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心のコップ(2010年)

心のコップが一杯の状態で、それが外に向かうと躁病的な症状、それが内に向かうと鬱病的な症状が表れるように思えた。
心のコップが一杯な状態で、それ以上を遮断しようとした状態になると機械的(理性に偏り)に、一杯なものを吐き出そうとしている状態になると獣的(感情に偏り)になるように思えた。
心のコップが一杯の状態で理性的であろうとすると、躁にも鬱にもなり難くはなるけれども冷徹になり易くなる。
心のコップが一杯の状態で理性が弱まると、溜め込んだものが外へと向かい獣的になったり躁病的になる。外へと向かわず内へ向かうと、自責が増えて鬱病的になる。

重度の鬱病的な状態で気遣いを受けると、それに対してそれ以上の気遣いをしてしまい、心のコップのカサが増してしまう事があった。
似たような境遇である人同士が接する事によって共感などが得られてカサが減り安らぎを得られる事もあるけれども、心のコップが一杯な人同士によって、お互いに余裕が無い為かえって悪化を招く事もあるなと思った。

生活の乱れ、運動不足、栄養不足などからセロトニンのバランスが崩れ各種症状に繋がる、という話しがあるけれども、心のコップが一杯になる事によって防衛本能のようなものから、あえてセロトニンのバランスを崩す事があるのかも知れない?
セロトニンのバランスを崩しドーパミンやノルアドレナリンを過剰に分泌する事で心のコップが一杯なのを助ける作用が働いているように思えた。
また、依存症の要因と思われるオピオイドを求める行為は心のコップが一杯なのを発散したりする為に刺激を求めていくけれども、その刺激によってカサが増してしまい依存が深まる結果を招き易くなるように思えた。
依存中は依存をしている自覚が無く過ぎ去ってから振り返って気付くという事が多い。それを防ぐ為に好ましいストレス発散と、ストレスと上手に付き合うフィルターのようなものがあると改善へと繋がっていくように思えた。
難しい点は頭では解っていても求めてしまう時があるのと(麻薬(脳内)ならでは?)フィルターの扱いによっては、差別、排他、排除的などの言動や行動を生み出してしまう事があるように思えた。
心のコップが一杯であるのを解消する為に再演技化(リイナクトメント)を試みる事があるけれども、成功体験が無い事や不成功防衛によって刺激(結果的にオピオイド)を得る為に、再演技化と不成功防衛を繰り返していき悪循環の罠に嵌ってしまう事があるように思えた。

心のコップが一杯になる

ストレス過多で鬱になる(躁鬱は大抵が鬱から始まるようなので)

鬱期に心のコップのカサが増える

躁転して一杯になった心のコップが外へと向かう

躁期の出来事で心のコップが一杯になる

鬱転する

心のコップのカサを減らす取り組みがうまくいくと躁鬱の繰り返しが起き難くなるんじゃないかな?と思った。
それに対して重要そうに思えるのが
・セルフモニタリング(心のコップのカサを確認)
・上手なストレス解消(心のコップのカサを減らす)
・ストレス緩和フィルター(心のコップのカサを溜めない)
の三つが必要なんじゃないかな?と思った。

セロトニンが安定している時を仮に100とした場合
20+30+10のストレスが3つ重なっても大丈夫。

セロトニンが不安定な時を仮に50とした場合
20+30+10のストレスが3つ重なると症状が表れる。

セロトニンが安定している時で100であったとしても
過度激動や感覚過敏などが影響し、ストレスが3つ重なると
20×2+30×2+10×2で120となり症状が表れる。

セロトニン安定
100-(20+30+10)=40
余裕があり大丈夫

セロトニン不安定
50-(20+30+10)=-10
症状が出る

セロトニン安定だけれども、過度激動や感覚過敏
100-(20×2+30×2+10×2)=-20
症状が出る

セロトニンの安定が大事との事らしいけれども生活習慣が崩れるのってストレスが影響しているようにも思えるから、健康の為に~と色々話しはあるけれどもストレスを断つ方が先決に思える。
鬱が酷い時って、健康の為に~の行動などが出来ないし。または、同時進行かな?過度激動や感覚過敏があると癒しも倍増されるような…?なので、沈み易く浮き易い?ラピッドサイクラーとも呼ぶ?

自我同一性拡散などで自覚症状が低い時
100-(20+30+10)-((30+10+20))=-20

(())の部分を自覚していないので実感はまだ40の余裕があると自覚している。けれども、実際は-20であって結果的に無理をしていた、という状況があった。

パチスロ依存について問題視される事があるけれども自分は作業的な感じにつまらなさを覚え自分には合わないと思った。
大当たりした時にドーパミンが出るらしく、人によっては負けた時にオピオイドが出るかも知れない?
そう仮定すると脳内麻薬による覚醒剤(ドーパミン)と阿片(オピオイド)の二重中毒のような感じなのかも知れない?
社会的に心の闇が増えていくとドーパミンやオピオイドを刺激するものが流行るように思われる。それがある一定のところまでいくとセロトニンを求め出すよう切り替わるように思われる。


2010年11月06日 記

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