ものすごいきてぃがい

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固定された記事

ただ在る、という事しかできない

人生については散々に煩悶してきたのだけども、結局突き詰めると「ただ在る」しかないのだろうなって思う。 人間の能力はこの宇宙を知るにはあまりにも矮小で、だから宇宙…

結局、男は男だし、女は女。

人生云々みたいな小難しい議論については僕はほとんど完結を見たので(上掲記事参照)、ここ最近は人生がどうの宇宙がどうのという議論からは敢えて距離を置いて、より卑近…

男から見る女の人生のエグさ

今僕はホテルでバイトをしている。 で、今年にフロントに社員としてゴリゴリの正統派美人が入社した。 オスの10人中10人がはっとするぐらいの、ザ・男の子が妄想するわか…

吹奏楽部とかいう勘違い女製造機

吹奏楽部というのは、勘違い女製造機な気がする。 今バイトしている職場には、ひとり、ちょっと鬱陶しい感じで、内心では周囲から腫物扱いされている女性がいる。 その人…

弟がヤベー奴な件

ウチはストロングスタイルのしょうもない機能不全家庭であったけども、そのせいで、弟がヤバい。 僕もヤバいし姉もヤバいのだけども、弟…正確には二人いる内の末っ子の弟…

みんな普通でいいなぁ

みんな普通でいいよねって思う。 さぞかし生き易かろうね。 「自分って変わり者なんだよね」「人見知りなんだよね」「ひとりが好きなんだよね」的な事言ってる奴に限って…

天才が鬱なのはなんかもうしょうがない気がしてきた

天才が鬱なのはなんかもうしょうがない気がしてきた。 これまで僕は、「天才が鬱なのは勿体ない。だって鬱になると脳のパフォーマンスが落ちるから」「鬱を治した方が天才…

天才は鮪

天才は鮪だ。とまってはいられない。 とまったら、死ぬ。 ピカソなんかもそうだが、晩年までやたらと精力的に活動しまくった天才達は皆この病を抱えていたんじゃないかと…

世界のトップランナーは今や日本なので、欧米の猿真似をする必要はない

世界のトップランナーは今や日本なので、欧米の猿真似をする必要はない。 その事に気付いている平成世代は少なくないと思うのであるが、白人コンプが病的な傾向にある昭和…

自己有用感を欲しがる凡人達が世界を壊す

アメリカのリベラルの暴走はじめ、今日の先進国社会全般を悩ませる問題は「自己有用感を欲しがる凡人達」に帰結できると思う。 そしてなぜ今日、凡人達が自己有用感を殊更…

荒れてる人に優等生の論理を押し付けてもうまくいかないよ?って話

「自分はエリートで立派で正しい考え方ができている」「だから周囲のアホ共を啓蒙して正しい道に導いてやらねば」的な事をシラフで考えてる自覚なきアホ……つまり優等生……

いちばん有意義なお金の使い方は、本の購入だと思う

30年生きてみて思うのが、いちばん有意義な(コスパのいい)お金の使い方は本の購入だろうな~って思う。 一円あたりで得られる価値がダントツというか。 要は知識にお金…

一家言のある匿名個人のカッコよさについて

一家言のある匿名個人なんてのは、今やネットではほとんど見られなくなってしまった。 ※スマホを通じて初めてインターネットに触れた新参者はこの辺良く知らないと思うの…

アメリカには自由がないからこそ、アメリカ人は自由を叫ぶ(という仮説)

最近はアメリカの日本に対するサブカル方面での干渉が強すぎるために、嫌でもアメリカの国民性について考察する羽目になる。 なぜアメリカ人はあそこまで強迫的かつ傲慢な…

幸福になんてならなくていい。というかなりたくない。幸福というより、意義のある人生を生きたい。例えそれ(意義)が幻想でも。

岡本太郎は自著の中で『「幸せなら手を叩こう」と歌っている若者を見ると蹴飛ばしたくなる』みたいな事を言っていた(うろ覚え)。 世間一般に言われる「幸せ」というもの…

天才は露ほども自分を曲げてはならない。

天才は、露ほども自分を曲げてはならない。 なぜなら天才は精密機械であり、僅かな綻びが全体のパフォーマンスを死滅させるから。 僕は僕自身が天才なので、そのあまりの…

固定された記事

ただ在る、という事しかできない

人生については散々に煩悶してきたのだけども、結局突き詰めると「ただ在る」しかないのだろうなって思う。 人間の能力はこの宇宙を知るにはあまりにも矮小で、だから宇宙を知ろう知ろうとすればするほどに虚しいし、真実を知ろう知ろうとすればするほどに虚しい。 理性でごちゃごちゃと計算して小賢しく真実に肉薄しようとすればするほどに虚しい。 この世には所謂賢人と俗人がいて(ショーペンハウエルとかオルテガとかエドワードギボンとか、古今東西の賢人たちが散々に語り尽くしてきた“アレ”である)

結局、男は男だし、女は女。

人生云々みたいな小難しい議論については僕はほとんど完結を見たので(上掲記事参照)、ここ最近は人生がどうの宇宙がどうのという議論からは敢えて距離を置いて、より卑近な問題についてアレコレ考察するようにしている。 その中でも最近のマイブームは男女論だ。 昨今は(というか大分前から)男女がどうのジェンダーがどうの平等がどうのという“しょうもない”議論かまびすしいのであるが、僕がざっと俯瞰するに、結局それらは往時の社会主義などと同様の「失敗した思想」であろうなと思う。 往時の社会

男から見る女の人生のエグさ

今僕はホテルでバイトをしている。 で、今年にフロントに社員としてゴリゴリの正統派美人が入社した。 オスの10人中10人がはっとするぐらいの、ザ・男の子が妄想するわかりやすい美人である。 短大卒なので一般的な新卒よりも当然若いし、黒髪長ポニーテールだし、化粧っ気がないナチュラルメイクだし、華奢な体でおっとりフワフワした性格で、内気だけど(作り笑いとはいえ)笑顔がかわいいし。 これで仮に巨乳だったら完全にただのフィクションから抜け出てきた都合のいい美人である。 無論所詮は一

吹奏楽部とかいう勘違い女製造機

吹奏楽部というのは、勘違い女製造機な気がする。 今バイトしている職場には、ひとり、ちょっと鬱陶しい感じで、内心では周囲から腫物扱いされている女性がいる。 その人が学生時代は吹奏楽部だったと聞いて、なんだか腑に落ちてしまった。 僕も中学では吹奏楽部に所属していたのだが、吹奏楽部特有の「勘違いした女達によるお寒いスポコン」に嫌気が差して精神を病み一年程度で退部した。 上述の彼女からは、当時に吹奏楽部で嫌というほど見てきた「あの感じ」をまざまざと感じる。 なんか無駄にバイト頑

弟がヤベー奴な件

ウチはストロングスタイルのしょうもない機能不全家庭であったけども、そのせいで、弟がヤバい。 僕もヤバいし姉もヤバいのだけども、弟…正確には二人いる内の末っ子の弟がヤバい。 弟達は生来非常に自己愛が強い性分だった。 僕の父はわかりやすい自己愛性人格障害者だったが、彼の血を二人の弟達は色濃く受け継いでいる。 それは幼時から明らかで、幼児の時点で弟達は際立って傲慢だったので、僕や姉は弟二人を毛嫌いしていた事を覚えている。 弟達のマズイ所は、父のストロングスタイル自己愛性カス

みんな普通でいいなぁ

みんな普通でいいよねって思う。 さぞかし生き易かろうね。 「自分って変わり者なんだよね」「人見知りなんだよね」「ひとりが好きなんだよね」的な事言ってる奴に限ってクソほど凡俗だったりする現象も見飽きた。 こと僕に至っては今時珍しい、クソほど弩ストロングスタイルのザ・変人であるなと思う。 ほんと今時、僕レベルの変人って珍しい。周りにも世界にも全然いないもの。僕みたいなの。 普通でいいよな。さぞかし生き易かろなって思う。

天才が鬱なのはなんかもうしょうがない気がしてきた

天才が鬱なのはなんかもうしょうがない気がしてきた。 これまで僕は、「天才が鬱なのは勿体ない。だって鬱になると脳のパフォーマンスが落ちるから」「鬱を治した方が天才の能力をフルに発揮できるじゃん」って思ってきた。 でも、そもそもが天才と鬱というのは、切っても切り離せない関係なんじゃないだろうか。 パッと具体例が思い浮かばないのだけど、「この部分を切除したら死ぬ動物(昆虫)」みたいなもんっていうか。 とある部位を外科的に切除したら死ぬ動物がいるように、天才もまた鬱という腫瘍が完

天才は鮪

天才は鮪だ。とまってはいられない。 とまったら、死ぬ。 ピカソなんかもそうだが、晩年までやたらと精力的に活動しまくった天才達は皆この病を抱えていたんじゃないかと思う。 なぜとまったら死ぬのかというと、とまったら死神に追い付かれるからだ。 死神=希死念慮。 天才の人生には、あまりにも苦悩が多すぎる。だからいっそ死んでしまった方がいい。だから天才の脳裏には常に希死念慮が滞留している。 そしてそれが隙あらば噴出しようと画策している。 それを抑え込む方法はふたつ。 ひとつに

世界のトップランナーは今や日本なので、欧米の猿真似をする必要はない

世界のトップランナーは今や日本なので、欧米の猿真似をする必要はない。 その事に気付いている平成世代は少なくないと思うのであるが、白人コンプが病的な傾向にある昭和世代は、未だに「フランス人がー」とか言っている。 一体彼ら彼女らはいつまで、「追い付け追い越せ」の幻想に生きているのだろう。 GDPや株価云々にしてもその手の指標は前時代の産物でありとっくの昔に形骸化しているのだから、その手の指標でワーギャー言っている中高年達は滑稽としか言えない。 かつてセーラームーンのアニメの

自己有用感を欲しがる凡人達が世界を壊す

アメリカのリベラルの暴走はじめ、今日の先進国社会全般を悩ませる問題は「自己有用感を欲しがる凡人達」に帰結できると思う。 そしてなぜ今日、凡人達が自己有用感を殊更に欲しているのかと言うと、それはひとえに現代社会における『世界にひとつだけの花』的な価値観の氾濫にあるのだと思う。 「貴方には貴方だけの価値がある」 「貴方は世界を良くできる」 「貴方の人生には特別の意味がある、使命がある」 でもそんなの、幻想である。 凡人の生きてる価値などぶっちゃけゼロに等しい。 世界の大多数

荒れてる人に優等生の論理を押し付けてもうまくいかないよ?って話

「自分はエリートで立派で正しい考え方ができている」「だから周囲のアホ共を啓蒙して正しい道に導いてやらねば」的な事をシラフで考えてる自覚なきアホ……つまり優等生…或いはリベラル的な人に言える事は、 「荒れてる人に優等生の論理を押し付けてもうまくいかないよ?」って点。 個人的には、ここまで理解できてはじめて「本当の意味で知的な人物」だと思うので、この点を理解できていない世間の大多数のエリートやリベラルは、アホだなーと思う。 特にマスコミ系にはこの手の人材がほんと、はいて捨て

いちばん有意義なお金の使い方は、本の購入だと思う

30年生きてみて思うのが、いちばん有意義な(コスパのいい)お金の使い方は本の購入だろうな~って思う。 一円あたりで得られる価値がダントツというか。 要は知識にお金を掛けるのが一番いいよね(魚をもらうより魚の釣り方を教えてもらう方がいい云々)って話なのだけども、これが例えば大学をはじめ学校に通うとなると、コスパはガクッと下がる。 世の中には独学で賄える分野も多いので、そういう分野を学びに態々大学とかに行くのは極めてコスパが悪い。 胡散臭いセミナーとかにしても、そんなセミナー

一家言のある匿名個人のカッコよさについて

一家言のある匿名個人なんてのは、今やネットではほとんど見られなくなってしまった。 ※スマホを通じて初めてインターネットに触れた新参者はこの辺良く知らないと思うのだけど、15年前前後ぐらいまではネットはもうちょいディープな世界で、ネットでしか見れないような深くてマニアックな創作物が多く見られたのだ。 その喪失感を埋めるかのように、僕は僕自身で駄文を製造している。 僕が文章を書くのは「読んで欲しい」以上に、「自分で書いて、自分で読みたい」からだ。自分が読みたい文章を誰も書いてく

アメリカには自由がないからこそ、アメリカ人は自由を叫ぶ(という仮説)

最近はアメリカの日本に対するサブカル方面での干渉が強すぎるために、嫌でもアメリカの国民性について考察する羽目になる。 なぜアメリカ人はあそこまで強迫的かつ傲慢なのか? なぜヒーロー願望に苛まれているのか? なぜ容易に論理破綻を来すのか? なぜ自制や禁欲、理性主義をやたらと好き好むと同時に、他者(他国)にもそれを強制したがる国民性の割りに、肥満率が高いのか? ※自分の食事量すらコントロール出来ない人間達が語る自制や禁欲、理性主義などに説得力はない、と感じてしまうのは、僕

幸福になんてならなくていい。というかなりたくない。幸福というより、意義のある人生を生きたい。例えそれ(意義)が幻想でも。

岡本太郎は自著の中で『「幸せなら手を叩こう」と歌っている若者を見ると蹴飛ばしたくなる』みたいな事を言っていた(うろ覚え)。 世間一般に言われる「幸せ」というものが得てして狭い自己保身の産物でしかなく、そんなものに安住しているような連中(まして若いうちからそんな世界に逃げ込んでいる連中)は、碌なもんじゃない。という事だ。 二十代前半に岡本太郎の書籍に触れて以来、太郎のそんな思想に僕はうっすらと共感してきた。 ただ、それが確信を伴うハッキリした共感にまで昇華される事はなかった

天才は露ほども自分を曲げてはならない。

天才は、露ほども自分を曲げてはならない。 なぜなら天才は精密機械であり、僅かな綻びが全体のパフォーマンスを死滅させるから。 僕は僕自身が天才なので、そのあまりの孤独感からロールモデルを探し求め、天才のケーススタディをしまくってきた。 その結果得られたのが、上記の結論である。 天才の人生に常についてまわるのが、妥協すべきか?すべきでないか?という葛藤。 世間の圧倒的大多数を占める(エリートを含めた)凡人達と折り合いをつけるべきか?つけないべきか?という葛藤。 この葛藤が