人生は友達で、友達が人生
誰かの顔がまだ生きている理由なんだと思う
沖縄の国際通りの端の交差点で
あの人とすれ違ったんだ
あの人は横断歩道の前に立って
あまりにも静かで深い眼をしていた
それはあまりに深くて静かで
もうどうしたって一般人じゃなかった
あの人だって気付いて
あの人に違いないって思って
俺はじっと見ていたんだ
あの人は気付いて
少し不審そうな顔をしたけれど
信号が変わって
横断歩道をすれ違って
その後ろ姿が消えてしまうまで
俺はずっと見ていたんだ
俺はあの人を
ブラウン管の中とか
モニターの中とか
あの人がステージにいて俺が客席にいて
そんなふうにしか見たことがなかった
あの人は横断歩道の前に立って
あまりにも静かで深い眼をしていた
何千回分の溜息で
胸がいっぱいになって
そんな満ち方で
満ちてしまった心で
世界の意味が変えられてしまう
あんな女の人がいるということに
あんな眼をして立っている女の人がいることに
あの人が俺の目の前にいたことに
そんなにも静かに眼にものを見させている女の人が
そんなにも眼の奥で目の前を見ている女の人が
あの人が俺の目の前にいたことに
あんな眼をした女の人に
こいつ いいなって
そう思われたいなって思った
あんな眼で俺を見られて
こいつ いいなって
そう思われたいなって思った
それは どうにも どうしようもなく はてしないこと
俺にはそんな眼で見るようなものないんだし
あそこまでは あんなひとまでは どうしようもなく はてしない
けれど だからって
必ず失敗するとわかっていながら
まだそう思って
今日もまだ生きている
(終)
この詩のようなものは、友達に誘われて沖縄に旅行に行ったときに、気が付いたら原田郁子が横断歩道の向こう側にいたときのことを思い出して書いたもので、旅行から帰ってちょっとしたくらいで書いたのだろうし、俺が29歳のときに書いたものなのだと思う。
その頃は、彼女と別れてひどいショック状態になって、どうしてそんなことになったのか、どうしてそんなふうに思われないといけないのか、本当に意味がわからないなと1日中思い続けていたのが、だんだんとおさまりかけてきた頃だった。
彼女と別れてからの数カ月は、職場で席に座っているのもしんどくて、それまではずっと、特に用事もないからと、明日やればいい仕事とか来週やればいい仕事をして残業していたけれど、息苦しくて仕方ないからと仕事を定時であがって、家に帰ってじっとしているのも苦しいからと、見られそうな映画を探して見に行って、帰りにツタヤに寄ってDVDを借りたりということを頻繁に繰り返していた。
そんなふうになって、俺は自分でびっくりしていた。
俺は子供の頃から特に映画を好んでいなくて、親と一緒にテレビをだらだら見る習慣もなかったから、ゴールデン洋画劇場とか、金曜ロードショーとか、テレビでやっている映画もほとんど見てこなかった。
だから、バック・トゥ・ザ・フューチャーとかエイリアンとかターミネーターとかインディー・ジョーンズとかも一本も見たことがないし、ラピュタもナウシカも通しては見たことがないからどんな話かちゃんと知らなかったりする(ナウシカは漫画を読んだ)。
大人になってからも、自分から映画を見ようとしてこなくて、大学生になってから、その彼女にふられるまでの、10年ちょっととかで、ひとから誘われて一緒に行くのではなく、ひとりで映画を見に行った回数というのは、せいぜい1回とか2回で、かといって、何を見たとも思い出せないし、もしかすると0回なのかもしれなかった。
そんな自分が都内の映画館の情報を調べて、よさそうな気がしたものを次々見ていって、自分が楽しめそうなものは全部見たのかなと思うくらいに、
今までそんなことしていたことなかったのに、
そうやってツタヤをうろうろしている中で、andymoriを借りてみて好きになったけれど、そうやって、禁断症状みたいにして映画館へ走っていたということでは、自分は感傷中毒の患者だったんだなと思った。
(禁断症状の患者が映画館に走る歌)
そうしている中で、たまたま誘われて飲みに行った友達が、俺がダメになりすぎているからと、旅行にでも行くかと誘ってくれたのだ。
そいつは、大学生の時に、一緒に一軒家を借りて一緒に住んでいた男で、ちょうど夏休みを取らないといけないけれど、奥さんは仕事を何日も休めないし、会社をやめて沖縄に帰った先輩に挨拶に行きたかったし、気分を変えるにはいいだろうと、俺を沖縄に誘ってくれた感じだったのだと思う。
沖縄では、好きになったばかりのandymoriをずっとくちずさんでいた。
友達がレンタカーを運転してくれて、海沿いを走って、景色に頭がぼんやりしてくるたびに、「サンセットクルージング」と鼻歌を始めていた。
初恋の香りに誘われて、死にたくなる夕凪、と歌っていたけれど、俺は思春期に女の人と関わりがなかったから、自分の初恋がどれだったのかも自分でわかっていなかった。
(初恋の香りに誘われて死にたくなるサンセットクルーズの歌)
ずっと聞いていた頃だったから、全部覚えていたのだろうし、最初から歌ったりもしていたのだろう。
汚い服は着ない、精神に異常をきたした、あのこを話題にして、と歌っていたけれど、どういうつもりだったんだろうなと思う。
俺の鼻歌を聞きながら運転している友達からすれば、精神に異常をきたしているのは俺だったのだろうけれど、俺は全然そんなふうには思っていなかった。
俺はショック状態だったし、ずっとへこんでいたけれど、ずっと自分の状況や自分の気持ちに向き合い続けていたし、同じことを何度も繰り返し考えながらも、少しずつは思うことを先に進めていたし、映画ばかり見ていたのも、苦しくて自分から意識を話してまともに呼吸するためではありながらも、映画を見終わったら、映画のことを通して自分のことを考えていた。
そういう意味では、俺はショック状態ではあっても、ストレス状態ではなかったのだ。
まっすぐに向かい合っていると、不快は具体的な行動や思考の対象になって、ストレスの原因にはならなくなる。
そして、ストレスがないのであれば、苦しんでいるようでいても、精神に異常をきたしたりなんてできないのだろうし、俺はその時点でもそれがわかっていたのだと思う。
そうだとして、精神に異常をきたした、あのこを話題にして、と歌いながら、俺の頭には、誰がぼんやりと浮かび上がりかけたりしていたのだろう。
うつ病でダウンした女の子たちというのは、身近にも何人もいたし、そもそも生まれつきとか親とかの問題でかなり変わった人間になっていて、精神に異常をきたしていた時期もあったような知り合いもいた。
付き合った人たちでも、俺と別れてしばらくしてからそうなって、学校も休学して、北海道の友だちの部屋に居候させてもらっていたような人もいたし、別れてから数年して、よりを戻せるか試したいと言われて試したけれど、よりを戻さないことにした人も、そのあとしばらく何もできない状態になってしまったようだった。
けれど、女の人ではなく、同じサークルの変わり者だった男のことがなんとなく頭に浮かんできていたような気もする。
それはきっと、一緒に旅行に来た友達との共通の知人では、精神に異常をきたしていたり、そうなってしまいそうな女の人というのが、薄い関係の女の人たちしかいなかったからなのだろう。
一緒に旅行来た友達は、大学時代、暇なときに俺のいたサークルに顔を出して、終わったら一緒に飲みに行ったり、サークルでイベントをする時に車を出してくれたりしていたし、その男とも仲がよかった。
共通の知人の中で、その友達と俺が一番愛着や思い出があったり、人間的に好ましく思っている、変わり者で、変わり者過ぎて普通に生きられなくて、精神に異常をきたしたりしないか心配になる人というのが、その男だったのだろう。
実際、沖縄にいる時点では、サークルで一緒だったやつらの中で、その男だけが、まともには就職しないまま、仕事先で事故に巻き込まれたりして、かなりショックを受けたらしいというのを聞いたあと、今何をやっているのかよくわからない状態だった。
そして、別にそいつのことを話題にもしなかったのだと思う。
ただ、友達に運転を任せきりにして、日が陰っていく中で流れていく景色にぼんやりしながら、さんせっくるーじーん、と口ずさんでいただけだった。
俺のことを精神に異常をきたしていると心配してくれている、一緒に住んでいたくらい中のいい友達と、そいつと二人で旅行っぽいことをちょうど10年ぶりくらいにしていたのだけれど、彼女と別れて以来、そんなに気を楽にできていたことはなかったんだろうなと思う。
そのときはそう思っていなかったのだろうけれど、そのときの俺にとって、俺を心配しているからって、勝手に心配していればいいよと、心配してくれていることに心苦しくならずにすむ唯一の相手がそいつだったのかもしれない。
ひとと一緒にいるから、自分のことを考えていられなくて、そいつと一緒にいる空気が昔と変わらないまま自分を包んでくれていることにありがたくぼんやりさせてもらっていたのだ。
そうしていると、どうしてだか、何度も何度もなんとなく口ずさんでしまう曲が、その友達が旅行に誘ってくれたことを思えば、たしかに口ずさんでしまうのもわかるようでいて、けれど、俺はひとかけらも自分が歌われている側のような気分はなしに、その歌を口ずさんでいた。
壊れていってしまった愛すべき人たちのことを話題にして、忘れていないことで、何をしてあげられたわけでもなかったことを許してもらおうとしているような、そういう薄い自己嫌悪と引き換えにしたみたいな諦めの軽やかな気分でいることを自分に許そうとしていたのだ。
そいつとの沖縄旅行は、そんなふうな、車で移動するたびに俺がぼんやりと同じ曲ばかり口ずさんでいるのをそいつがずっと放っておいてくれていたような、そんな旅行だったのだ。
(続き)
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