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よくきたね、読んでおいでよ私の自己紹介|伊藤静代

伊藤静代(いとう しずか)
1992年生まれ。石川県金沢市出身、かに座。身長は170cmです。
大学進学を期に上京し、最終学歴は学士。保有資格は、介護職員初任者研修資格、メンタルヘルス・マネジメントⅢ種、なぎなた2級。
東京都内のメディア編集者として働いています。

趣味はカメラで、ニコン D3500を愛用しています。カメラは、仕事でもプライベートでもよく使います。ニコンを選んだ理由は、人物よりも景色を撮影したかったからです。

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毎日の習慣はメモ書きです。一日のはじまりと終わりに、一人の時間を作って、手書きでバババッと書きなぐります。メモに書きながら出来事を整理する時間をつくっています。

コロナが流行る前は、お散歩をするのも好きでした。一人になれる時間が欲しいときは、夜道も好んで散歩していました。お気に入りの散歩コースは河川沿いを下るような道です。カメラを首から下げて、てくてく、歩きます。

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はじめてイラストや絵に興味をもったのは5歳のときでした。祖父は画家や美術の教師をしていました。その影響で、自宅には多くの絵画が飾られていました。私もペンタブやiPad Proでデジタル画、スケッチブックに水彩画を描きます。


母親は書道の先生で、母の前で自分の名前を書くのに緊張感がありました。また、長らく絵本の読み聞かせもやっていたので、絵本がたくさん読める環境で育ちました。お気に入りの作品は『11ぴきのねこ』です。

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私の一番のストレス解消法は料理を作ることです。休日にまとめて作り置きして、お弁当やワンプレートで一週間楽しんでいます。得意料理は、だし巻き卵、パスタ料理、豚の生姜焼きで、特に生姜とトマト、豚肉、ねぎを好んで食べます。

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このnoteは私の手記として、自分の体験や感じたことを人気タグを中心にジャンルを問わず投稿しています。毎回の投稿が違うタグなので、同じテイストのコラムやマガジンの連載を楽しみにしている人にはあまり好まれません。

短くても気軽にコメントをしてくれる人にフォローして欲しいです。いつもコメント、スキをしてくれるフォロワーの皆さま、お付き合い頂き本当にありがとうございます。

さあ、ここからはみなさんのコメントから寄せられた質問に回答していきます。よろしければ、こちらの投稿にもお気軽にご質問をお寄せ下さい。よくある質問として、下記の通り回答させていただきます。

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Q1 ユニークで人にはあまりない、ちょっと変な発想の秘訣は何ですか?

私は自分自信のことを客観的にみてユニークな性格だと思っています。周りとは違う自分のことが好きだし、そのまま生きていて良いという自信を持っているので、普通であることを意識したり、周りに合わせたり、気に入られようとしたりすることが人より少ないので、ちょっと変な人だと思われがちです。秘訣は、自分を受け入れることで、自分が宝物だと信じることです。

Q2 同居されている方から見た伊藤さんはどういう人ですか?

直接きいてみたので回答をお伝えします。

―――私は変な人だと思いますか?
「その辺を歩いている掃いて捨てるほど居る人たちとは、考え方が違っていると思う。いいかげんな言葉や態度で取り繕ってもごまかしがきかない。たとえ話が分かりやすい。きっとお笑いが好きなこと、よく本を読むことで、うまい例えが思い浮かぶのだろうがそんなに秀逸である必要はない。画家のおじいちゃんの孫なので、発想の才は遺伝してるかもしれない。」

Q3 子供の頃はどんな子でしたか?

一番古い記憶は4歳のとき、夏に保育園のビニールプールに入っていて、水面から顔だけを出して青空を眺めていました。耳に水が入って、ごぽごぽ音がするのが妙に心地よかったのを覚えています。性格は、今より好奇心旺盛で大人でも男性には物怖じしないが、女性にはシャイで自分から話かけることはほとんどありませんでした。

小学生時代は、勉強は周りの子よりもできて、教科書や宿題は自分で読み進めてしまったので、授業中は答え合わせをしていました。国語と算数、理科、音楽、図工が好きでした。特に、算数と図工の先生から気に入られていました。変な性格エピソードとしては、図工の時間に1時間白紙の画用紙とにらめっこして、「さも画家が悩んでいるようなポーズを演じて何も考えてないでサボる」というひとり遊びをしてスリルを楽しんでいました。習字とアクリル絵、読書感想文が何かの選考会で入選。一方、運動は剣道を4年間、陸上競技を4年間やりました。球技や武道は苦手でしたが、走ることだけは学年で1番速かったので、運動会ではリレーの選手でした。

小学4年生のとき、家庭の不和や学校でのいじめがきっかけで不登校になり、病気も併発しました。幸いなことに、友だちに恵まれていたので全く不自由はありませんでした。面白い先生の授業だけ出席したり、給食だけ食べに学校に行っていたので、やはり変な子だと思われていたようでした。おかげさまで、高校も大学も卒業する事ができ、社会人として健康な暮らしをできるようになりました。

Q4 note米飯部のサークル活動の中身について教えて

このサークルは、色んな記事に積極的にコメントしよう、おコメ券をサポートすることで、お気に入りのクリエイターの投稿に対してnote米飯部のメンバーからコメントをして盛り上げてもらおう、といった活動をイメージして開設しました。私はnoteがコメントで賑わうことが、他のSNSやサイトよりも難しいと感じたので、もっとコメントが欲しい、コメントを気軽にしたいという想いからスタートしました。

Q5 サムネイルに使われている絵は、誰の絵ですか?

私のnoteのプロフィールアイコンは、私が中高生のときから使っているイメージ画像です。元々は誰かがが書いた線画で、私が色塗りしました。

この投稿のアイキャッチ画像は、イラストレーターのふるりさんに制作していただきました。

私の投稿に使われているサムネイルのほとんどは、「みんなのフォトギャラリー」からビビッときたものを使用させて頂いております。このほか、私が撮影した写真を加工して作成したものや、Canvaというオンラインのデザイン制作ツールのテンプレートを使用しています。

Q6 大切にしている言葉とか格言は何ですか?

『いつかゴールに達するという歩き方ではだめだ。一歩一歩がゴールであり、一歩が一歩の価値をもたなくてはならない』
ゲーテ(ドイツの作家・詩人)

このゲーテの言葉は、私の哲学、人生観、仕事の姿勢を言い表しているので、とても大切にしています。自分の好きなことに夢中になることや、自分の足元を固めて支えること、死ぬ気で全力を振り絞ること、忍耐強く我慢することは、必要な時と場合があります。いずれにせよ、いつか自然とたどり着くだろうとか、この辺でいいだろう、他にも道があったかも知れないといった志では、何かしら後悔は残ってしまうと思います。

まずは自分のゴールを決めて、そのゴールに向かって行動を起こすこと、その一歩に価値をもたせることが肝心だと、この言葉は私に思い出させてくれます。

Q7 反対にこれだけは許せねえと思う言葉は何ですか?

「私はもう死んでしまえばいいの」

1つ目は、私の祖母が軽度の認知症が現れはじめたときに言った言葉でした。私はおばあちゃん子で、実家に住んでいた頃は、毎日おばあちゃんと一緒にお話をして、食事をとり、仏壇に向かい、隣の部屋で寝るといった生活を送っていました。弱気になりついこぼしてしまった言葉でしたが、私は大激怒したのを覚えています。夕食の時間になって、おばあちゃんから「さっきはごめんなさい」と謝られてハッとする思いでしたが、一日でも健康でいて欲しい、笑っていて欲しい、幸せでいて欲しい、さみしい思いがないようにという想いが爆発した、許せない言葉でした。

「長生きなんてしなくていいんだ、ぽっくり逝きたいね」

2つ目は、私の父がキッチンの換気扇の前でタバコを吸いながら言った言葉でした。その時は、静かに言葉や態度が荒げるようなことはありませんでしたが、とても許せないという気持ちが強かったことを覚えています。そんな父ですが、それから7年後のこと、私が一人暮らしをはじめ病床に伏していたとき、急に軽トラックで片道8時間をかけて上京してきて、「俺は20代のころに心に決めたことがあるんだ。90歳まで生きて、必ずやりとげる。お前の人生だ。自分と誓った人生をゆっくり歩いていけばいい。」と正面から励ましを贈ってくれました。大人になっても人は変わることができるんだと思った大切なエピソードの一つです。

Q8 自分のユニークさを受け入れ、自信にしていけたきっかけはなんですか?

私の場合、きっかけは、自ら望んで産まれてきたという自覚でした。これを自覚するのに必要だったのは、支える両親と、模範となる先生、よき先輩や友人たちだと思います。

例えば容姿について、「私はこの姿にどうしてもなりたくて望んで産まれてきた」とすれば、いったいどういった理由があるのでしょうか。私は小学生のころから、アトピー性皮膚炎に悩まされていました。体の節々がかゆいのはもちろんこと、目立つおでこやほっぺは腫れ、乾燥して掻いたところからは血が出て、黄色い体液は白いシャツを汚しました。大人になって分かったことは、周りの人よりも、人の見た目で嫌悪することが少ないこと、目立つ部分より目には見えない部分に光を当てることが得意になりました。肌を清潔にするように心がけていたら、思いもよらず「どうしてそんなに肌が綺麗なのか教えて欲しい」と褒められるようになりました。きっと、私はこれが欲しくてアトピーが必要だったんですね。

例えば性格について、私は特定の仲良しグループとだけ協調するのが苦手です。小学生の時も、スポーツができる人気者たちとも、ゲームが好きなインドア派とも、クラスでいじめられている女子とも、クラスで一番腕っぷしが強くて怖がられている大男とも、考えなしに話かけていました。おかげで、いじめっこから攻撃を受けたり、仲間はずれにされたり、奇異の目でみられたり、急に腹を殴られたりすることもありました。何が楽しくて、私はこんな性格に産まれてきたのでしょうか。大学生のとき、私は毎日違う人とランチを食べていました。月平均で20人余の男女と部活や家族、恋愛、将来の夢について話をしました。大人になって分かったことは、人は色んな体験やストーリーがあり、それはシェアできること、目の前の一人の信頼を得れば、その人を支える良き友人とも出会えるということでした。これは今の仕事にも活きています。きっと、私は人と出会い、そこで聴いた体験が自分の人生に必要だったから、この性格じゃなきゃいけなかったんですね。

このように、自ら望んで望まれて産まれてきたことを自覚をするためには、人が必要でした。父親は、私の身心をただの一度も責めることなく、油や土で黒くくすんだ仕事人の手で、家族のために働いてくれました。母親は、学校に行きたくないという私を「大丈夫」と言って強く抱きしめてくれました。恩師はその両親への親孝行こそが、行き詰まった自分を変えるカギだと教えてくれました。先輩は、ひきこもりの私をラーメン屋に連れ出し、こんこんと話を聴いてくれました。友だちは、こんな変わった私を受け入れて、また立ち上がることを信じて待ってくれました。私には、誰かが決めた、偶然の産物というより、自分でなりたいように生まれてきたと思います。

以上、私の #自己紹介 でした。

質問してくれた皆さま、最後まで読んでくれた皆々さま、本当にありがとうございました。

次に読んでほしい、私のnoteに対する価値観


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