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香辛料残酷物語。大航海残虐時代。

はじめに。テーマはわけてあるので、別々でも楽しめるが。以前書いたこちらを先に読んでもらえると、より楽しいと思う。


今回は、かつてヨーロッパ諸国が、世界の複数の土地を植民地化していたことについて。短くは書けないけれど、大切なことが学べて面白い内容を目指してみる。

まず、前提となる情報をいくつか確認したい。歴史における「植民地」を考える時、辞書的な定義だけでは足りない。時代と場所の違い・段階的な差の把握が必要。↓

植民地:AがBを植民地にすること(BがAの植民地にされること)自体は、古代ギリシャ人の都市国家やローマ帝国などでもあったこと。

大航海時代:15~17世紀。ヨーロッパ世界による、インドへの航路の開拓 や 新大陸への到達。最初はポルトガル、次にスペイン。初期はこの2国。その後、イギリス・フランス・オランダなども参入。

植民地時代
①16世紀~:ヨーロッパが、アフリカ・アジア・アメリカ新大陸へ進出。ポルトガルとスペインが主。
②17世紀~:ヨーロッパ諸国による植民地獲得競争。イギリス・フランス・オランダなども参入。
③18世紀~:植民地の価値がさらに高まり、競争激化。イギリスが主。

※新大陸や発見という表現は全て西洋目線

その頃の船のイメージ (最も豪華なレベル)

今回の話は、大航海時代と植民地時代②まで。


コロンブスの「新大陸発見」より、500年も前の話。

ニューファンドランド島(カナダの東にある島)に、レイフ・エリクソンと約100人の北欧の人々が降り立った。ヴィンランドだ。12~13世紀にアイスランドで書かれていた物語=サガの中に、この話を見つけることができる。

アニメ『ヴィンランド・サガ』に出てくるレイフ。
子供たちにヴィンランドについて語って聞かせる。

サガの研究者の1人が、ニューファンドランド島で、サガの記述と酷似する場所を発見。1960年~本格的な調査が開始された。8つの建物跡が見つかり、北欧の工芸品やルーン文字(ゲルマン民族の文字)が出土した。

彼ら彼女らは定住しなかった。1年後に立ち去った。以降、もう移り住もうとはしなかった。この説が有力である。

遺跡は 「ランス・ オ・メドー」 (草原の入江) と名付けられた。L'Anse-aux-Méduses 仏語と英語の混成語。歴史を考慮したのかなと思える、気が利いた名前。

以前は、ブドウの vín だと考えられていた。近年になり、草原の vin だったのではないかと。こんなにも美しい緑を見ると、そうかもしれないと思う。

「嵐の中で燃え続けるトーチのように
故郷 (家庭の庭) に咲く小さな花のように」

アニメ1期のED曲より。2期やそれ以降、意味をもつ歌詞に思える。握った拳で全てを破壊してきたヴァイキングが、その同じ手で土を耕し、見知らぬ人々と握手を交わすのだから。

説が正しいとして、なぜ立ち去ったのか。
続きを読んで想像してみてほしい。


多くのヨーロッパ人が移住をした。その分、先住民たちは土地を奪われた。土地だけでなく、人権も命も奪われた。あらゆる文化が破壊された。

大航海をしてまでヨーロッパの人々が求めたのは3G:God Gold Glory だ。人間の欲望が、これでもかと詰まった時代だった。これを解説していく。


1453年、オスマン帝国がシルク・ロードを閉鎖。ヨーロッパ人は、アジアからしか得れない品物(主に香辛料)を必要としていた。引き続き手に入れるため、別ルートを検討→海上ルートを模索。

人々は、塩漬けした肉で冬を食いつないでいた。肉の臭み消しに香辛料を使っていた。さらに、スパイス貿易を継続したかったのもある。非常にコスパのよい商売だったため。

ノンフィクションの香辛料残酷物語本。アジアの島々が狙われた。黄金より貴重なスパイスの支配権をめぐるヨーロッパ人の血なまぐさい戦い。16~17世紀。
ヨーロッパ人はクローブとナツメグの特産地を
「香辛料諸島」 と呼んでいた。これはクローブの実。

ポルトガルは、東まわりでインド航路を模索。
コロンブスは、西まわりの方が速いと主張。

ポルトガルのエンリケ王子、通称:航海王子は、航海術の研究所で航海者を育成していた。後に、優れた航海士バスコ・ダ・ガマが、ヨーロッパ人ではじめてインドへ航海する。

ポルトガルの首都にある 「発見のモニュメント」。
舳先に航海王子。立役者なのは間違いないが、
航海王子は航海してない 笑。船酔い説は本当か?

ちなみに、ガマもコロンブスも、『東方見文録』の中に書いてあった「黄金の国ジパング」に興味があった。残念だが、日本ではない可能性もある。マルコ・ポーロが中国で聞いた噂話なので、中国の小さな島かもしれない 。

学者たちの多くは、中間地点に大陸や諸島はないと考えていた。補給せずに渡れる距離ではない、人数分の食糧を積めない。よって、コロンブスの計画の方は自殺行為だと。資金は無駄になると。

陸地から常に大きく離れない航路と違い、コロンブスの方は怖い。乗組員が「限界だ!引き返そう」となった頃、波に流木が。「陸があるぞ!?」となった。

『クリストファー・コロンブスという男性の肖像』
セバスティアーノ・デル・ピオンボ 1519年

コロンブスの幼少期については、ほとんど知られていない。ただ、10代の頃から船乗りではあったようだ。ラテン語・スペイン語・ポルトガル語を学んでいたため、さまざまな文書や地図を読めた。

航海王子のように資金があるわけがなく。コロンブスは、弟と協力して、計画をまとめ上げた。ポルトガル王に資金提供を求めたが、断られ。ジェノバ政府とヴェネツィア政府に提案したが、断られ。スペイン両王フェルディナンド2世とイサベル1世(共同統治者だった)にも、断られた。

なにせ、学者たちから、無駄金になると言われている計画だ。こんな会話を想像してしまう。「君もアフリカからまわって行けばいいじゃないか」「2位じゃダメなんですか」

すみません。私もネタに使いました。

自分がその場にいたら、ぜひ、聞いてみたいことがある。「あなた…もしかして…結局ジパング (例) を見たいだけなんじゃないですか…」コロンブスには、ヤバい意味で、進撃のエレンみを感じる部分がある。

話を元に戻す。
断ったスペインだが、彼を他国に渡したくないとは考えた。よそへ話をもちかけない条件で、生活費と研究費を渡した。最終的には、航海資金も出した。

余談
聞く耳をもったのは、実は、女王の方だけだった。コロンブスとイサベル1世は親密な間柄であった、と主張する学者がいる。危険をかえりみず大海原へとくり出す男だ。魅力的だったのかも。アメリカは秘密の恋が生んだ国??

大胆で戦略的だったイサベル1世。
「イサベルと呼ばれるこのスペインの女王に、500年間この地球上で匹敵する者はいなかった」とうたわれた。

コロンブス
最初の航海:1492~1493年
2回目の航海:1493~1496年
3回目の航海:1498~1500年
4回目の航海:1502~1504年

カリブ海地域へ計4回の航海。バハマ諸島・キューバ・中米・南米・プエルトリコ・ヴァージン諸島・ドミニカ共和国・ハイチなどを探検。

「バハマ諸島」 で検索して出る画像は癒される。
豚さんと泳げるビーチというのがあるらしい。天国か

一番最初に降り立ったのは、バハマ諸島のサン・サルバドル島だった。厳密には大陸周辺諸島の発見だったが、新大陸の発見だったと認識されている。当然、それでいい。

大陸も諸島もないと言われてたが諸島を発見。諸島のすぐ近くに大陸もある。これでアウトはあり得ない。

先住民を数名連れ(誘拐状態)、スペインへ帰還。この回、ゴールドはほぼ見つからなかった。※成果がないとまずかっただろう。

人々は、キリスト教を拡大できる可能性や(イスラム教が勢力を増して焦っていた)、莫大な富を得れる可能性を感じて、興奮した。東洋への航路開拓よりも、新しい土地の開拓に関心をもちはじめた。

コロンブスが、以下のように報告したからだ。

「彼らは武器を持っていません。彼らは利巧なよい使用人になるに違いありません。彼らは簡単にキリスト教徒になると思います」

策士。この時点で、こんなにもわかりやすく、未来はどうなるか決まっていた。

次は、入植希望者・兵士司祭・マスチフ犬をともなって行った。船の数は前回3隻→今回17隻。犬は、先住民を威嚇するのに使った。コロンブスは、設立した植民地の総督になった。


コロンブスが2回目の航海に出ている間、ローマ教皇の仲裁により、スペインとポルトガルに条約が結ばれた。

優先権:スペインはポルトガルよりも先に、新しい土地の征服に取りかかっていい。
所有権:征服できた土地と住民は、スペインのものにしていい。

スペインが先住民に対してとる行動は、絶対的な征服一択になった。そうならないわけがない。ポルトガルが来る前にたくさん獲っておかなきゃ!手っ取り早くヤッちゃおう!


「コンキスタドール」とは、スペイン語で、征服者という意味。

コンキスタドールは、火砲を使った。部族間の対立を利用した。メキシコのアステカ王国や、南アメリカ大陸のインカ帝国が征服された。一方、スペインには、大きな富(主にゴールド)がもたらされた。

先住民の武器は鉄製の鎧に全てはじかれた。
どれほど悲惨な光景だっただろうか。

後続のポルトガルは、スペインに倣った。先住民を初手から殺したり、奴隷にしたりした。こうなるに決まっている。

しかし、実際に彼ら彼女らの命を一番奪ったのは、疫病であった。先住民たちは、ヨーロッパの病に免疫がなかった。例) 天然痘

『ヴィンランド・サガ』
カナダ先住民のキャラクターの未来予知 (?)

フランス人の探検家カルティエが、最初の航海で手に入れたのは、イロコイ族の少年だった。イロコイは、アメリカ北東部の先住民。さまざまな物品と息子を交換することに、親が同意したという。

ちなみに、モノで釣る手をよく使った。一部の部族だけが強力な武器を得ることで、危うくも保たれていた部族間の均衡が崩壊するなどした。※後にアフリカで、黒人が黒人を捕らえて白人に渡すのも、これが原因。

少年から聞き出した話で、ゴールドが豊富な土地であると確信したカルティエは、フランス当局に報告。フランスも、植民地化の流れに参入。


せっかく具体的な部族が出てきたので、原住民の暮らしを見てみる。

イロコイ族は、木組みをニレの樹皮で覆った家に住んでいた。 会議場があった。言い方が難しいが、酋長はリーダーとは違う。上意下達のシステムではない。男は家を建て、狩りと釣りをし、軍事活動に従事した(違う部族との戦いがあった)。女は作物を耕し、木の実や果物を採集し、家事をした。秋に狩りをした後は、長い冬に耐え、春になると、魚を求める家族たちが小川に集まった。

ニレの木
当時のイロコイ族のイメージ

川ではしゃぐ子どもたちが目に浮かぶ。時代・場所・人種・文化、全て違っても、どこかに必ず、共感できる部分がある。

カルティエは、その土地をカナダと名付けた。イロコイ語で「村」を意味する Kanata から。


フランス人は、先住民を奴隷にはしなかった。奴隷にするよりも、狩りで毛皮を取ってきてもらった方が有益だと、判断したため。毛皮をヨーロッパで売った。

この毛皮の取引きがこじれたことから、結局は、争いになってしまった。「ビーバー戦争」。ビーバーの毛皮がメインだったことから。ほっこりするような名前🦫だが、フランス人 対 イロコイ族の血みどろの混戦で、非常に残虐な内容だった。

ビーバー戦争

イギリスは、スペインが手にした富を見ても、植民地獲得に参入しようとしなかった。イギリスはこう考えた。大陸帰りのスペイン船を襲えばよいではないか。積荷を盗む方が楽だし、スペインに損害も与えられると。

この時代、性格悪い人しかいないのか。笑

そんなイギリスも、後々やはり、植民地をもった。調査隊は、先住民が有効的な土地が見つかったと国に報告。処女女王にちなみ、植民地「ヴァージニア」と名付けた。最初の町はジェームズ・タウン。後に州として独立を宣言する「13植民地」のはじまり。※少し、アメリカ合衆国の誕生が見えてきた。


ここではゴールドが見つからなかった。「ヴァージニア会社」は解散。投資家たちは、さぞ、ガッカリしただろう。

ジェームズ・タウンの歴史を残す博物館に、10代の少女の遺骨がある。彼女の名前はジェーン(仮)。補給船の到着を待ちわびる中、ある年の冬、ジェームズ・タウンの飢餓が極限に達した。160人の人々は、ネズミや犬や馬まで食べた。続きを書きたくないが……ジェーン(仮)も食べた。

脳も食べられたジェーン(仮)

どうして、そこまで飢える羽目になったのか。

先住民のポウハタン族は、1度目の入植者に、食糧を分け与えるなどした。入植者の半数は、比較的身分の高い人たちで、野良作業をするのを嫌がった。先住民の支援を受け続けた。ポウハタンの食糧まで危うくなった。

植民地の指導係で船長のジョン・スミスは、こう思った。入植者の関心を金から作物や家畜に変えさせねばならない。2度目の入植者には、ドイツ人・ポーランド人・スロバキア人の職人を含めた。かまどが作られ、ガラス細工が作られ、アメリカ初の工場となった。

スミスは、ジェームズ・タウンの基本理念を決めた。「働かざる者、食うべからず」

たぶん、こんな口論があったはず。
「こんなの聞いてないぞ!ゴールドは一体どこなんだ!」「嫌よ!なんで私が農業なんかしなきゃならないのよ!」「イギリスに帰りたい!!」「船はいつ来るんだ!?」
そしてパニック状態に。

ジェームズ・タウンの家の再現。
引きで見たジェームズ・タウンの再現画像。
おそらく後々のもの。後方に農業の様子が見える。
もしくはタバコ栽培をはじめた頃か。

1622年「ジェームズ・タウンの虐殺 」。ポウハタンが、ジェームズ・タウンや周辺の入植者を殺害。約300人亡くなった。

奇襲攻撃だった。入植者を心配し密告してくれたポウハタンの少年がいたため、備えられた地域もあった。

酋長が虐殺を指示したと疑われた。しかし、ポウハタンの酋長は、イロコイ同様、代表して決断したり全体に命令したりしない。そういうシステムではない。

さらに。酋長の人柄がわかるエピソード。スミスに銃を突きつけられたことも、人質にされたこともあったが、暴力で返さなかった。話しあいを続けていた。キリスト教にも興味を示し、相手の言葉を理解しようとしていた。

『ヴィンランド・サガ』の1コマ
ジェームズ・タウンと関係ないがイメージとして。
『ヴィンランド・サガ』の1コマ

以前に住処を追われたポウハタンが、復讐としてやったことだったと判明。

とんでもなく後味の悪い結末なのだが
事件後に持たれた話しあいで、入植者とポウハタンは和解した。ところが、入植者側が配った “和平を祝う酒” に、毒が盛られていた。250人ほど亡くなった。一部の入植者が独断で、復讐としてやったことだった。

入植者の家へ走り、攻撃計画があることを急いで伝えた少年は、死んでいないこととする。
心が折れるから。


この後は、ジェームズ・タウンでタバコの栽培が成功したことをきっかけに、アメリカで大規模農園 (プランテーション) ビジネスがはじまる。働き手を必要としたことから、奴隷貿易がはじまる。次の、強欲で残忍で壮大な物語の幕開けだ。

途中、コロンブスにエレンみを感じる部分があると書いた。キリスト教徒増えますよ奴隷手に入りますよ、と営業をかけた彼に。自分の夢のために世界はどうなってもよかった?なんとなくそんな印象を受ける。

3回の連続もの。こちらが続きだ。