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突然それはやってきた(海外旅行記2 東京⇄フランス 2015.3.20-31③)

②の続きです。②はこちら↓

突然の提案

フランス・エピナル滞在も一週間を過ぎ、フランスの生活や空気も肌に馴染んできたある日、ホームステイ先のおじさんがまたもやにこやかな顔をしてやってきました。これは、またなにか提案してくるなと即座に察知。すると、「これから、ナンシーに住んでいる僕の娘夫婦と僕の兄と食事に行くんだけど、翔太郎も行こう」とのこと。いやや、流石に家族水入らずの食事会、僕は遠慮しておこうと思って断ったのですが、おばさんが、そんなこと気にしなくても良いのよ、と連れて行ってくださいました。なんと優しい方々なのでしょう・・・。

ナンシーは、エピナルから約73キロ離れており、車で1時間ほどです。パリからエピナルに来るときにナンシー駅で乗り換えをしたはずなのですが、そのときはあまりにも必死で、全くno imageでした。出発前にネットでナンシーについて調べてみると、ナンシーには「スタニスラフ広場」という世界遺産があるとのことで、期待を胸に車に乗り込みました。

世界遺産のある街、ナンシー(Nancy)

ナンシーは、ロレーヌ地方(Lorraine)のムルト=エ=モゼル県(Meurthe-et-Moselle)の県庁所在地で、人口は10万5千人です。ここで最近知ったのは、2016年より、ロレーヌ地方とその隣接するアルザス地方(Alsace)、シャンパーニュ=アルデンヌ地方(Champagne-Ardenne)は統合され、グラン・テスト地域圏(Grand Est)と呼ばれているそうです。滞在当時の2015年は、まだ改名前でした。昔の旅行記なのに、今になって調べてみるといろいろと勉強になります。

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↑フランス北東の枠の部分がグラン・テスト地域圏。

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↑少しアップするとこのような感じです。エピナルとナンシーを表示しようとしたら少し地域圏が切れてしまいました…

ナンシーに着き、まず車が止まったのはとあるマンションの一室。中に入ると、まったく生活感のない殺風景な部屋と、若いご夫婦がいました。このご夫婦がおじさんの娘夫婦で、旦那さんがデザイナーとのこと。話を聞くと、この部屋を新しく買い、これから部屋をデザインするのだそうです。

その後、世界遺産のスタニスラフ広場へ。18世紀半ばにロレーヌ公スタニスラスが国王を称えて作った広場とのことです。国王を称えている広場なのに、何故国王の名前ではなく、ロレーヌ公スタニスラフの名前が付けられているのかと思いましたが、作られた当時は国王広場 (Place Royale) と名付けられており、時代とともに変わっていったのだそうです。

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↑ナンシーの凱旋門

とにかく建物、門、銅像、外壁、全てに痺れました。これがヨーロッパかと。あまりにも日本とは異なった文化、装飾で、刺激を受けないはずがありません。すっかり参ってしまいました。

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↑スタニスラフ広場。

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↑装飾がもう…圧巻、のひとことでした。

その後、おじさんのお兄様とも合流し、スタニスラフ広場に面したレストランで6人で昼ご飯。日本の文化(特に相撲のことを聞かれました)のことをいろいろ聞かれ、可能な限り答えましたが、このときに日本人として、日本の文化を胸張って答えられるくらいの知識は知っておくべきだなと痛感しました。

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↑ベルギーを代表するビールLeffe。この時初めて飲んでハマってしまい、今でも良く飲みます。メーカーのコップでそのビールを飲むと、なぜかいつもより美味しく感じてしまうのは何故なのでしょうか…。

突然の・・・

ナンシーから戻り、いよいよ日本に帰国する2日前の晩、ホームステイ先のおじさんとおばさんがにこやか・・・ではなく少し深刻な顔をしてやってきました。どうしたのだろうと思った矢先、予想だにしなかった発言・・・




「明日から隣の家に移ってもらえないかな」


・・・・


なぬ!?


なにか俺やっちまったか・・・?


もしかしたら、ヨーロッパではやってはいけないことしたとか?


しかし、どうやら決してそうではないらしく、話を聞くと、パリでチョン・ミョンフン指揮のパリ管弦楽団のチケットが急遽手に入ったから行ってくるとのこと。(お二人はチョン・ミョンフンの大ファンだそうです。)しかも今夜発つから、カギは僕に預けて、隣の家に移動した際にその家族に鍵を預けて置いてくれとのこと。どうやらお隣さんとは家族ぐるみで仲良しで、もう話はつけてくれていたようです。それに加えて、僕に鍵を預けるというのに驚きました。信用してくださったということなのでしょうか…。

そんなわけで驚く間もなく、急に別れの時がやってきました。あまりにも突然だったので涙もありませんでしたが、固く握手とハグをして、二人はパリへ出発していきました。

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↑普段自分はあまりお花の写真は撮らないのですが、家の庭に咲いていたこのお花にやけに惹かれ、珍しく1枚。

新しい・・・

そして朝、荷物をまとめた後、今までお世話になった家に別れを告げ、隣の家へ。緊張しながら呼び鈴を押すと、Hello!とワイルドなおじさんが出てきました。すごくポジティブなお方で、がーっと部屋まで案内されるもつかの間、これを見てくれと分厚いアルバムを持ってきました。見せていただくと、ひと昔前の上野やアメ横の写真が並んでいて、おじさんが昔家族で日本に旅行に行ったときの写真だとのことでした。ここ知ってる?と言われて、僕の大学のエリアですと言って今の上野の写真を携帯で見せると、とても興奮されて喜ばれていました。

そうしていると、おじさんから、

「今夜、我が家で近所の人達呼んでパーティーするんだけど、家に電子ピアノあるから何か弾いてよ。」

とのこと。

もちろん是非!とは言ったものの、コンクールが終わってから全くピアノを触っていなかったので、電子ピアノをお借りして猛練習。その晩のホームパーティーを迎えました。

初のホームコンサート

エピナル滞在最終日の夜、たくさんの近所の方が集まり、ホームパーティーがスタートしました。机にはワイン、そしてチーズやハムなどの食べ物が置かれ、皆さんが各々好きな体勢で談笑されていて、このアットホームな雰囲気なら、演奏も緊張せずにできるかなと思ってのんびり待っていました。

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↑パーティーの準備中!

しばらくしてからおじさんが僕を紹介してくださり、いざピアノの前に座ると、さっきの雰囲気が嘘のようにピーンと張り詰めた空気に・・・。本来は真剣に聴いてくださってありがたいことなのですが、すごい振り幅で変わった空気にめちゃくちゃ緊張してしまいました。終わったあとの皆様の温かい拍手にどれだけ救われたでしょう・・・。

その後は僕もワインを頂きながら参加者と話したり、ビンゴ大会などの楽しい時間を過ごしました。(僕はエピナル産のワインが当たりました)

ホームコンサートはホールで演奏する時と違い、お客様とより近くで音楽を共有できる空間。お客様もワイン片手に好きな体勢で演奏を楽しむことができる。これもいいなあとこの時に深く感銘し、今自分が音楽の在り方について考える時の重要な経験のひとつとなっています。

④に続く・・・

西村翔太郎 Shotaro Nishimura


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