「#あなたの一押し写真集」企画・審査雑感

 ツイッターを使っていない人にはなんのことやらといった感じだろうけれど、「#あなたの一押し写真集」というハッシュタグをつけてもらってみなさんの一押し写真集を募るという企画をやっていました。

 前回、一万円で始める写真史という企画を、若手写真研究者のはいあたんさん、1-Zoh(播磨屋市蔵)さんとやったことがあり、かなりいろいろなご意見や資料の紹介があって楽しいと同時に勉強になった。その時から、次は写真集企画をと話していたのがようやく今回実現になり、こんどは審査をするというので、前回の企画の流れを踏襲するかたちで僕も審査員の一人に。

 以下、いくつかのセクションにわけて、僕のこの企画にかかわるスタンスをお話しさせていただこうとおもう。

1. 「写真集とはなにか」をめぐって

以前「一万円で写真史」企画をやったときに感じたのは、こちらは「遠足のおかし100円までルール」さながら、思い入れのある本を書籍定価合計一万円ギリギリまで目一杯に選書することに悦に入っていたのだが、ある方が「一万円でJCIIメンバーになれば同フォトサロンの過去の図録を好きなだけもらえる」というツイートをされ、度肝を抜かれたことがあった。というか、写真史のありかたも多様だなと。

 そこで、審査員のあいだで今回の規約について話し合ったとき、僕は写真集の定義などいらないのではないかと主張した。もちろん、学術的に写真集を定義する必要がある局面というのはある。でも、写真集の定義をこの企画でいちいち規定するのはなにかもったいない気がしたのだ。結果、この意見はほか2名の審査員にもご理解いただき、写真集、zine、図録、アンソロジー、私家本なんでも来てほしいという気持ちでいた。極端にいえば、画集だって絵の写真集じゃんというツワモノくらい出てきていいんじゃないかという期待さえしていた。

 そういう背景があったので、僕自身も、フォトエッセイ集や、まだ発売されていない写真集まで一押しした(もちろんどれも好きなものだし、篠山紀信の『男の死』(10月発売)にかんしては、本当に人生を通して出版を心待ちにしていたものである)。

2. 企画の途中経過

 僕もコンテストの期間なかばで少し企画趣旨を認識してもらうためにツイートしたのだが、写真集紹介企画ではあるのだが、とうぜん、審査員だって見たことのない写真集が出てくるわけである。そうなると、審査の基準は写真集というよりも、紹介者の文章に比重が大きくなってくる。

  これについては、書影を貼り付けることで作者、書名の省略アリにしたのだけど、企画参加意思のチケットである「#あなたの一押し写真集」のタグが11文字なので、ツイッターの文字上限140字から引くと129文字となる、かなりシビアな短文センスを要するコンテストになるわけだ。

 たとえば、「世界初のネガ・ポジ法であるカロタイプを用いて、その発明者のウィリアム・ヘンリー・フォックス・トルボットが1842年から6分冊で発行した世界最初の写真集『自然の鉛筆』」と長い説明を入れると、これで80字超。残り50文字弱で自分の押しポイント・美学を語るのはなかなかの神経戦になる。短文の美学に頼った企画ではあるにしてもこれは辛いので、書影による情報省略を推奨した。

 ところで、僕個人としては出版社やアーティストが宣伝に使ってくれても面白いなと目論んでいたのだが、それは見られなかった。ただ、かわりにわりと目に見えるひとつの流れができたのが「わたしの人生を変えた一冊」という紹介のしかた。あとで審査評の再録にもくわしく書いているが、写真集が主題でありメディウムになっているのは、写真集を見る歓びを他人と共有するためのおもしろいあり方ではないだろうか。

 「なぜこの写真集を推すか」が自身の人生と重なっているのは面白かったし、こういった流れが感じ取れるようになってからというもの、不参戦だが傍聴という人のツイートも見られるようになってきた。観客あっての試合である。傍観者が見ているだけで楽しいとか友達の誕生日に贈る写真集を選びたいと発信してくれたのは、企画者の一人として嬉しいことだった。

3. 僕の審査ポイントと、選出したものの紹介

 僕が選んだのも、おもにこの"人生を変えた一冊"が多く、この手の参加者は推しのポイントが明確な傾向があった。個人的には知り合いが推してくる写真集もはやり投稿者の人となりを含めて知っているから興味深かったのだが、やはりそれは僕の審査からは対象外にしないと桜を見る会になってしまうので、今回は断腸の思いで選外。

 ただここで一冊紹介させてもらえるならば、僕の読書の盟友・きのした ゆう が推してきた『RFK』はなかなか衝撃だった。

https://twitter.com/kinopitasai/status/1263870317761490945

 JFKの弟で、やはり凶弾に倒れたロバートを葬送する車の中から、沿道を撮ったという現実の事件を扱った壮大なシークエンス。気になる。これは早く実際に見てみたい。もうひとつ気になったのが、審査員のひとり1-zoh氏が推した一冊『Sapeurs: Gentlemen of Bocongo』。僕自身もスーツスタイルが好きで、伊達男のファッションを集成した『Gentlemens』みたいなアンソロジーは何冊かもっている。だけど、注目したいのは、この写真集は一人のジェントルマン(複数形じゃない)を追っている写真集らしいことだ。

 ありがたいことに、田んぼのヴィレッジさんが同じものを紹介してくれたいたので、わたしはその方に一票いれている。

 もうひとつ、これはうちばやし賞にしようか超超悩んだ写真集について。∀M∀ZIHSI !ɥsoɹ!Hカメラ6/15-21ことし_の_さくら@小伝馬町Roo_nee247さんご紹介のアンソロジーのような、図録のような非売品書籍である。「いいちこ」の広告の歴史集成だ。

 これは、歴代いいちこの広告をあつめた展覧会が2017年に開催され、たしか全国数カ所で開催されたと記憶しているが、僕もはるばる大宮まで観に行って、入場無料で、しかもその時に配っていたのがこの写真集。

 はっきり言って、いいちこの広告は毎回駅で見かけると、持って帰りたくなる(笑)。淺井慎平さんが長らく写真を担当されているのだが、浅井さんが駆け出しのころに担当したデルモンテのポスターは、本当に盗まれまくったらしい。以来、雰囲気広告というひとつのジャンルというかモデルを確立していくのだが、いいちこがまさにそれである。

 季節ごとにロケに行き、1ヶ月ごとに広告がかわる。いってみれば風景写真の一種なのかもしれないが、ロケ地をみても、「ストロベリー・フィールズ」とか「ミッドウェー」とか、なんとなく近代史のなかで物語のあった場所が選ばれていたりする。こういうのも、個人的にはいいちこという酒から離れたもうひとつの、いわば「いいちこ広告」という一つの確固たるジャンルの物語を掻き立てているように感じる。

 ある意味、巨大ないいちこの交通広告全部盗みたい欲を一冊にまとめてくれた夢のような写真集だと僕は思っているのだが、これが一押しに上がってきたのはとてもうれしい。

 ただ、僕自身この写真集が好きすぎて少し審査の方向性を見誤っていたなというか、審査の方向性(=企画趣旨)は、あくまで賞は参加してくださった方の「ことば」に贈るものなのである。

 紹介される写真集の良さ、あるいは見てみたさにばかり気がいってしまうのですが、そういえば、この企画はどちらかといえば写真集紹介をテーマにした小さな文学賞のような趣旨でもあったな、と。なので、後者に特化したかたちで選ばせていただいた。

 当初、審査は審査員3人が3点級、2点級、1点級をそれぞれ3点選び、その合計得点できめる予定だった。ところが、この9点×3人の27点がまったく被らなかった。それだけ多くの投稿をいただいた証でもあろう。そこで、3点級9点の中から大賞選出という合議方式に変更したのだが、先に述べたような、文章の美しさ、面白さや、投稿者の経験とのかかわりは重視されるべきだという点を共有し、当初わたしが審査員賞として選出し、評を書いたタツタさんの投稿をそのまま大賞とすることになった。

 以下、審査評ははいあさんのnoteで公表したものの再録。

 正直にいって、とても悩みました(笑) 紹介される写真集の良さ、あるいは見てみたさにばかり気がいってしまうのですが、そういえば、この企画はどちらかといえば写真集紹介をテーマにした小さな文学賞のような趣旨でもあったな、と。なので、後者に特化したかたちで選ばせていただきました。
 まず当該の写真集について少しふれておくと、わたしはどちらかといえばこの写真集には批判的な考えをもっています。というのは、「死ぬまでに見たい」系は美術書ではわりと見かけますが、それは絵画が美術品として、モノとしてきちんと成立しているという前提があります。いいかえれば、《モナ・リザ》ならルーヴルへ、《ゲルニカ》ならソフィア王妃芸術センターへわざわざ旅をしても見に行きたいというニュアンスを含んでいます。それは「死ぬまでに訪れたい」絶景しかり、建築しかりです。すべてではないにしろ、写真はそうなりづらい。少なくとも、この書籍は写真の所蔵先も書いていないし(*巻末にまとめて画像発注先が明示されているが、これは所蔵館情報ではない)、この本で完結するようにできているように見えることが、本物にふれることの歓びを逆説的に阻害しているように感じてしまうのです。そこが、画集のコンテクストで写真集を作る違和感につながっている。(*ちなみに、本書は原書からこのタイトルなので、邦訳版の版元である実業之日本社さんを批判しているわけではないので、そこもご了承ください。)
 ただし、掲載されている写真に対してそう言っているわけでは決してありません。あくまで、書籍のタイトルが絵画と写真の違いを不必要に意識させることがひっかかるのです。では、なぜこれが受賞なのか? それは、タツタさんのひとことが、本当にすべてだよなとツイートを拝見して以来ずっと心に残ったからです。いわく、「死ぬまでに観ておきたいかっつーと、そうでもない」。いいですねえ、そんなこと他人にきめられたくねーよ的ニュアンス(笑)。でも、重要なのは次のフレーズ「ただ知らずに死ぬのは勿体ない」。そう思わされる1001枚の写真に、どうやったら勝てるのだろうかと考えるというタツタさん。「知らないで死ぬのはもったいない写真1001」ってなんだか、ムカつくけどいいライバルみたいな、よくもわるくもひっかかるみたいな。そういうアンヴィヴァレントな考えが、無上にこの写真集が好き!というのは一味ちがった文学性を感じ、これを選ばせてもらいました。
 写真を見る愉しみ、知る愉しみというのは、大好きなものをなんども見ることでもあり、また他方では、こうやって知らないで生きてるのは勿体ないなという発見の連続なのではないでしょうか。わたしは全面的に同意です。

 つづいて、僕が最終的に審査員賞に選んだタクヤさんの投稿。

 これも、見ていただければ大賞と一定の共通性をもって審査が進んだことがご理解いただけるかと思う。以下、こちらの審査評も再録。

 今回、この企画は写真集紹介をテーマにした小さな文学賞のような側面がありました。そのなかでひとつの流れをなした投稿スタイルとして、写真集がメディウムになったものが一定数みられました。いいかえれば、「なぜこの一冊を推すのか」という参加者の動機が自身の経験に結び付けられ、それを文学的センスに転化するための材料として写真集が機能したということです。あくまで本(写真集)が主体の紹介文・書評に終始しなかったところに、わたしども審査員も企画の成り行き的成果を感じています。
 わたし自身は、その愉しみを念頭に審査投票を行い、結果的に合計得点ではなく合議になった大賞も、同様の文脈で選ばせていただきました。タグがつけられたツイートのひとつひとつを読んで、投稿者は何を見ているか、どう見ているかに思いを馳せました。そのような深く、シリアスなひとのものの見方がある一方で、ただ好きだから見る、気軽に写真作品や写真集を所有するという動機も、なににも代えがたい視覚欲求でしょう。「好き/好きなだけじゃない」「シリアスに見る・考える/気軽に見る・考える」というのは、常に同居してこそわたしたちの一押しになるはずです。タクヤさんのエグルストンの写真集との出会いは、わたしたちにそのことを教えてくれた投稿でした。写真の歴史にも、タクヤさんのライフヒストリーにとっても大切な一冊に乾杯!

4.今後の課題

 今回、わたしたちの企画は2回目となり、前回の写真史選書企画では、審査はしなかった。今回はそれを審査するという展開になったのだが、いざはじまってみると問題になったことが二つあった、ひとつは、鍵アカウントからの投稿、もしくは開催期間中に鍵アカウントに移行した参加者がおり、途中で見られなくなってしまったものがあったこと。もうひとつは、アカウント自体が消えてしまったものがあったことだ。

 こういった事案は、個人の事情だけにとどまらず、もしかしたら個人のプライバシーの問題にも発展しかねないことは、わたしたちもきちんと考えなければいけない(*もちろん、投稿規定としてはあらかじめ配慮はしている)。参加者はこの企画以外のツイートも発信しているという事情もあるので、ツイッターを使って企画を今後もやることは可能だろうが、それを審査するというのは、ツイッターの性格やシステムとはやや相容れないところもあるのかもしれない。

 だが、写真史、写真集とやってきたので、また今後、なんらかの企画はやりたいというのは発起者3人の共通する想いだと信じている。

次もまたやろうねと話しています。
そのときはみなさんまた懲りずにお付き合いくださいね!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?