荒れてる人に優等生の論理を押し付けてもうまくいかないよ?って話

「自分はエリートで立派で正しい考え方ができている」「だから周囲のアホ共を啓蒙して正しい道に導いてやらねば」的な事をシラフで考えてる自覚なきアホ……つまり優等生…或いはリベラル的な人に言える事は、

「荒れてる人に優等生の論理を押し付けてもうまくいかないよ?」って点。

個人的には、ここまで理解できてはじめて「本当の意味で知的な人物」だと思うので、この点を理解できていない世間の大多数のエリートやリベラルは、アホだなーと思う。


特にマスコミ系にはこの手の人材がほんと、はいて捨てる程いる。

死刑囚に「遺族に申し訳ないと思いますか?」とか聞いたりね。それ聞いてどうすんの?っていう。




荒れてる人達というのは論理的な問題じゃなくて、感情面での課題を抱えている。
家庭環境が悪かったとか、貧しいとか。

彼ら彼女らは感情面でのイライラとか不安への対処法がわからず、それで問題行動に出たり、過激思想に傾倒してるだけなので、すべき事は彼ら彼女らの感情面のニーズを満たす事だ。

間違っても、論理面のニーズを満たす事ではない。


「彼ら彼女らにあるのは感情的ニーズであって論理的ニーズではない」という点に気付く事は各種社会問題を考える上で非常に重要で、この大前提を理解せぬままに社会問題について考察したり対処したりしても、碌な事にならない。




トランプ大統領信者とかQアノン信者とかに得意げに「貴方達は間違ってる!」みたいな姿勢でマイクを向けるリベラルなジャーナリストがアメリカには滅茶苦茶多かったのだけど、そんな事したらトランプ信者は一層意気地になって凶暴になるだけだよっていう。(それで案の定議事堂襲撃されたわけで。)

如何にも裕福育ちで人生苦労してない坊ちゃんお嬢様感まるだしのブロンドに「貴方達は間違っている!貴方達が信じてるトランプ大統領はクソ!私が正しいモノの考え方を教えてあげるわ!」なんて姿勢で来られてイライラしない動物(人間)なんていないだろっていう。
(それでトランプ信者に「うるせーあっちいけ!」ってキレられたら「やれやれ…(呆れ)」みたいなリアクションするし。いや、お前らリベラルが率先して分断生んでんだよバカっていう。)

ましてトランプ信者を構成するようなお世辞にも先天的に知能が高いと言えない層は猶更だ。
低知能者と接する時は、敢えて言葉を選ばずに言うなら、知的障害者や幼児、或いは犬や猿と接する時と同等の姿勢で臨む事が大切である。
皮肉で言ってるのじゃなくて、きわめて真面目な話だ。

バカ犬と接する時に「お前はバカだ!」と殴ったり蹴ったりしないだろう。そんな事やったら飼い犬に手をかまれて死ぬのがオチである。
バカ犬と接する時は、むしろ「おーよしよし」と撫でてあげるだろう。
対人コミュニケーションだってそれと一緒だ。
(その点で言うと、一般にアメリカ人はコミュ力が高いなどと言われるが、実際はコミュ力は壊滅的に低いと思う。)




こういう点をまず、「自分はエリートで立派で正しい考え方ができている」「だから周囲のアホ共を啓蒙して正しい道に導いてやらねば」なエリート気取り連中は理解すべきだ。

特にアメリカのエリート様は一事が万事そんな感じのコミュニケーションスタイルなので「アホか」「そんな挑発的な姿勢でインタビューしてるからアメリカの分断が悪化していくんだよ」といっつも見てて思う。


イスラム原理主義者にせよ彼ら彼女らは結局社会的孤立からの逃避が第一にあったりするので、実はイスラム原理主義を名乗りつつもイスラム原理主義者ではないのである。*
社会的に孤立した彼らの目の前に偶然あったのがイスラム原理主義だったのであり、これがQアノンであれば彼らはQアノン信者になる。
他の宗教問題も同様だ。

※クレイジージャーニーでイスラム原理主義者達が隔離されてるキャンプにジャーナリストが取材に行った回があったが、あれにしても日テレのジャーナリストの須賀氏達が得意気に「お前達は間違っている!」と相手を攻撃しまくるせいでイスラム原理主義者達が怒っていた。
ああいう場合は、まず相手の孤立と孤独に寄り添うべきである。そうやって相手の懐に入り込まないと、有意義なインタビューもできない。


要は、根底は非行少年の行動原理と全く同一なのである。


ネオナチ青年がバイト先の店主に優しくされてネオナチをやめたなんて話もあったが、全てにおいて実はそんなもんなのである。
論理的要因から過激思想に染まったのではなく感情的要因で過激思想に染まっただけなので(要は誰かに優しくされたいだけなので)、感情面の問題がなくなれば過激思想への傾倒も止まるのである。*

※無論、性格が拗れに拗れ、かなり対処が難しいケースも存在する。


繰り返すが、満たすべきは論理面でのニーズではなくて、感情面でのニーズである。


荒れてる人と接する時はまず相手を人間として受け入れて尊重し、優しくしてやらないといけないのである。
その上で、相手を付け上がらせないようにする対人テクが必要なのだ(←これ重要)。




人間が問題行動を起こす根底にあるのはほぼ100%が感情面でのイライラや不安であって、つまり人間の問題行動を解決する際に必要なのは、シンプルに、そのイライラや不安に寄り添ってやる事だ。
論理的に相手を論破した所で、相手はそもそも論理的飢餓ではなく情緒的飢餓に苦しんでいるのだから、論破されれば一層情緒的飢餓を拗らすだけだ。


論理的に相手を論破する事が有効に機能するのは、算数や数学で「この問題の答えが分からないんですけど…」と問われた時だけだ。そういう時だけは、「その問題の答えは2だ!」と答えてやればよい。


それ以外のケースではあくまで相手の感情的ニーズを満たしてやる事だけを考えればいいのであって、それらの問題に対して論理的解決を提案しても無意味である。




日本では今後移民問題が増えていくだろうけども、本文で述べた事を把握して置けば移民問題にも適切に対処でき、日本人的日本人と移民とが上手く融和した日本国をつくっていけるだろう。