死にたいんじゃなくて、本当はつらい原因をとりのぞきたい
先般、痛ましい事件が発覚し、尊厳死や安楽死についての議論がやおらTwitterで沸き起こっていた。わたしはその流れの中で、「人が死にたいと思ったときに、そのまま死ぬことを援助するのではなく、どうすれば生きたいと思えるか支援することが大事なのではないか」「多くの人は完全無欠に死にたいと考えているのではなく、多くの場合何か原因があって死にたいと考えているのだろうから、その原因に対してアプローチしたほうがよいのではないか」といった意見を目にして、それらがスッと自分の中に染みこんで