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AIの奴隷になるのか?AIを使いこなす方になるのか?

昨日、「ChatGPTって意外と簡単に使えるかも!」って記事で、AIのChatGPT様と会話をするのが意外に楽しいってことを書いたから、今日もAIについて思うことを書こうと思う。

今日読んだネットニュースで、大学生がChatGPTで書いたレポートをそのまま提出してきて、大学の先生が困っている、というのがあった。

タイパを重視する今どきの大学生は、自分に興味のない分野の単位は、AIの力を借りて省力化するのが当たり前になっているそうだ。

大学の単位ってかなり多いから、どうしても興味が持てない必修なんかはいくつかそうやって効率化していかないとやっていけないのは事実かもしれない。

でも、学生の中には、ほとんどの単位をそれで乗り切ろうとしている子もいるんじゃないかと思う。

そのニュースを読んで、まず思ったことは、そうやってAIが書いたレポートを丸写しして単位を取った学生は、将来AIに使われる側になるんだろうな、ということだ。

これからの時代は、AIと無関係な分野で生きるか、AIを使い倒して生きるか、AIに使われる側になって生きるか、この3つしかないだろう。

AIやロボットがいくら発達しても、機械やコンピューターが入り込めない、人の手でなければできない分野はある。そういった分野でプロフェッショナルになれれば、AIの発達とは全く無関係に生きることも可能だ。

また、AIを活用することで、仕事を効率化したり、新しいアイデアをもらって発展させたりして、いい仕事ができるようになる人もいるだろう。

でも、そういう人になるためには、若い頃に脳みそに汗をたっぷりとかく経験が必要だと思う。

例えば、レポートを書くのに、自分にない視点や足りない知識を指摘してもらうのにChatGPTを活用するのなら、ChatGPTを活用していることになるだろう。

そういう学生は、ChatGPTを使いながらも、脳みそにたっぷりと汗を書いているので、きっと伸びて、将来いい仕事が出来るようになるに違いない。

でも、ChatGPTが書いたレポートをそのまま推敲することなく、コピペして提出しても、全く脳みそに汗を書いていないので、本人の成長にはつながっていない。

私自身、アラフィフになって強く思うのは、若い頃に脳みそに汗をかいたことしか、この歳になって身になっていないな、ということだ。

十分ではなかったにしても、大学時代に脳みそに汗をかいた経験があったから、今でもなんとかやっていられる、といったほうがいいかもしれない。

私が大学生だった30年前、まだインターネットは登場したばかりで、私はパソコンも持っていなかった。

大学2年の途中まではレポートは手書きで書いて提出して、2年生の途中からワープロって、今のパソコンのWordの機能だけある機械を買ってタイピングでレポートを提出するようになった。

当然、インターネットには接続できないから、必要な資料は図書館か書店で本を探すしかない。

レポートのテーマからキーワードに当たりをつけて、図書館のパソコンで検索すると該当しそうな本のタイトルが出てくる。いくつかピックアップして、背表紙に貼られている番号をメモして、その番号の本が並んでいる書架のところまで行って本を探す。

本の目次を見て、使えそうな部分があれば借りたり、その部分をコピーする、そうやって資料をこつこつ集めるしかなかった。

ググれば、該当する論文がいくらでも見つかる今の大学生が羨ましい限りだけど、そうやって資料を探した経験は、今、検索ワードを考えるのに十分に役立っている。

レポートも、エグい先生は、2週間後に岩波文庫の1冊300ページ全3巻を読んで、原稿用紙10枚(4,000字)なんてこともあった。

必死で本を探して、なんとか読んで、提出日までに10枚書き上げる、そんな経験が今につながる文章力や思考力を磨いてくれたんじゃないかと考えている。

それから、30代までは結果には全くつながらなかったけど、闇雲にいろいろと手を出してもがいていた。

いろんな本を読んで、いろんなことにチャレンジして、どれも成果にならなかったけど、自分なりに頑張っていたとは思える。

それが、40歳になったら急に好奇心がしぼんでいき、出がらしになっちゃったんだよね。でも、40歳過ぎた出がらしになってからも、なんとかやってこれたのは、30代までの無意味とも思えたチャレンジがあったからだ。

もしも、あの30代までのもがきがなかったら、と思うと正直ゾッとすることもある。

逆に、ChatGPTのレポートを丸写しにしている学生のように、完全に逃げたり手を抜いたりしてきたこともたくさんある。もちろん、その分野は全く身になっておらず、今になって後悔していることもたくさんある。

若い頃は視野が狭すぎて、勝手な思い込みで取捨選択しすぎていたけど、捨ててきたことに大きな意味があったと、あとから気づくこともあった。後悔してももう遅い。

私は若い頃にある程度頑張ってきたことがあるから、なんとか踏ん張っていられるけど、捨ててきたものも多すぎるから、ここ止まりなんだろうな、とも思う。

若い人に伝えたいのは、ChatGPTはとても便利だ。でも、ChatGPTは使い倒すものであって、頼るものではない。

全部の単位を自力でこなすのが難しければ、多少はコピペレポートも仕方がないだろうけど、苦手な分野はこれから伸びる可能性が高い分野だ。ChatGPTなんかに頼り切ることなく、自分自身で脳みそに汗をかいて克服して、成長していってほしい。

アラフィフおばちゃんのおせっかいだね。

何はともあれ、ChatGPTを活用する方法は、この本が役に立つ。私は、農家の人の活用法が面白いと思った。本当に業界関係なく、活用している人は使い倒しているようだ。


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