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朧月に色を見る(ほがらかふぇvol.5)

冬から春へ
春から夏へと時は循環する。

やがて來る
実りの秋を見据える。

自然を見ていると
時は流れ過ぎ行くものでは無く
循環の中の流れに過ぎぬ事に氣付きます。

それは
月の満ち欠けも同じ。
同じ月は無いけれど
満ち欠けのサイクルの中に在る。

同じ瞬間は無いけれど
大きな視点から見るならば
➖循環の中にある瞬間➖

愛もまた循環の中に。
愛もまた瞬間の中に。

先日、明治神宮へ参りました。

明らかに治める(明治)。

ふと
➖朗らかに治める➖
と思い浮かびました。


明確な階級のような線引きをせず
皆が王となったなら。

僕の思いです。


愛とは全て。

これは愛。
それも愛。
だけど
あれは愛じゃないよね。

そのような線引きは
愛を前に無意味だと思っています。

全てとは愛。

➖僕たちとは既に愛に統べられている➖

その安心感が心地良い。



太陽のような愛だけが全てではないのです。
月のような愛を見過ごしていないか。
否定していないか。

そこにある思い遣り。
ここにある優しさ。
今ある柔らかな眼差し。

それは朧月のようにぼやけているかもしれない愛です。
しかしそのような愛が在り、今の僕はここにいます。

僕は太陽の愛を理想としました。
月の愛を振り払って。
そして、今の現状があるのです。
良い悪いを超えて、ただそれを認める。

➖明治と朗治(ろうち)➖

太陽の愛が素晴らしいように
月の愛も等しく素晴らしい。

月の愛を見つめぬのなら
太陽の愛は眩しくて見られぬ。

月の愛を受け取らぬのなら
太陽の愛は熱くて持てぬ。


心にも太陽の時、月の時、雨の時があるだろう。

心もまた自然。
心もまた循環。
その循環の中にある瞬間を大切に。
だから
なにも恐れる事はない。
なにも責める事はない。
循環の中にある安心を。
その瞬間を恐れぬこと。

人間とは自然物。
ですから
心もまた自然なのです。

白黒思考のように
太陽のみを白として
月や雨を黒としなくて良い。

月と雨にも眼差しを。
太陽と等しい眼差しを。

僕たちは自然に統べられている。
僕たちは愛に統べられてる。
だから
安心して暮らしていける。

僕らは自然の民。
僕らは地球の民。

➖愛の民➖としての誇りを宝に。

やがて
明治と朗治は統合し

➖明朗に治める➖だろう。

心から。
心から明朗に。


自然の中にある心。
嵐の時もあるだろう。
雪の時もあるだろう。

全てを明朗に受け入れる。

味わおう
歓ぼう
感謝しようなどずいぶん後からで良い。


現実に嵐の時、
僕らは嵐の中にいるしかない。
僕らは既に嵐を受け入れているではないか。

現実に雪の時、
僕らは雪の中にいるしかない。
僕らは既に雪を受け入れているではないか。

心も現実の自然と同じ。
それを受け入れて生きる。

その瞬間、辛いだろう。
その瞬間、怒るだろう。
でも人は修羅ではない。

人には人の心が在る。

白黒思考は修羅の道。
生きるか死ぬか
生かすか殺すかの修羅の道。

白と黒の間に在る色こそ
観音の道。

白と黒の間に極彩色の観音世界が広がっている。

明確な白を求めない。
明確な黒を選ばない。


朧月に極彩色が宿る。

朧月に極彩色を見る心。
これが観音の道。

それも愛の道。

修羅の道も人の道。
その道を否定しない。
誰しもにその道は続いてある道。

人の心が幸不幸を決めるように
人の心が道を歩ませる。

修羅の道も愛の道。
観音の道も愛の道。

道の選択も白黒ではない。
他の道も在るだろう。

朗らかな道も良いではないか。

全ては愛。
全ての道は愛の道。
全ての選択も決断も。

明治も朗治も全てが愛。

統べて在る愛。
自然が統べているこの地球のように。
自然が統べているこの人心のように。

➖愛が統べるこの世界➖


自然は➖子宝➖を憎んでいない。
他者とは➖子宝➖
心も自然なら
全ては➖子宝➖

全ての➖子宝➖に色を見る。
色の違いは個性。
極彩色の個性が在る。

違いこそ➖宝➖

しかし
違いに明確な線引きは要らぬ。


朧月夜に朗らかを思う。


循環の中の流れに身を任せ過ぎず
時に自らも泳ごう。
泳ぎっぱなしもしないけれど。


そんな朗らかな在り方を
僕は朧月に見るのです。


祭統 白宇 ➖Shirow Saitow➖



『朧月に色を見る(ほがらかふぇvol.5)』

《了》

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