「きわめて宙吊りなわたし」であることの歓びー山端拓哉〈ロシア語日記〉展

相手は、自分の二の腕を反対の手で軽く触れるジェスチャーをしながらいった。

「BCGの跡がない。きっとやっていないんだろう。この書類をもってクレテイユ病院に行きなさい。ただで注射してもらえるから」

だれにも分かってもらえないと思うけれど、僕がフランスに留学して初めて嬉しいと思ったことばだ。山端拓哉の個展〈ロシア語日記〉を見て最初に思ったのは、この歓びに少し似ているということだ。

この、BCGのことに至る経緯。

革命暦ならフロレアル(花月、ようは4月下旬のこと)になるというのに、パリはとても寒い年だった。

まだフランス語には慣れないし、だれかの紹介で日本人コミュニティに顔をだせば、やたらとフランス人を夫に持つ日本人とチューツマ(現地駐在員の妻のこと)がパリは自分のもの、自分はもはや日本人ではない特別な人種とでもいわんばかりにいばっている、なんだか触れたくない側面に接した頃だ(べつに、ロンドンでもミラノでもニューヨークでもおんなじなんだろうけれど)。

ようやくさくらんぼの実る頃、移民局から、健康診断を受けに来いと手紙がくる。フランスのヴィザは、駐日大使館で交付されるものはいわば半券。この健康診断をパスして、ようやく完全有効化となる。その問診で医者にいわれたことばである。

この国で消費税くらいしか税金をはらっていない人間にBCGをやってくれる(ちなみに僕はBCGをやっていないのではなくて、まったく跡が残らなかっただけ)?アロカシオン(住宅補助)までくれる? チューツマじゃなくても、なんだか自分が少し特別になったようなきぶんだ。フランス国民・永住権者じゃないけれど、旅行者ともちがう権利を持っている、この宙ぶらりんなかんじ。(誤解のないように言っておくと、宙ぶらりんというのはネガティヴな意味ではなく、なにかの帰属すべきものや不可抗の社会的な重力に縛られない特殊な状態ということである)

留学生はもっと特殊な宙吊り感があるんじゃないだろうか。その国に馴染むためにことばを学んで、その国の友達ができて、旅行者じゃ行かないようなところに行ったり、旅行くらいじゃ得られないディープで、でもあまりに日常すぎる体験をしたり、別に知らなくてもいいけど知ってしまう不思議なカルチャーギャップを感じたり。
ちなみに、彼の写真に写っているスイカの切り方はロシアの作法なのか、、、ちょっと驚いた。

〈ロシア語日記〉のDMの表現に掘られたプールの写真(上の写真上段真ん中)を見て、不思議な感じがするのは山端のそういう体験に基づいたものであることを語っている。「ロシア日記」ではなくて「ロシア語日記」なのは、そういう山端の宙ぶらりんな立場の中で得られた歓びにあふれた日常が綴られるというステートメントだと解釈できる。

山端が留学していたウラジオストクとは、どうやっていくんだろう?新潟からフェリーか? 中国から電車か。その場合、北朝鮮は通過するんだろうか? ウラジオストクとはそういう地理感だ。この街にもしっかり見えるプーチンの顔写真が不思議に思えるくらいの極東だ。日本とも、歴史的にいろいろと関係のある土地である。欲をいえば、そういう歴史的な日本とウラジオストクの関係がもう少し感じたいと個人的には思った。

しかし、日露平和交流事業でもなければ仕事でもない彼の個人的なロシア語留学の日記なのだから、それを求めたらいけないのかもしれない。あらゆる重力から開放された遊泳状態だからこそ、〈ロシア語日記〉は観光写真でもドキュメンタリーでもないバランスで成立している。
今後、この作品にさらに厚みを増していこうとするとき、山端はこの宙吊り感を維持できるのだろうか(あるいはするのだろうか)? どのように変化していくのかも楽しみだ。

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