うちばやししゅん

写真を中心とした視覚文化史の研究家。著書『写真の物語ーイメージ・メイキングの400年史…

うちばやししゅん

写真を中心とした視覚文化史の研究家。著書『写真の物語ーイメージ・メイキングの400年史』『絵画に焦がれた写真』/『日本カメラ』に展覧会レヴュー「写真展が物語る」連載中。写真史・写真評論のための親愛なるエレメンツをひと所に集める炊き込みご飯みたいなブログです。

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最近の記事

写真による新たな都市論へ? 時津剛 『BEHIND THE BLUE』

ここ数年、路上生活者の「ブルーシートの家」を見かけなくなった気がする。それはわたしの”言われてみれば”な感想でもあり、これから論じようとしている作品の根本でもある。 「ブルーシートの家」は見かけなくなったのではなく、都心部から排除され、いわば不可視化されているに過ぎない。 そのことは、時津剛の写真集『BEHIND THE BLUE』の表紙と、新宿のニコンサロンで開催中の同名の個展のフライヤーに使われている同作のキーイメージが雄弁に物語っている。 学生時代からワンカップ酒を

    • モノを見る人と写真を見る人の“pile”− 松元康明の2つのシリーズをめぐって

       松元康明は、高校卒業後にツアーコンダクターになることを志してアメリカに留学した。卒業間近になって必要単位が足りないことに気がつき、ヨガか写真の授業かの履修という選択に直面し、後者を選んだことで写真の道に進むことになったという。その後、サンフランシスコ・アート・インスティテュートの写真学科に再入学し、リンダ・コナー(Linda Conner)に師事して写真家としての道をあゆみ始めることとなる。  30代からIPAインターナショナル・フォトアワードのプロフェッショナル・ファイ

      • かくも白き雪 大西廣先生を憶う

        夕方大学の恩師から久しぶりに電話がかかってきた。 電車に乗っていたので取れなかったが、とっさに虫の知らせを感じた。なぜか、ぼくはこういうのがよくわかってしまう。コールバックすると、大学院で大変に薫陶をうけた大西廣先生がお亡くなりになったという。 大西先生は、東大の助手からニューヨークのメトロポリタン美術館の学芸員になられてお勤めののち、国文学研究資料館整理閲覧部長、武蔵大学の教授を務められたと記憶している。退官ののち、日芸の非常勤講師になられて、ぼくはそこで先生に出会った

        • ③MoMAのチーフキュレーターたちージョン・シャーカフスキーを中心に

          おしえて! うちばやしせんせい! 第3回、MoMAのチーフキュレーターたちで使用した書籍の紹介です まずは初代チーフキュレーター、ボーモント・ニューホールから。たまに「バーモント・ニューホール」といっている人がいますが、ボーモントです。カレーじゃないので。。。 ニューホールは1937年に〈Photography: 1839-1937〉という写真史の約100年を振り返る展覧会をキュレーションします。このカタログは稀覯本ですが、同展をもとに1949年に『The History

        写真による新たな都市論へ? 時津剛 『BEHIND THE BLUE』

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        • 展覧会・写真集にまつわるエッセー
          3本
        • 【ホームルーム】おしえて うちばやしせんせい
          2本
        • 写真史の稀書・奇書・寄所
          9本
        • コロナショックから写真文化を考える
          4本

        記事

          第1回 木村伊兵衛のこと

          みなさんこんにちは 先週から、youtubeチャンネル「いわなびとん」で、「写真家のための写真史アップデート おしえてうちばやしせんせい」というコンテンツがはじまりました この人はすごいといわれているけど、なんだかそのすごさの核心がよくわからないなという写真家について、経歴や代表作の背景を見ていこうというコーナーです 第一回は木村伊兵衛 いわなびとんにアーカイブされているのでこちらからご覧いただけます ただ、機器トラブル等で途中何度か止まったりしちゃったのでその点申

          第1回 木村伊兵衛のこと

          憧れの鏡に映る閉じられた扉ー幸本紗奈〈Other mementos〉をめぐって

          鍵を閉めて、慣れないベットの端に座ってしばらくじっとしていると、とりとめもなく浮遊していた視線は鏡ごしにドアの把手をとらえて落ちついた。ものの輪郭が溶け、だんだんと視界がぼやけていく。その時ふと、いつか見た夢の一片がたちまち鮮やかに蘇るような、あるいは初めてものごのに在り方に気づいてしまったような、妙な感覚がこみ上げた。(幸本紗奈「この中のある写真について」)   幸本紗奈の〈Other mementos〉の独特のピントワークと光は、いちど見ると忘れられない。あの少し仄

          憧れの鏡に映る閉じられた扉ー幸本紗奈〈Other mementos〉をめぐって

          「きわめて宙吊りなわたし」であることの歓びー山端拓哉〈ロシア語日記〉展

          相手は、自分の二の腕を反対の手で軽く触れるジェスチャーをしながらいった。 「BCGの跡がない。きっとやっていないんだろう。この書類をもってクレテイユ病院に行きなさい。ただで注射してもらえるから」 だれにも分かってもらえないと思うけれど、僕がフランスに留学して初めて嬉しいと思ったことばだ。山端拓哉の個展〈ロシア語日記〉を見て最初に思ったのは、この歓びに少し似ているということだ。 この、BCGのことに至る経緯。 革命暦ならフロレアル(花月、ようは4月下旬のこと)になるとい

          「きわめて宙吊りなわたし」であることの歓びー山端拓哉〈ロシア語日記〉展

          写真術公表の日・もうひとつの物語ー日本のライカ事始め

           8月19日。1839年のこの日、パリの学士院で世界初の実用的写真術ダゲレオタイプが公表された。  ダゲレオタイプは1835年くらいにはある程度像が出るまでの完成度に高められているし、1838年くらいからは技術の完成度よりも、どうマネタイズするかが焦点になっていたので、技術自体は39年当時にはすでに「発明」されていた。  けれど、この公表をもってフランス政府はダゲールらからこの技術を国有特許として買い取って、イギリスをのぞく世界中で使用できるようにしたわけだ。つまり、8月

          写真術公表の日・もうひとつの物語ー日本のライカ事始め

          写真史の稀書・奇書・寄所(9)前編ー『芸術を学ぶもののための自然主義写真』初版

            海外で調査をしていくなかで、イギリスでは何度か苦いおもいをしたことがある。あるときは最悪といっていい調査旅行だった。  パリ北駅からユーロスターに乗ってロンドンはセント・パンクラス駅にむかう。北駅1階(日本でいう2階)で出国すると、そのすぐ先にイギリスのイミグレーションがある(つまり、パリのユーロスターのホームはイギリス)。  入国管理官に「なんのための渡航か?」と聞かれる。「研究活動だ」ー「この渡航はあなたの金でいくのか、それとも別の誰かからの出資か?」ー「わたしの

          写真史の稀書・奇書・寄所(9)前編ー『芸術を学ぶもののための自然主義写真』初版

          「#あなたの一押し写真集」企画・審査雑感

           ツイッターを使っていない人にはなんのことやらといった感じだろうけれど、「#あなたの一押し写真集」というハッシュタグをつけてもらってみなさんの一押し写真集を募るという企画をやっていました。  前回、一万円で始める写真史という企画を、若手写真研究者のはいあたんさん、1-Zoh(播磨屋市蔵)さんとやったことがあり、かなりいろいろなご意見や資料の紹介があって楽しいと同時に勉強になった。その時から、次は写真集企画をと話していたのがようやく今回実現になり、こんどは審査をするというので

          「#あなたの一押し写真集」企画・審査雑感

          写真史の稀書・奇書・寄所(8)ー『A History and Handbook of Photography』

           本の佇まいに直結する装丁を見ていくのも、稀書を収集する上でのたのしみだ。19世紀のなかばのフランスとイギリスを例にとって比べてみると、フランスではほとんどが革装丁またはコーナーと背だけ革の半革装がおおい。  というのも、フランスでは本はカルトナージュと言われる暫定的なペーパーバックとして売られ、購入者は自分でルリユール(装丁家)のところにもっていって装丁をしてもらう。つまり、おなじ本でもおなじ装丁のものはない。ドレスは所有者のお気に召すまま。  いっぽう、イギリスではク

          写真史の稀書・奇書・寄所(8)ー『A History and Handbook of Photography』

          磯辺餅・エルメスの箱・ボルドーの椅子

           ケトルの編集部が「わたしの大好き」でエッセイを募集しているという。ツイッターでフォロワーの方が、「#わたしの大好き」でnoteを書きませんかという呼びかけがあったので、書いてみようかとおもう。  僕は写真が大好きだ。といっても、写真評論を仕事にしているくらいだから当たり前だろうといわれそうなので、写真を入り口にして別のことを書いてみたい。  今日、森岡書店銀座店に伊藤昊(いとう・こう)さんの展示を見に行って、ああ、僕は銀座が好きなんだなと思った。幼い頃から銀座の記憶がた

          磯辺餅・エルメスの箱・ボルドーの椅子

          「#本物に触れてほしい」の重みーコロナショックから写真文化を考える

           好きなものはあとにとっておくタイプかどうか・・・僕はあとにとっておくタイプである。けれど、それで損もする。コロナショックも例外ではない。楽しみにとっておいた東京都美術館のヴィルヘルム・ハマースホイ展が、会期終了を待つことなく閉幕してしまったのだ。  以降、ほとんどすべての美術館が休館(もしくは実質的に移動制限で行かれない)。さらに緊急事態宣言が発出されたことで、こんどは設営がすんでいるのに1日もひらかれずに会期をまっとうする展覧会まで出てきてしまった。  うそかまことか

          「#本物に触れてほしい」の重みーコロナショックから写真文化を考える

          写真史の稀書・奇書・寄所(7)ー『開明奇談写真之仇討』滑稽堂版

           本書『開明奇談写真之仇討』は、写真史研究の泰斗・小沢健志さんによれば日本で最初の写真を題材にした小説だという。  奥付に「五明楼玉輔 口演」とあるように、もともとは落語の演目として成立したようだ。「聴き比べ落語名作選」のサイトの解題によると、明治19年に玉輔によって全40段が20回にわたって口演されたとあるが、国立国会図書館の蔵書検索システム「NDL online」によれば滑稽堂版は明治16〜17年刊とされているから、実際には3年くらい遡れるということだろうか。(*NDL

          写真史の稀書・奇書・寄所(7)ー『開明奇談写真之仇討』滑稽堂版

          写真史の稀書・奇書・寄所(6)ー『開化都々逸』

           大学院のとき、同じ美術史ゼミの仲間と集中的に川柳や都々逸について調べたことがある。「サラリーマン川柳」やペットボトルのお茶のラベルのそれのように、川柳や都々逸は元来そのときどきの世相や流行りものを反映している。(*川柳は五・七・五で都々逸は七・七・七・五。後者は笑点などのお題としておなじみだ)  なにを隠そう、明治時代はは写真もその立派な題材で、『明治文化全集』などを中心にあさっただけでも、"写真都々逸"はゆうに100首は見つけられる。都々逸は江戸ユーモアの真骨頂のひとつ

          写真史の稀書・奇書・寄所(6)ー『開化都々逸』

          写真史の稀書・奇書・寄所(5)ーパリ万博と写真の総決算

           フランスでは1855年以来、1867年、1878年、1889年、1900年と、19世紀後半におよそ12年周期で5回の万博が開かれた。1889年にはエッフェル塔が登場し、1900年はもっとも規模も大きく華やかな万博だった。  1851年に初めてロンドンで万博が開かれたとき、それは産業革命の成果を世界に誇示する文字どおりの産業フェアだったが、これにしてやられたと感じたフランス皇帝ナポレオン3世は、次回はぜひわが国で!と声明を発する。そして、当初からこのプランにはロンドン万博に

          写真史の稀書・奇書・寄所(5)ーパリ万博と写真の総決算