「導かれその先へ~死者からのメッセージ・ぺルー編」 外伝その❶
序章
「死者からのメッセージ・ぺルー編」をなんとか書き終えることができました。
興味を持って読んで頂いた方には感謝です。
長年、テレビ番組制作・報道に携わり執筆には縁がなく、このnoteも初めての経験。
果たして読んで頂ける内容に値するのかどうか不安を抱きながらも、本文では書かなかったことや想いなど、この外伝に書き記し、次の物語へと繋いでいこうと考えています。
どうぞよろしくお願いいたします。
外伝その❶
「死者からのメッセージ・ぺルー編」を書き終えましたが
このセンデロ・ルミノソの取材以降、南米に縁ができて何度か取材に訪れることになります。
1996年に起きた日本大使公邸事件、海外に逃亡していた赤軍派関係者の子供がぺルーで保護されたニュース。
そしてコロンビア麻薬戦争、「驚き桃ノ木20世紀」ではコロンビアのエメラルド王など。
そして南米だけでなく語学力のない私が海外各地の辺境地や紛争地へと行くきっかけとなったのです。
それだけにこのぺルー取材は忘れられない記憶として今も意識の奥から蘇ってきます。
そして死体となった少年の顔は、66歳になった今も時空を超え、年老いていく私を見つめているように現れてきます。
それは様々な経験をしてきた人生のなか私が生み出した幻で、意識の奥に潜むもう一人の私自身ではないかと思う時があります。
知らず知らずのうちに嵌まり込んだ深い沼を見つめる自分を、その闇に見つめ返され、引きずりこまれぬよう見守るもう一人の私なのか。
スラムで出会ったペレイラ神父も忘れられない記憶です。スラムを救おうと尽力をそそぐなかセンデロの銃弾に倒れてしまいました。彼の笑顔は今も私の頭上で輝いています。
そしてセンデロの取材後、センデロを恐れメキシコに移住したカメラマンのアントニオ。
移住後はカメラマンを辞め、不動産業を始めて成功し大金持ちになったと聞いています。
今はどうしているのでしょうか。
彼もまた私の記憶の中で、微笑んでいます。
そして大谷さん。今はリマを離れぺルーの山岳地帯でビクトルさんと自然の中で生きているそうです。
今もぺルーの日本大使館には正式な通訳として登録してあるそうです。
母親の鄭さんは数年前、旅立たれたそうです。
この取材当時私は、タキオンというテレビ番組制作会社に所属していました。
当時は今と違いテレビ業界に勢いがあり、質のいいドキュメンタリー番組もゴールデンタイムで放送していました。
「中村敦夫の地球発22時」「タイム21」「今夜は好奇心」「ネイチャーリング」などなど
そして群雄割拠するテレビ番組制作会社のなかでタキオンはドキュメンタリー番組を中心に情報番組など手広く制作していて「サンデープロジェクト」
もその中の一つでした。
ただ残念なことにタキオン制作のある番組がやらせ番組と発覚し、そこから崩壊へと進み分裂し消滅してしまいます。
私はタキオンから分裂した新たな制作会社フォーティーズへと移動し契約社員として活動していましたが、民放からドキュメンタリー番組が消え始めた頃、この制作会社フォーティーズも分裂し消滅してしまいます。
その後、私はフリーランスとして報道番組に関わり、テレビディレクターというよりフリージャーナリストと呼ばれて海外から中継でレポートする機会が増えることとなりました。
こうしたこれまでの経験など、これから書き記していこうと考えています。
テレビ朝日サンデープロジェクトに関わっていた時期、今では取り上げないだろうというような事柄や、海外のスラムなど取材していました。
今回書き上げたぺルー編は、当時オンエアした同録のビデオがあり詳細を思い出すのにそれほど苦労しませんでしたが、過去、ほとんどの記録は手元に残っていません。
新聞記者や雑誌のライターであれば取材メモなどが手元に残っているでしょうが、テレビの場合ほとんどが映像に集約され、それに関した取材メモは編集作業、ナレーション作業に使用するためにそうしたスタッフに渡しています。
まして報道ですと放送が終わればそれで終了。
写真のように作品として後に残ることもありません。
これはテレビの宿命でしょうか。
そうしたことから、これから書く多くは、手元に書き記した取材メモや作品も無く、私自身の記憶だけで、事実と異なる箇所(日時や場所など)、思い出せず一部創作となる箇所などでてくることになりそうです。
今後の予定ですがコロンビア麻薬戦争の話、あるいはその他、短編特集など考えています。
コロンビアの企画は、センデロ・ルミノソの取材と同じく、あるいはそれ以上に忘れられない取材経験でした。
ただ当時の映像など手元に残っておらず私の記憶だけを頼りに書くことになりますが、大げさな表現は控えて書き進めていくつもりです。
事実に基づく実録物語として読んで頂ければと思います。
それでは、今後もよろしくお願いいたします