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今日もお寺で惜しまないことの練習を(8月16日:お寺のお手伝い)
8月16日、今日も12日からお手伝いしてきたお寺で働きました。
お寺の行事の山場は越えたので、私のお手伝いもひと段落。お寺の方に「明日から平常モードに戻ります。ありがとうございました」とお伝えしました。15日の夜に、そろそろ飽きてきたなーと思った瞬間が訪れたので山場を過ぎた今に身を引かせて頂こうと思いました。ありがとうございました!
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だいぶこのお寺に馴染んだな〜と感じています。このお寺の
お寺で学んだ「力になること」の大切さ
8月12日の午後に北鎌倉を後にして、よくお世話になっているお寺さんに移動しました。お世話になるようになったのは23年の4月からで、このお寺の皆さんがいなければ、今の位置に立つことはできておりません。めちゃくちゃエネルギッシュなお寺と皆さまから、多くの学びを頂いています。
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その中でも大きな学びだったのが「頼ること」にまつわることです。こちらのご住職さんは頼られるのが好きで、いろんな形で多くの
りんごの滝が流れ、世界にはシャリシャリ音が溢れる(8月8日〜10日: 長野・小布施町滞在)
突然ながら24年8月8日に長野滞在の機会に恵まれた。訪ねたのは小布施町。栗で有名な地域だ。文化的には葛飾北斎が滞在したこともある地域で、北斎館もある。
その地域に行くことになったのは、家が無かったからだ。もう少し丁寧に書くと8月7日の夜、8日〜11日の泊まる場所を確保していないことに気づき、FacebookとInstagramにこのような投稿をした。
その結果、博多のヨット競技者の方と長年マラ
健やかな関係性とお金のリセット
2023年の前半にお金を0リセットするということを繰り返していた。今思い返すと、なぜそれをしていたのかが不思議なのだけど、基本的にやりたかったのは、「手元にお金が入って来て、そのうちの一部を使わせて頂き、それ以外のお金をどんどん流していく」という経済のかたちを模索することだった。
ただ、23年の前半時点では、これを心身のバランスを崩さずに実行していくことが難しく、23年7月の時点でその営みを終え
領収書が精神内で大量発行された夜
この数日、私の心の中で地殻変動が起きた。「領収書」という言葉が心の中を飛び交っている。友達に、関わる人に領収書を送るという日常のルーティンが発生している。
私は自分自身の経済をつくろうと思ってこの数年模索してきた。それで結果的に着手したのが「布施」にともなう経済で、自分なりの布施の実験をしてみようと思って日々試行錯誤を繰り返している。お布施すること、されることの両方が生活の中で発生するのだけど、
布の巡礼に出るためにサポートして下さる方を募集中!
先ほど温泉に入っていたんですが、湯が湧き上がってくるように、新たな布の流れが湧き上がってくるのを感じました。噴出。身体に衝動が生じています。
創作活動の糧を受け取りに、そして、来年以降の展示場所との出会いに7月最終週から8月の最終週にかけて動的に動いてみようと思います。
費用対効果とか、生産性とか、効率性とか、そういうのはオフ。計画も破棄。どこに辿り着くのか決めない。予感は大事にしつつも無理に
絵を描いて、メシを食う
こんにちは、祥敬です。
12月6日、こちらのドローイングを書いていました。
出来上がって、instagramとFacebookのストーリーズに投稿すると、「いい感じ〜!新米あげるから、また取りに来て」というメッセージが届きました。
新米を獲得するためにこのドローイングを描いたわけではありませんが、絵を描くことがお米につながって、大変ほくほくした気持ちになっています。
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以前、食べること
新しいアトリエの候補先を探しています
私にとってアトリエは至る所にあります。借りている建物あたりや気持ち良い川辺のそば、行く先々の人の家の中など、行き着くところで作って(縫って)います。
清々しさや気持ちよさと縫うことが接続しているので、物理的な区切りによってアトリエが成立するというよりも、精神的に噴出してくるものです。噴出しない時には消えたりします。
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こちらの投稿を書いている23年11月には物理的に安定感のある、借りてい
【巡礼日記】関東滞在→ドローイング創作の流れの起こり(11月28日〜)(有料版)
こんにちは、三浦祥敬です。
2年ほど、対価を前提とした経済を放棄し、泊まる場所や食べる機会を頂く生活をしてきました。その結果、身体から「守られている感覚」が生じるようになってきました。
その感覚を作品として立ち上げようと思い、2023年の7月から作品制作を行っています。
このNoteは作品制作の背景である日々の生活の日記です。ほぼ毎日、更新しています。一区切りすると、一部を伏せて無料で公開し
毎日生きてるだけで、すげーよ、人間
10月末から11月の1週目にかけて、関東で知り合いの方とお会いした時に、ふと母親のことを思い出すことがありました。母親は23年の5月に亡くなりましたが、彼女が亡くなった時のことを思い出し、「人は死に向かって行進し、最後は分解されていく」ことを痛感しました。
誰しもが最終的には、空か海か土か分解されて散っていく。
そんなことを思った時に、
「終わりには分解されてしまうのに、毎日生きてるだけで、
「無用な存在」をいつも愛でることができるようになれば、世界はどれだけ明るくなるだろう
「あなたは社会にとって無用な存在だ。」
こう言われて嬉しい人は少ないでしょう。そういう存在だと思われたくなくて、日々知識をつけ、スキルを付けることに邁進している人もいるかもしれません。
私は「無用」という言葉を見ると、経済という言葉が浮かんできます。生産をするというものさしを当てて数値が高いと有用、数値が低いと無用。そのものさしが全てだと思うと、目の前がずいぶん苦しい世界に見えてきます。私自身
【無料版】 日記-由布院滞在編(後半:10月15日〜24日)
こんにちは、祥敬です。
今回は、10月の日記(後半)の投稿です!(→10月前半の日記 はこちらです)
秋も深まってきましたが、いかがお過ごしですか?
10月の後半は由布院に滞在していましたが、突然東京に行くことになり、由布院滞在を23日で切り上げました。今回の投稿は、東京に出発する前までの内容になっています。
制作は順調に進んでいます。どういう作品のビジュアルの方向性で行くかを検討していた