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エッセイ|信心深い...

わたしのめいのことである。

幼児のとき言葉を覚えるのが早くて口のよく回る子だったが、当時から仏壇に向かって般若心経をそらんじていた。まだ文字を習っていなかったころのこと。母親が唱えているのを聞いて耳で覚えたものらしい。帰省したわたしは、ようやく話せるようになったばかりの幼な子が誦経ずきょうしているのを目撃しビックリして飛び上がった。

もしや神童?と期待を抱く。しかしその一方で子供らしい、甘い物への飽くなき欲望もある。5歳年上の兄やひいおばあちゃんへの配分などお構いなしでデザートに喰らいついていくときの形相ぎょうそうは、ナントカ明王とでもいうように怖い仏像めいていて、こちらを身震いさせたりもした。

やがて姪は大学、それから就職のため実家を出たが、帰省すればまず仏壇にお供えをして拝む。お供え物は、新幹線に乗るまえ必ず買ってくる。
そうするのは実家だけではないらしい。聞けば母方の祖母を訪れるときも真っ先に向かうのは仏壇の前。そして般若心経を唱えるという。

***

すこし話しは逸れるが、姪は卒業後に就職した会社を辞めて、転職をした。1~2年ほど前だっただろうか。

最初の職場では盆暮れにまとまった休暇がとれず、わたしたちの帰省が重なることは滅多になかった。ところが転職してからはちゃんとシーズンに帰ってこられるようになり、当然ながら実家で顔を合わせる機会も増えた。

わたしはといえば、帰省すれば即座にテレビの前に座りこむだらしなさ。お供え物は買って帰ったり買わなかったり。そんな風にして長年やり過ごしていたのだが、いつものとおりテレビの前でくつろいでいると、姪は「もう仏壇拝んだ?」「早よぅ拝んできて」と、うながしてくる。そういう姪のてまえお供え物も持って帰らないのでは、年長者として恥ずかしい。そういうわけで、近ごろではわたしもお供え物を必ず買って帰るようになった。

姪は、折にふれ東京にやってくる。旅行で来たこともあるし、入社試験の最終面接とか、新入社員研修で来たこともある。

いつだったか定かではないが、一緒に東京大神宮にお参りしたことがあった。
そのとき、やたらと“結婚”が気になるようだった。つまり、良い相手が見つかるかどうか…ということだ。
東京大神宮まえの電柱に、結婚相談所の案内が貼られているのを見つけては、縁起がいいとか悪いとかなにやらにやら。おみくじを引いても“縁談”のところで頭を悩ませている。自分が独身なものでどう返せばよいかわからないわたしは、「結婚してもしなくてもどっちでもいいけど、自立してやっていける仕事をもっておくほうがいいよ」とこたえるのがやっとだった。

***

この年末年始に帰省したとき、駅まで迎えに来てくれた姪は夏よりもずっと可愛らしく、キレイになっていた。20代後半の娘ざかりが眩しすぎる。
「なんか、前よりキュートになったやん!」
結婚が決まって、見ちがえるほど大人っぽくなったとも思う。

2日後には、姪の旦那さんになる人が年末年始をうちで過ごすためにやって来ることになっていた。わたしの兄が呼びつけたということのようだ。

実はこのふた月ほどまえ、挨拶のため初めてうちに来ていたという。人前で決して涙をみせたことのなかった兄が、そのとき泣いてしまったらしい。(ちなみに泣いた話は、わたしは知らないことになっている)。

年の瀬も押し迫り、姪の旦那さんになる彼は、片道4~5時間かけて2度目の道を運転して来た。お酒は飲めない人だそうだ。それとは逆に、うちの姪は見ていて恐ろしくなるほどの酒好きである。
もうナントカ明王のような形相をみせることはない。たとえ意識を失くしていても、表情一つ変えず飲む。それがなおのこと恐ろしい。

慣れない家の年末年始の台所に、彼は「手伝いましょうか?」と声をかけてきてくれた。料理が得意で、いつも姪の分まで作ってくれるそうだ。
紅白も佳境に近づいたころ、兄は「餅つき大会始まるで」といって、うちの商店街の餅つきイベントへと、嬉しそうに彼をかりだしていった。

ふた月まえに泣いたのは、きっと大事にしてくれる人がやって来たことが嬉しくて、安心した部分もあったのだろう。

結婚式は、今年の11月に挙げることに決まった。

***

さて、ゴールデンウィークに親戚の結婚式があって、実家から家族が総出でやってきたときのことだ。
姪が、あの神社にお礼参りに行きたいけど、どこの神社だった?と訊いてきた。

「あの神社…って、東京大神宮のこと? 結婚が決まったお礼に行くん?…」
姪は神仏から受けた恩恵も、人から受けた恩恵も、決して忘れることがない。大酒飲みで、料理もあまり好きではないが、ほんとうに立派なのである。

すると、姪は首を振って否定した。

「ううん。結婚じゃなくて、就職のお礼……。あ、転職した今の職場のほうじゃないで。卒業してすぐに就職した、前の職場のほう。お礼参りに行かないかん」

「…?もう辞めた職場の…? その就職のお礼を、今しに行くん…?」

「うん、そう」
姪は大まじめだ。

そしてほかの家族が、スタバで冷たいキャラメルなんちゃらを飲んでいるあいだに、二人で東京大神宮に並んでお参りをした。

わたしは、何を祈ればよいのかわからなかった。
お参りがすんで、姪は「これでええ」と満足げだった。

…わたしの姪の信心深さは、まごうことなき本物である。

(了)

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