自己有用感を欲しがる凡人達が世界を壊す

アメリカのリベラルの暴走はじめ、今日の先進国社会全般を悩ませる問題は「自己有用感を欲しがる凡人達」に帰結できると思う。

そしてなぜ今日、凡人達が自己有用感を殊更に欲しているのかと言うと、それはひとえに現代社会における『世界にひとつだけの花』的な価値観の氾濫にあるのだと思う。


「貴方には貴方だけの価値がある」
「貴方は世界を良くできる」
「貴方の人生には特別の意味がある、使命がある」


でもそんなの、幻想である。
凡人の生きてる価値などぶっちゃけゼロに等しい。
世界の大多数を占める凡人達には生きてる価値などない。


にも関わらず現代人は「どんな人にも価値がある」などと言う欺瞞をまき散らしてきた。


多くの凡人がそれを信じ込み、〈『世界にひとつだけの花』曰く自分には価値があるはずなのに、なぜか自分は社会から重用されていない〉という矛盾に苦しんでいる。


この矛盾と、そこから生じる凡人達の葛藤や怒りこそが、現代社会問題の根源であろうと思う。


「私には価値がある(実際はない)」「だから世界を変えられる」
「いや、変えないといけない」
「それによって自己の存在価値を立証しないといけない」
という矛盾に満ちた強迫観念がアメリカのリベラル達をはじめとする現代凡人達を有害な行動に駆り立てている。


昨今の世界トレンドである右傾化や優生思想などもそうで、植松死刑囚的な人々は「重度知的障害者には生きてる価値が無い」と言うのであるが、「いや、君らにも生きてる価値ないよ」というのが、現実なのである。
自分達には生きてる価値があると証明しようと自分よりも格下の重度知的障害やマイノリティーを貶す事で相対的に自分の地位を上げようとするのであるが、そんな事したところで、凡人に存在価値がないのは変わらないのである。




凡人の生きてる価値などぶっちゃけゼロに等しい。世界の大多数を占める凡人達には生きてる価値などない。―――と、むしろきわめてあっけらかんと認めてしまうべきだと僕は思う。


この世界には、多くの人から愛され必要とされる希少で美しい花がある。
しかし大多数の花は地味で、そこら中に咲いているから代替可能で希少価値もなく、従って誰からも必要とされない。存在価値が無い。それがお前である。―――という現実を突きつけてやる事が、むしろ現代凡人達への福音だと僕は思う。


そしてまたこういった現実を、「宇宙的視座に立てばつきつめればこの世界そのものが全て無意味である」的な悟ったぽい言説で誤魔化すべきではないと僕は思う。