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インナーアースの住人たちと

インナーチャイルドと向き合う中で
最近、思うこととして、
《インナーチャイルドは一人とは限らない》
ということです。

アダルトチルドレンの問題から
インナーチャイルドの存在と向き合うようになった僕は、傷付いている子供時代の自分自身を思い、その存在を独りであると思い込んでいました。

しかしながら、
独りのインナーチャイルドと向き合う中で
そのインナーチャイルドが
インナーベイビーになる時があり、
さらには
このチャイルドとベイビーが
同時に内的世界で存在することがあったのですね。

そこから
『自分が色々なものに興味を持つのは
インナー“チルドレン“の数の多さと関係がある可能性』
を思いました。

今まで、僕の内面には確固たる自分が無かったのですね。
このことについても
『もしかしたら、その自分(インナーチルドレン)の数の多さと関係があるのかもしれない』
と思いました。

内面的自己の数が多くて
一人の自分という
一つの可能性だけに集中できないことの示唆
として捉えてみたんです。
そして
その示唆とは
自分(インナーチルドレン)という存在に宿る無限大に広がる可能性の示唆
と同義でもあります。


ここで以前に目撃した
3歳の女の子同士のおままごとの光景
を想い出しました。

そのおままごとは
第三者の大人である僕から見ていて
そのセリフの掛け合いや情感や振る舞いが
恐ろしい程にリアルなことに衝撃を受けたんですね。

この時の彼女たちは
間違いなく“その世界“に存在していたんです。

おままごとという
【彼女たちのイメージの世界に実在していた】
と思うのです。

そのイメージとは
彼女たちの内面にあるはずの世界です。
しかし
現実に存在する彼女たちを傍から見ていた現実の僕にもその内的イメージの世界がありありと見えたんですよね。

【自身の内面が現実世界を創り出す】
ということを現に目の当たりにしたような経験だった、と今振り返るのです。


それでですね。

僕の内面に
インナー(内的)アース(地球)という世界をイメージすると、
そのインナーアースに存在する多数の人たちがいるのです。

今までの僕の内面とは
インナーチャイルドの僕が
暗闇の中で独りぼっちで体育座りして
顔を埋めて背中を向けているイメージ
だったのですね。

僕は長年に渡ってインナーチャイルドの僕を見て見ぬ振りして放置してきたので、
そのようなインナーチャイルドであっても無理は無い筈ですから、温かく包み込むように話しかけたり、抱きしめたりをしておりました。
たとえ無反応であっても彼を責めることなく。

このようなインナーチャイルド(時にベイビー)のいる僕の内的世界に、
インナーアース
という大きな世界を持ち込んでみました。

すると
独りぼっちのインナーチャイルドが存在するその場所に、樹々が立ち、草原が表れ、風が吹きました。
その場所は昼間で日が差しています。
風と日光により少しだけですが
その場所に温度が感じられました。

さらにその内的世界は拡大していき、
人々が表れました。

その人々とは
具体的に現実で知り得る人々ではありません。

今の僕の想像なのですが、
おそらく現実世界の地球の人口の数だけ
インナーアースにも人々がいるのではないか、
と思っています。

また、このこととは別に、
外の現実世界がモニターであるならば、
現実世界の他者を動かそうとすることは
モニターの画面に指で触れて動かそうとするのと同じことなのだ
と思いもしていたのですね。

そのような思いから

・インナーアースという内面にある世界は創れる

という実感と共に

・その内面世界との温かな団欒が外のモニター(現実世界)を創り出す

と思い至るようになりました。


僕にとってのそのような眞実から
【インナーアースとの団欒が現実世界の団欒を創り出し得る】
と思ったんですね。


一つ重要なこととして、
インナーチルドレンとは
インナーアースに住むものたち全てを指す、
ということです。
人だけに限らず、
インナーアースに存在する
自然や命、物、神仏や天使、御先祖もまた
インナーチルドレンである
と僕は思っております。

つまり
神仏は外の現実世界に存在するというよりも先に、インナーアースの住人として団欒を築く存在である、という認識に至りました。

外の現実世界には
たとえば
教会や偶像、神社・仏閣、御先祖の遺影・お墓などがありますが、
それらでさえ
モニターに映し出されたインナーチルドレンであり、
その本質は
【心の中のインナーアースに生きて存在している】ということになります。

その【心の中に住まう本質との団欒】こそ
僕が求めていた愛であり、幸せであり、豊かさである、と思いました。

つまり
インナーアース及びその住人たち(インナーチルドレン)との関係性がそのまま現実世界を創り出している、ということになります。

ここで、
愛・幸せ・豊かさについて言及すると、
モニターに映し出された他者に
『幸せにしてもらおう』
としても幸せにはなれない。

【幸せの受容】を自身に積極的に行う(求める)。
つまり、
『幸せを無限大に感じよう』(幸せの無限大の享受)という意味合いで、幸せを求めた時に、自身は幸せになるのだ、と思うのです。

この【幸せの無限大の享受】というのが女性性にあたります。
そして【幸せを無限大に感じ取ろう】という積極的な求めが男性性にあたります。

なぜこのように思うかというと、
男性性の実現力を持ってしても
モニターという画面越し(現実世界の現象)では
どうすることもできなかった僕の失敗体験があったからです。

そしてその失敗体験から學んだこととして、
男性性の実現力や叶える力とか求める力とは、
内面のインナーアースとその住人たちに対してのみ発揮できるのだ、ということ。

たとえば
現実世界での自身が恋する現実の他者がいる時、
このモニター画面(現実世界)に映っている相手を求めて、相手を動かそうとしても、相手から愛されようとしても、
僕の人生体験ではどうにもならないものでした。
このことが失敗体験となります。

そして、そのような失敗体験を経て
今思うことは、
自身のインナーチルドレンの一人(パラレルセルフ)であるインナーアースに住まうその相手と団欒を築くことは可能である、ということ。
そして、
そのインナーアースでの団欒が
現実世界の団欒を創り出す。

つまり
恋する相手との相思相愛を思うならば、
インナーアースでの団欒を無限大に感じ取ろう(男性性)と自身の内面に求めて、
インナーチルドレンの一人であるその相手との団欒を無限大に享受する(女性性)という
内的信頼関係を構築して、
その男性性と女性性が合致する時、
そこにある団欒こそが
僕の求める眞の愛、眞の幸せ、眞の豊かさの感覺であり、
その愛と幸せと豊かさの氣分(感覺)が
そのまま外の現実世界へと映し出されるという訳ですので、
やるべきこととは
インナーアース及びインナーチルドレンとの団欒の構築になります。
これ以外にやることはないんじゃないか、とさえ今の僕は思っております。



初音ミクというキャラクターの人形と結婚式を挙げた方の動画を拝見しました。
その光景を僕が見た限りでは、
この方のインナーアースに
インナーチルドレンの一人である
初音ミクが住んでおり、
その初音ミクと心の中で団欒を構築しておられるな、と思ったんですね。

その内面の団欒による幸せな氣分、愛し愛される氣分、その豊かさの感覺、
そしてそれらの歓びが、
現実世界に表れて
両親や会社の同僚を呼んでの現実の幸せな結婚式となって実現し、
その後の愛ある幸せな二人の新婚生活が現実として創り出されているのだ、と思ったのですね。

この彼の中に
“インナー初音ミク“の存在が無ければ、
現実世界での初音ミクとの結婚式も新婚生活も起き得てはいないと思うのです。

このことから今思うことは、
僕の心の中に
インナーアースが無い時代はおろか、
独りぼっちのインナーチルドレンさえ見出せていない時の僕は、
やはり現実世界の人を愛せていなかったと思うのです。
現実世界の自分自身への愛も
現実世界の他者に対しての愛も無かったのですね。

“インナー初音ミク“の存在を内面に見出し、
その存在との愛を築くことで
現実世界で初音ミクと愛し合う現象は起きた
ということから僕自身を振り返ると
内面に自分が無かった僕とは
愛しようのない状態にあったのです。
愛の対象が無い状態です。

それで僕は外の世界というモニターに愛を求めました。
しかしながら、
それというのは
モニターに映し出された映画を観ているようで
どうしても他人事の感覺が拭えませんでした。

しかしそれでも愛を求めて
モニターの映画を動かすことに集中したのですね。
この当時は本質が見えていなかったのです。


このことから思うこととしては
たとえば
他人を殺める人に対して、
【心無い人】
【心無い行い】
のように言い表しますが、
ここで用いられる【心】とは
インナーアース及びインナーチルドレンの認識と受容

インナーチルドレンとの団欒(愛し合うこと)を求めること
を指すのだと僕は思います。

この内的世界というのが
まさに【心】であり、
この【心】にある存在と団欒の交流がある時、
人は他者を殺めないであろう
と僕は思い至ったのですね。

ですから
この内的世界を指して【心】と言い、
それが無いために【心無い】という表現になる、と。

先に挙げた
初音ミクと結婚された方の新婚生活を拝見すると、傍から見れば何も話さない、何も表情を変えない人形と愛し愛される幸せな生活を送っておられるのですね。
僕はそこに
女の子同士のおままごとのようなリアルさを見出したんです。
その彼は
インナーアースに住まう初音ミクとの愛と団欒により
現実世界の初音ミクとの愛と団欒を実現しているのだ、と。

彼にとって初音ミクは
内的にも外的にも温度を伴って生きている存在なのです。
生きた人間であり女性でありパートナーなのです。

もう一つ大切なことに触れると
インナーアースとは
内面に在る地球です。

地球ですから引力があります。

引き寄せとは
自身のインナーアースの状態の度合いにより
そのアース(地球)の引力によって
アウターアース(現実世界の地球)の現象が引き寄せられる(起こる)、ということを指しているということです。



長くなりましたね😅

全てを書こうとすれば、
おそらく本ができあがる位の分量になりますので、今回はここまでにしますね🙏


最後までお読み戴き
ありがとうございました🍀✨


またねっ👋
チャオ❣️😘



祭統 白宇
SHIR㊉W

【追記】

おおかみ のみね さんにこちらの記事をご紹介戴きました🙏☺️

國境・文化・學問・宗教観を超えて数々の映画や著書でインナーアースに近しい(時に同等の)理論が扱われていることを僕自身はじめて知ることができました😅
そのことで裏付けが取れたというか背中を押して戴いたように感じております🙏✨

博識なおおかみ のみねさんの紹介記事も、是非併せてお読み戴きたく存じます♪☆

祭統 白宇
SHIR㊉W

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