているか?
にかかっていると思う


新しいメソッドの発見に、テンションが上がった私は
「この世が仮想現実だという証拠を探す」という
最初の目的はすっかり忘れてしまっていた、、、

これはこれで、また別の記事として書こうと思う

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