アメリカには自由がないからこそ、アメリカ人は自由を叫ぶ(という仮説)

最近はアメリカの日本に対するサブカル方面での干渉が強すぎるために、嫌でもアメリカの国民性について考察する羽目になる。

なぜアメリカ人はあそこまで強迫的かつ傲慢なのか?

なぜヒーロー願望に苛まれているのか?

なぜ容易に論理破綻を来すのか?

なぜ自制や禁欲、理性主義をやたらと好き好むと同時に、他者(他国)にもそれを強制したがる国民性の割りに、肥満率が高いのか?
※自分の食事量すらコントロール出来ない人間達が語る自制や禁欲、理性主義などに説得力はない、と感じてしまうのは、僕だけだろうか?




アメリカ人は、心に正義を持たないからこそ、正義アピールが好き

僕は長文を好まないのでざっくり結論づけるが、要は、アメリカ人のそれは得てして本心の裏返しである。


強欲な国民性“であるからこそ”禁欲がやたらと称揚される。

自信が無く不安に満ちた国民性だからこそ、(それを隠すために)自信満々に尊大に振舞う事が称揚される。

小児性愛者が多いからこそ、小児性愛が殊更に忌避される。*

差別主義者であるがために、(それを隠すために)上辺の正義ごっこを好む。

何が悪で何が正義かを判別する思考力が無いからこそ、正義ごっこを好む。


※一般論としてアメリカでは自立した女性らしくない女性が称揚されると言うが、実際は結局アメリカ男も本音では「女性らしい女性」を求めているようだ。(一部の)アメリカ男が日本女性を嫁にしたがるのは、日本女性が受け身で気弱だかららしい。さらに言えば日本女性の幼児的外見も大いに関係があるのだろう。つまり結局それが、(一部の)アメリカ男の本音である。
本心では容易に支配できる幼女を求めているが、だからこそ、それを必死に隠すために「俺達アメリカ人は自立したオトナな女性が好きだ」と対外的には装う。
小児性愛者は「俺は小児性愛者だ」とは言わないし、詐欺師は「私は怪しい者じゃありません」と言うのである。
そもそもが、『風と共に去りぬ』であるとかオードリーヘップバーン全盛期であるとかクラシックディズニーあたりの時代の女性の在り方を観察すれば分かるが、アメリカだって伝統的にはむしろ「女性らしい女性」を称揚してきた。今現在のアメリカにおける“態とらしい”オトナな女性の称揚は人工的なムーブメントに過ぎず、つまりそこには彼らアメリカ人の本当の感情は反映されていないと見るべきであろう。



ここでひとつ面白い具体例を挙げよう。

少し前に、Qアノンムーブメントが猛威をふるった。
「Qアノンという名前はなんとなく知っているがその概要はよく知らない」という人が大多数であろうけども、しかしこれがなかなか、調べてみると面白いのである。

※ただ、読者には悪いのだけどそれを語ると長くなりすぎるので、各自で適当に調べて欲しい。
ざっくり言えばネット掲示板にQアノンという陰謀論をまき散らす匿名のネラーが出現し、それに大勢のアメリカ人が触発されて大騒動に発展したという事件である。トランプ(元)大統領がQアノンを自分の政治活動に利用した事から、Qアノンはトランプ派の裏工作とする見方もあり、状況証拠的に、それは(皮肉にも)陰謀論とは言えない程度には信憑性がある。

Qアノンの正体は不明だが、かなりの有力候補としてロンが挙げられる。(※厳密には初代Qを乗っ取りすげ変わった2代目Qがロンと目される。無論、推測である。)

『Q : INTO THE STORM』というドキュメンタリーを観るに、ロンは性欲が強いらしく、性依存(ポルノ依存?)の可能性が窺える。

“そんなロンが”「裏では児童買春に興じる権力者」を「アメリカの共通敵」として設定し闘争を煽っていた(可能性がある)という事実は、人間心理を鑑みると色々な示唆に富んでいる気がする。

つまりそれが羨ましく、下下の民(或いはロン個人)の嫉妬心をくすぐるからこそ「セレブが実は裏では児童買春に興じている」という陰謀論が(一部の)アメリカ国民を焚きつける材料となるのである。
要は彼らも本心では児童買春したいのである。
(※無論これは多少極論も入っていて、Qアノン信者の構成員にはミサンドリスト的な層も一部含まれているようだ。)


フィクションにせよ現実にせよ、「悪人の悪」は得てして人々の内なる願望の投映である。

だから、その集団においてどんな人物が「悪」と目されるかを知る事で、間接的にその集団における真の願望をサルベージする事ができる。


要はつまり、とある集団においてとある概念が殊更に執着されている場合、そこにはその集団が潜在意識下に秘めている本当の願望が反映されているという事である。

アメリカ人がポリコレ連呼マンである事や小児性愛というワードに極端な拒絶反応を示す傾向、自由を殊更に強調する真の理由が、そこにある。




なぜアメリカ人は他者をコントロールしたがるのか?

話はかわるが、アメリカではなぜあそこまで極端なシリアルキラーが誕生するのか、疑問に思っている方も多いと思う。
単にアメリカは国民が多いから、その分シリアルキラーも確率論的に誕生しやすいという事だろうか?でもそれだけだとアメリカとシリアルキラーの親和性の高さを説明し切れない。

これは僕なりの仮説だけども、恐らくアメリカは自由が抑圧された国であり、それがために、その反動として(抑圧へのストレス反射として)シリアルキラーが誕生するのだと思う。




シリアルキラーの成育歴や思考回路を調べてみると、彼らは得てして劣悪な環境に育ち、その結果「支配力」「コントロール力」を欲するようになる。

劣悪な環境では自分の尊厳や自由が無視されるために、「もっと支配力が欲しい!俺に支配力さえあったら、虐待されずに済むのに!」と思い始めるためである。


だからシリアルキラーは(犯人がヘテロ男性の場合)女性の殺害を好む。(犯人がゲイやバイ男性の場合、時に少年が殺害対象となる。)
か弱い女性を力で支配し、生殺与奪を握り、レイプし、果てには殺害する事で、「俺はひとりの人間の命運を支配している」「だから俺は強いんだ、偉いんだ」と感じようと試みるのである。
それによって、過去に両親などから虐待され支配されたトラウマの払拭を試みるのである。

そこに性欲などが合流する事によって、シリアルキラーの殺人衝動は止まらなくなっていく。

これは僕の勝手な推察や妄想ではなく、実際にシリアルキラーのインタビューや精神分析映像などを観ると、彼ら(時に彼女ら)が判で押したように「支配力」に飢えていて、支配の実演としてレイプや殺人に狂奔していた事がわかる。

レイプや快楽殺人の動機を単純な性欲発散や露悪趣味に帰結させる人間は多いが、実際は上述した支配への渇望という要素が大きいのである。




―――と、ここまではあくまでアメリカンシリアルキラーの精神構造であるが、恐らくこういった精神構造を大なり小なりアメリカ国民は有している。

つまりアメリカという抑圧された環境で育ったからこそ、彼ら彼女らは自由を欲する。
抑圧の恐怖を払拭するために、支配力を欲する。
それがアメリカ人。

つまりアメリカンシリアルキラーは、アメリカンセレブとは逆ベクトルの、「アメリカ人の行き着いた先」と言える。




その結果として、アメリカ人は理知的な折衝ではなく、感情的にワーギャーと大声で自分の主張を相手に押し付けるタイプのコミュニケーションしか取れなくなる。

これはシリアルキラーが被害者の命乞いに耳を貸さないのと一緒である。

相手の意見に譲歩するというのは、つまり自分の支配力を行使しないという事だ。すると「自分は被支配者だ」という彼らアメリカ国民の潜在的トラウマ意識が噴出してしまう。


「自分は被支配者だ」という潜在的トラウマを必死に圧殺するためにこそ、アメリカ人は常に殊更に尊大に、横暴に、支配的に振舞わなくてはならない。
それによって「俺には力があるんだ」「他人をコントロールできるんだ」と思い込まないといけない。




だからこそ、アメリカ人は(ついでに言ってしまえばヨーロッパ人は)なんかやたらと日本とかにアメリカ流の正義を押し付けてくるのである。

自分に自信の無い人間は、その不安と恐怖ゆえに相手の意見を尊重できない。
自分に自信の無い人間は、一方的に相手を押さえつけるタイプのコミュニケーションしか取れない。
つまり、国家レベルで自信が無く不安と恐怖に怯えているのが、アメリカという国の正体。というわけである。




―――というのが、僕なりに考える、なぜアメリカ人は自由をやたらと強調するのか?そのくせやたらと不自由な考え方をするのか?そのアメリカ人特有の人格破綻の原因は何なのか?という問いに対する答えである。