崇月

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崇月

note始めました。日常で思ったことをつらつら綴るエッセイを投稿しています。不定期に短編掌編小説も書いたりします。何かありましたらツイッター或いはこちらのアドレスまで→y.syugetsu@gmail.com

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エッセイですか、小説ですか。それとも。

 エッセイ、小説、詩歌、ビジネス書、エトセトラ。言葉を使い文章を練り、それをつらつらと並べていく作品の呼称は幾つもある。私たちはそれを無意識のうちに分類し、自分の目的や好みに合いそうな物を選択しているが、そこには一体どのような違いがあるのだろうか。  小説とは、「自由な散文の形式で書かれた、虚構の物語」と一般的に定義される。エッセイとは、「筆者の体験や読書から得た知識を元に、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文である」とある。また詩歌は、ビジネス書は、……。  こうした

    • テキラメーイシュルト

      私は考える 過去を 今を そして未来を 生まれ落ちた命 消えゆく存在 オルゴールの音が 愛人のように 私に優しくキスをする 彼女の唄が 意味を持つ 私の文字が 息をする 謎の病に蝕まれ 見知らぬ人に胸刺され あっという間に命落とす さあ、私と一緒に生きましょう 睡眠薬を一掴み 死ぬってなあに? 違法なクスリを一つ噛み サイケデリックな色に紛れ 私は、ああもう随分と気持ちが良くなってきたよ どうだい、君も少しは興味があるだろう もう、こ

      • 溶けて消えてしまうその前に

        「田舎帰ってくると、どこか心がさみしくなる瞬間があるの。前まではあった個人商店とか、打ち捨てられた看板や、どこまでも広がる空き地。この空間が、まるで世界に置いて行かれてしまったかのように、私には思える」  助手席に座る彼女がそう呟いて、私はちらりと横目でさみし気な世界を眺めた。確かに、随分といろいろなものがなくなってしまった。言われて初めてそう意識させられたかのように、一瞬だけ、見慣れた景色がどことなく不安定になるような気分を覚える。 「言われてみたら、結構変わったかもね」

        • 胃が痛い。

           雨降りの朝、少し冷えた空気に目を覚ますと、布団から出たくないまま幾らかの時間を過ごす事になる。微睡、昨夜少し遅くまで起きていたせいか頭がまだ重たく、体を起こす事がひどく億劫に思える。  それから、少し胃が痛い。  最近、私も大人になってきたおかげか、若干ではあるが辛いものを好むようになってきた。ポケモンカレーやタラコではなく、ビストロなんとか見たいなレトルトカレーや、明太子ご飯を食べ始めた。  だが……、昨日つけ麺を食べた際に一緒に頼んだ「ピリ辛ネギご飯」なるものは、まっ

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        エッセイですか、小説ですか。それとも。

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        • 3本
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          13本

        記事

          街に吹く風に抱かれて。

           最近、日の出の時間が早いせいか、やたらと早く目が覚めてしまう。  今朝も、夜中の1時ごろに寝たはずなのに、目を覚まし時計を見れば5時を指していた。この1週間はそんな日が続き、今朝は流石に2度寝をしてしまったが、またすぐに目を覚ましてしまった。  早起きは3文の得というのだから、私は今週すでに10文近く得をしている事になる。現代貨幣の価値にしていくらかは、わからない。  一人布団の上で座り、ぼーっとする時間程幸せな事は無い。カーテンの隙間から差し込む光の筋や、部屋を漂う埃の

          街に吹く風に抱かれて。

          都会での暮らし。田舎での暮らし。

           都会で暮らしていると、つい空を見上げる事を忘れてしまう。常に光に包まれた私の頭上に、星の灯りを見つける事が出来ないからだ。  気が付けば私は下を向くか、手に持ったスマートフォンの画面を眺め立ち止まる。過行く車のテールランプ、けばけばしいパチンコ屋のネオン、雑居ビルには人の出入りが常に行われ、空き缶の転がる音。  何もかもが溢れている都会において、私たちはいつも自分を見失っている。氾濫する情報、或いは人の流れ、それらに押し出されるようにして、私は私を見失う。  満天の

          都会での暮らし。田舎での暮らし。

          世の中って。

           最近テレビをつけないせいか世の中の動きにとても疎くなっている私でさえ、コロナウイルスの名前は嫌でも耳にする。  それが私の生活にどれほど影響があるのか、正直なところわからない。  別に何かイベント事に参加するでもなく、かと言って仕事もあるので外に出ないわけでもない。なんとなく手を洗い消毒をして、好きなものを食べつつ、もしかしたらの場合を想定してマスクを付け、帰宅してからはのんびりと夜を過ごしている。  こうしてエッセイを書いている時でも、この家の壁の向こう側で能天気に遊び歩

          世の中って。

          大好きなあなたに渡したい

          それで、って言ったきり黙り込んだ 土曜の午後の喫茶店 コーヒーとタバコと楽しそうな他人 マグカップの口紅がかすれてる 少しのすれ違い 少しの言葉不足 気が付けば溝は広がって 近くて遠くなる ふとした瞬間の あなたの悲し気な表情 やめてよ、私も泣きそうになるの 大好きなあなたに渡したい 言葉みたいに不完全なものじゃなくて 私の心をそのままあげるよ そうすればちゃんと伝わるでしょう?

          大好きなあなたに渡したい

          chill 花びら

          何もない空っぽの視界で 慌しく探し物 どこにあるのと声がして 僕は独り振り返る 暖かな陽気、少し歪んだ空気 違和感を孕んで漂う 今年の春は、なんだか違う 花粉も急ぎ足で舞い踊る 散る、散る、花びらが散る 早めの開花に僕は驚く さよならの声は聞こえない 季節外れの風にかき消され 落ち着ける時を夢に見て 二度と戻らない日々 手を振る元気も奪われ 僕はまた独りきり 散る、散る、花びらが散る 慌しく春が過ぎてゆく 落ち着く、間もないまま 僕はまた歩き出す 花びらの散るこの世界

          chill 花びら

          閉鎖的空間。

           私は閉鎖的な空間に生きている。それは、物理的でもあるし、精神的でもある。息苦しく、独りで抱えるには余りにも無謀な空間で、私は過ごさなければならない。  閉鎖的な空間、と既存の存在の様に始めたが、おそらく、それは昔は無かったはずだ。少なくとも、私がまだ子供の頃、物心つかずに世界をありのまま見れていた頃は、とても広く開放的で、何処までも続いているように思っていたのだ。  それが気が付けば、私は世界に鍵をかけていた。何かから逃げるように、何かを失う事を恐れるようにして、閉鎖的な

          閉鎖的空間。

          ダッシュボード。

           noteを始めて10日ほど。  思ってた以上に私の記事を読み、スキを押して頂けていまして、とても嬉しく思ってます。また、フォローしてくださる方々も着々と増えていまして、本当にありがとうございます。  あまりこのような事は表に出さない性格してるのですが、せっかくなのでこの場を借りてお礼の言葉を皆さんにお伝えしたいなと思いました。  今後も気が向いた時に更新していきますので、お付き合いいただければ幸いです。  よろしくお願い致します。

          ダッシュボード。

          より良い生き方について。

           今日は少し文体を崩す、そんな気分だ。  いつもエッセイを書くとき、なんやかやとかしこまった書き方をしているが、それはそっちの方がそれっぽいからで、別に日常生活の言葉遣いがそうなわけじゃあない。  で、今日はより良い生き方について。あ、別にこれはより良い人生を目指して頑張ろうって話じゃないんで。あんまり期待しないでくれると嬉しいな。  みんなさ、なにして生きてる? スポーツしてる? 本読んでる? 仕事して、学校行って、家にいて、パソコン開いて、何もしてないで、ただブラブ

          より良い生き方について。

          ある晴れた日の事。

           北国石川県では、重苦しい雲が重なり合っていても、「今日は天気が良くてよかったですね」というような事を言う。その言葉を、石川県以外の、特に太平洋側の人が聞くと不思議な顔をする。こんな日のどこがいい天気なのだろうか、そんな疑問が実に見事に顔に浮かんでいる。  私自身はその石川県の出身で、曇り空を晴れた日と形容する事には慣れているが、なるほど、確かに言われてみれば、今にも雨が降りそうな曇天を見上げ「いい天気ですね」というセリフは実に奇妙だ。 「弁当忘れても傘忘れるな」  という言

          ある晴れた日の事。

          話がそれる。

           毎日のようにエッセイを書き続けてほどなく1週間が経とうとしている。途中小説を一つ投稿したが、今後もエッセイをメインとしていく所存ではある。  さて、私のエッセイは普段過ごしている何気ない日常の中で思った事、感じたことを書いている。そこには人生のタメになるような要素は無いし、人を笑わせるようなユーモアも含んではいない。ただ、一日の終わりに、今日考えたことをビール片手にまとめたような、そんな文章達である。  そのようなエッセイを読み、スキを押して頂ける事は大変うれしく思いながら

          話がそれる。

          バナナの皮。

           バナナの皮を踏んで滑って転ぶ。昔からある古典的なこのギャグは、いったいどこの誰が始めたのだろうか。そんな事を、今日バナナを食べながら思った。  軽くインターネットを使って調べてみると、どうやらチャップリンがこのギャグの始祖らしい。らしいというのも、何やら様々な説が出てくる。今から約100年程前に作られた「アルコール先生海水浴の巻」という作品の中でチャップリンによってこのギャグが使われた、とか。いや、そうではなくカル・スチュワートと言う人の方が9年程早くこのギャグについて言及

          バナナの皮。

          春の匂い。

           ふとした暖かさに、切なさを覚える。少しだけ甘い香りがして、私は遠い昔の事をつい昨日の様に感じる。  今日の関東地方は、日中はもちろん日が暮れてからも気温は下がらず、二月とは思えない春の陽気を感じた。あたりに漂う空気から、春の匂いを感じ取ることが出来た。  私は春が好きだ。暖かくて、どこかのんびりとしていて、子供たちが元気にはしゃぎながら公園で遊び、草花が少しずつ緑を見せ始める。今日の陽気には、その予感がした。  でも、一方で私は春になると、どことなく寂しい気持ちにもなる

          春の匂い。