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デジャヴュとジャメヴュ(既視感と未視感)

一度も来たことがない場所なのに、来たことがあるような気がする。初めて会う人なのに、会ったことがあるような気がする。

前世でゆかりのある土地か。はたまは、運命の相手なのか。こんな方向性もステキなのだが。残念ながら、そういった類のものではないようだ。

今回は、既視感と未視感の話。


デジャヴュと呼ばれる、脳で起こる現象の1つ。

夢をみても、どんな夢だったか忘れてしまうことが、誰しもあるだろう。

買ったばかりのソフトクリームを落としてしまう夢をみた。

起きた時には夢の内容を覚えていない。

ある日、現実で、買ったばかりのソフトクリームを落としてしまう。

過去の夢が “脳裏” に浮かんでくる。

みた夢を忘れているため、夢でみた内容と同じなのだと気づかない。

前にも同じことがあったか?こんな経験ははじめてのはずだが?

夢の記憶(ソフトクリームを落としたことがある)と、現実の記憶(ソフトクリームを落としたことはない)で、混乱する。

これが、デジャヴュのメカニズムに関する、仮説の1つである。


他には、眼に関係している説がある。

両の眼が、同じものを多少の時間差で見ることから、回想が生み出されているのだと。

しかし。デジャヴュは聴覚や触覚にも及ぶ。盲目の人もデジャヴュを体験する。

この仮説には、あまり説得力がいかない。


1つの出来事について、脳が2つの「イメージ」をつくることがある。異なる印象を同時にもつ感じで。

このようなことから、前にも同じことがあったか?と、混乱する場合があると。

この仮説には、それなりに納得がいく。


今までに、いくつか、実験も行われている。

私たちが、既視感覚を得ている時。

脳のある領域が、「この状況は経験済みである」という、本来送るべきでないシグナルを送ってしまっている。この誤シグナルにより、前にも起きたことだと、錯覚しはじめる。

このようなことが、脳のスキャンから、見てとれるらしい。


少し寄り道をしよう。「脳内会議」について。

『脳内ポイズンベリー』
ヒロインの脳内会議に焦点をあてたユニークな作品。
話しあう衝動・記憶・理性・ポジティブ・ネガティブ
右:衝動 左上:ポジティブ 左下:記憶
中央下:ネガティブ
決をとる理性

擬人化の対象がおもしろい。


話を戻す。

デジャヴュを感じている時は、前頭部が活発になっている。

わからない状態が解決され、「これははじめての経験だ」という確信をもつと。前頭部は、さっきのはニューロンからのエラーだったーーと、脳全体に知らせる。

このようなことも、脳のスキャンから、見てとれるらしい。


失言を連発してしまう政治家には、注意をうながすような人が、まわりにいないのかもしれないが。

たまに正確性に欠けてしまう側頭葉には、前頭部というサポート役が、しっかりとついているようだ。

何かしらの理由で、まだ投票先が決まっていない人に
「そのまま寝ててくれ」とお願いをした森氏。笑笑
「お話もシュッとしている」7人のデキる女。

個人的には、こんなぐらい、なんとも思わないのだが。ただ、地雷がどこにあるか判断できない・再発防止につとめられないのは、たしかに問題なのかも。

「女の話は長い」→「森さんの話は迂闊」こんな返しで、笑いでも1つとりたい感じ。

尊敬する人物の上位に、浅田真央さんがランクインしている、私としては。「大事な時に必ず転ぶ子」発言だけは、度し難い。

素晴らしい能力をもち、努力家で人格者、ユーモアがありコミュ力も高い。さすが浅田真央さんだ。

彼の場合、もう少し「既視感」でも感じた方が、いいのではないだろうか。


続ける。

ある研究から。疲れている人・よく旅をする人が、デジャヴュを見やすいと、判明したという。

疲労が、ニューロンに、エラー・メッセージを頻発させるため。

旅の方に関しては、詳しい検証はなされていない。けれど、なんとなくわかる気がする。

私は、日本を含め3ヶ国で、生活したことがあるのだが。全く異なる土地なのに、どこか似ている。そんなふうに感じたことが、何度もあるのだ。

不思議なことに。アメリカの郊外やスイスは、度々、私の生まれ故郷に似ていたのだ……。


Jamais vu とは何か。

デジャヴュの反対がジャメヴュである。

デジャヴュと同じく仏語。こちらは、「見たことがない」という意味。

確実に行ったことのある場所、明らかに知っている人や言葉であるにもかかわらず。それらを認識していないような、そんな感覚。


正しく書いたはずの漢字に、突然自信がなくなり、何度も書き直したことはないだろうか。

しかも、何度も書き直している内に、よけいにわからなくなったことはないだろうか。

私の場合、「傘」という字に対して、よく起こる。カサの下に人を何人も書いている内に、こんがらがってくるのだ。1つのカサに、何人入るつもりなんだろうか。


ある実験が行われた。

約100人の学生に、同じ単語を繰り返し書いてもらう。ありふれたものから、あまり一般的でないものまで、12個。奇妙に感じたり、退屈したり、手が痛くなったりしたら。中断してもらう。

以下はその結果。

7割が、奇妙に感じはじめたという理由で、書くのを中断した。

出た。これがジャメヴュなのだ。

見慣れた単語ほど、これが起こりやすいという。「the」これほど一般的で簡単な文字にも、起こった。

被験者たちは口々にこう言った。「見れば見るほど、意味がわからなくなってくる」


連想力の喪失だ。

言葉は、何か奇妙なものになりはじめ。次第に、意味を失っていく。時間の経過とともに、断片化する。

この時に、脳が発するのは、何かが自動化されすぎている・反復されすぎていることを知らせるシグナルなのだ。要するに。現在の処理から脱却すように私たちにうながす、シグナルなのだ。


ジャメヴュは、とても理にかなっている。

私たちの認知システムは、理想的には常に、柔軟性を保たなければならない。

(あえてそうする場合以外)反復作業に長く没頭せず、必要なことに注意を向けなければならない。


言語変換効果というのもある。

ある単語を何度も繰り返すことで、近隣語が活性化する現象だ。

例)「トレース」と数十回聞くと、「ドレス」や「ストレス」にも聞こえ出す。


デジャヴュやジャメヴュの研究は、強迫性障害の理解や治療に役立つかもしれないそうだ。

カギがかかっているかどうか確認すること → 有意義。繰り返し繰り返し確認してしまうこと → 無駄。もしかして、反復を止めるサインが発動していないのだろうかーーなど。


素敵なデンゼル・ワシントンさんが、主人公を演じる『デジャヴ』という映画。

今回のデジャヴュやジャメヴュの話とは、あまりかぶらないのだが。ありそうでない内容で、おもしろい作品だ。

彼は、本当にカッコイイ俳優さんだ。知的で冷静だが、ユーモアがあり情熱的な人。

なんて、自分がこの役者さんの何を知っていると?

どんな役柄の時もこのように感じるのは、これは、私の「デジャヴュ」なのだろうか。