Kondo

近藤です。 ほぼ40年に渡りテレビディレクターとしてドキュメンタリーや報道番組制作で活動していました。30代からフリーランスとして主に世界の危険地帯や戦場。イラク戦争、パレスチナ取材なども経験。現在66歳。その記憶をここに記していこうかと考えています。よろしくお願いします。

Kondo

近藤です。 ほぼ40年に渡りテレビディレクターとしてドキュメンタリーや報道番組制作で活動していました。30代からフリーランスとして主に世界の危険地帯や戦場。イラク戦争、パレスチナ取材なども経験。現在66歳。その記憶をここに記していこうかと考えています。よろしくお願いします。

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死者からのメッセージ・導かれその先へ   (ぺルー その⓫)

「記憶の断片」 今夜なのか、明日なのか。 センデロ・ルミノソからの連絡があるのは  大谷さんと翻訳の残りを片付けながら落ち着かない時間が過ぎてゆく。 翻訳してもらったインタビュー質問内容も大谷さんと何度か見直す。 大谷さん 「何事もなく無事に取材が終わればいいけど。何かあったらどうする? 私には何もできないし。ペレイラ神父に相談するしかないわ」 私「うん、それでいいよ。あとはテレビ朝日・メキシコ支局長A氏にも相談して」 そのメキシコ支局長A氏に連絡する。 「近藤ですが、

    • 死者からのメッセージ・危険な香り            そして・・・・・         (ペルーその➓)

        「記憶の断片」    ぺルーにきて取材のない朝を始めて迎える。 時計を見れば朝の5時。いつもはホテルのカフェでモーニングを食べる時間だが今日は自由だ。いつまで寝ててもいい。 うとうとしていたら、電話の音に起こされる。 時計を見れば8時半。 大谷さんからの電話で、迎えに行くから家に来ないかとの誘い。やることもないのでその誘いに乗る。  リマ郊外、ちょっとした庭付きの一戸建てが大谷さんの住まいで、夫のビクトルさん両親が引っ越した後、譲り受けたそうだ。 大谷家には男の子が一人

      • 死者からのメッセージ・危険な香り                そして・・・・・(ペルーその❾)

        「記憶の断片」  ぺルーでの取材もそろそろ終盤。 スラムで生活する子供たちの取材で早朝でかける。 日本は真夏だがぺルーは真冬。朝は寒い。 スラム入り口付近の安全なところに取材車を止めスラムへと向かう。 入り口付近にはピラミッドのように積まれたごみの山があり、そのわきをスラムの山から流れる側溝がある。  そのゴミ山に近づいた私は、目に映った光景に思わず足を止める。 側溝に横たわり、朝の光に包まれるように光り輝く少年の死体がそこにあった。 ブリーフ一つで衣服をつけてない少年の

        • 死者からのメッセージ・危険な香り  そして・・・・・・             (ペルーその❽)

           午前3時頃、空港から迎えに行った大谷さん夫婦と鄭さんがホテルに着いた。 ロスアンジェルス乗り換えの航空便でほぼ24時間、機上の人となっていた鄭さん。 疲れた様子もなく私との再会を楽しんでいるように 「ペレイラ神父と会ったんだって。信頼できるいい人よ。近藤さんとは気が合うわよ。 スラムは、救援物資の受け渡しだけであまり知らないから、ちゃんと取材して日本に現状を伝えてね。 ぺルーは初めてでしょ。どう? 食事は美味しいでしょ。・・・・・・」 と、次から次へ話かけてきた。 その間

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        死者からのメッセージ・導かれその先へ   (ぺルー その⓫)

        • 死者からのメッセージ・危険な香り            そして・・・・・         (ペルーその➓)

        • 死者からのメッセージ・危険な香り                そして・・・・・(ペルーその❾)

        • 死者からのメッセージ・危険な香り  そして・・・・・・             (ペルーその❽)

          死者からのメッセージ・危険な香り  そして・・・・・・         (ペルーその❼)

                  「記憶の断片」  リマ市内、繁華街裏通りに立ち並ぶビル。その一角に宿泊するホテルはあった。 外観からも派手さはなく地元の人が使うビジネスホテルという感じか。 外国人が隠れ家として泊まるにはちょうどいい。 値段は一泊50ドルほど。室内はそれほど広くはないが綺麗でバスルームとトイレは別々。レストランがあり朝食サービスもある。 大谷さんはツーリストガイドをしているのでリマ市内のホテルをほぼ知り尽くしている。その中から選んでくれた。  その大谷さんを日本で紹介

          死者からのメッセージ・危険な香り  そして・・・・・・         (ペルーその❼)

          死者からのメッセージ          (ペルーその❻)

               「記憶の断片」  1980年代から1991年、ぺルーの経済は破綻寸前で失業、貧困により治安状態は悪化。そのなかで左翼ゲリラ・反政府組織が台頭し爆弾テロ、誘拐、暗殺、強盗が多発。国内は内戦状態が続き厳戒態勢が敷かれていた。     その武装組織が群雄割拠するペルー国内で最大・最恐最悪と恐れられていたのが「センデロ・ルミノソ」である。  「センデロ・ルミノソ」 訳すと「輝ける道」となるが南米のポル・ポト派とも言われており、私には「地獄への道」としか思えない左翼ゲリラで

          死者からのメッセージ          (ペルーその❻)

          死者からのメッセージ        (ペルーその❺)

              「記憶の断片」  朝6時、目が覚める。ぺルー二日目。 特に時差ボケもなく快調、部屋に備え付けのインスタントコーヒーをいれる。 このぺルー企画を立ち上げてから、ひたすら実現へと進め、時も過ぎてゆき、今はリマのホテルで朝を迎えコーヒーを飲んでいる。 そしてそれまでの生活では出会うことのなかった人達との新たな出会いも生まれた。 今日から取材開始、ぺルー企画序章の始まり。  しかしメキシコ支局長A氏との出会いは強烈だった。 これまで見てきたテレビ局社員とは明らかに違う異

          死者からのメッセージ        (ペルーその❺)

          死者からのメッセージ         (ペルーその❹)

                   「記憶の断片」  機内アナウンスで目が覚める。 鄭さんやS氏との出会いに何か運命的なものを感じつつ ぺルー企画に思いを馳せる。                         そして午後10時頃、リマの国際空港に到着。 国際空港は我々と空港職員以外、人の気配はなく静まり返っていた。入国審査も簡単に終わり空港ロビーへ。 S氏らとはそこで別れ、迎えにきてくれていた鄭さんの娘・大谷さんと落ち合う。 初対面だがメールやスカイプのやりとりをしていたので以前からの

          死者からのメッセージ         (ペルーその❹)

          死者からのメッセージ     (ペルーその❸)

             「記憶の断片」  鄭(テイ)さんのもとに通い、ペルーに住む娘さん・大谷さんともメールやスカイプを駆使し連絡を取り合う。 大谷さんはペルー移住後、現地の男性と結婚し首都リマで日本人相手の観光ガイドや通訳として働いていた。  初めてのペルー取材において心強い存在になると、すでにこの時感じていたので、ペルーにおける通訳・ガイドの心配はなくなった。  テレビカメラマンについては危険な状況での取材が考えられるので日本人ではなく、テレビ朝日報道・メキシコ支局長が雇っているペルー

          死者からのメッセージ     (ペルーその❸)

          死者からのメッセージ     (ペルー その❷)

          「記憶の断片」   フジモリ政権誕生前のガルシア政権では激しいインフレにより経済は壊滅的状況が続く。  国民生活が困窮するなか、治安の悪化、貧困問題、左翼ゲリラの台頭などでペルー国内は混乱状態であった。 そうした危機的状況のなか、1990年の大統領選挙でフジモリ政権が生まれる。  人々はそれまでの腐敗政権の苦しみから、日系人だが誠実で実行力のあるフジモリ氏に期待し選んだのである。 そしてフジモリ政権誕生から一年後のペルー。 私は死体となった少年と出会い、その目に吸い

          死者からのメッセージ     (ペルー その❷)

          死者からのメッセージ (ペルー🇵🇪 その❶)

              「記憶の断片」  意識の奥深く、漂う記憶の波間から突如浮かび上がり目前に広がるワンシーン。 それは、空虚なガラス玉のように無機質で透き通り、全てを吸い込むような目から始まった。  そして周りの景色全てが消え去り、その目に吸い込まれるように私の意識は深い闇に堕ちてゆく。 忘れられない記憶。忘れかけた記憶。それらは何気ない日常のなか鮮明な映像として突如現れる。 電車のなか、うとうとしてる時。幸せそうな笑顔の親子とすれ違う時。 そして突如目前に現れたその目玉から記

          死者からのメッセージ (ペルー🇵🇪 その❶)

          生涯ジャーナリスト。元危険地帯担当。

          本日からnoteを始めました。 近藤です。 出身は愛媛県西条市。 西条高校から東京造形大学へ。 大学在学中からテレビのAD(アシスタントディレクター)としてアルバイト。 そのまま大学中退で番組制作会社へ。 紆余曲折はあったが60近くまでテレビ業界で活動していました。 20代後半から30代後半、主にドキュメンタリー番組を制作。民放各局、NHKなどで。 その当時お世話になった番組は、タイム21/中村敦夫の地球発22時/金曜ファミリーランド/今夜は好奇心/驚き桃の木20世紀/N

          生涯ジャーナリスト。元危険地帯担当。