アイスクリームと脱走者/42


42.プロポーズのつもりで

 冬休みに入ってこの冬一番の寒波がやってきた。

 クリスマスの日。駐車場からうまし家に向かう途中でワイパーを上げ忘れたのに気づき、わざわざ車まで戻った。凍ってしまったらあとが面倒だ。

 彩夏のところに泊まりたかったけれど、明日は朝から予定が入っている。兄の婚約者との会食。

 兄に恋人がいると知ったのはつい最近だった。結婚したい人がいるから会わせたいと、兄はわたしにも予定を空けておくように言った。両親と兄は午前中仕事で、明日はわたしが駅までその人を迎えに行くことになっている。しかも、会食のために兄が予約したのはシェ・アオヤマだ。

 気重な昼食会を頭の外へ追いやり、わたしは聖夜のアルバイトに勤しんだ。クリスマスツリーは営業終了と同時に倉庫に片付けられ、レジ脇に置かれているのは新年会向けのチラシ。

 クリスマスもあと数十分で終わる頃、うまし家のカウンターではスタッフ一同がブッシュ・ド・ノエルを味わっていた。朝日さんが差し入れてくれたものだった。

 隣でおいしそうにケーキを頬張っていた美月さんが、「そうそう」とわたしを見た。

「愛莉が、春にはシェアハウスを出るんだって」

 そうなんですか、と返すと、そうなんだけど、とクスクス笑う。そして声を潜めた。

「私も部屋探そうかなあって、啓吾になんとなく言ってみたら、ずっとここにいてほしいって。あの建物、啓吾の叔父さんの持ち物なんだよね。たぶん、プロポーズのつもりだと思うんだけど」

 わたしは呆然と美月さんを見つめた。

「今さらですけど、美月さんと啓吾さんが恋人同士だったことに驚いてます」

 美月さんはピタと動きを止め、フォークから落ちそうになったケーキを慌てて口に入れる。

「啓吾は私のこと好きだし、あとは私がどうするかって感じだった。ある意味恋人よりも大事な人かな。家族みたいな」

「結婚するんですか?」

「わかんない。わかんないけど、啓吾とは一緒にいれたらいい」

 ブッシュ・ド・ノエルをきれいに平らげた美月さんは、皿の端に残していた苺を摘んで口にもっていく。そして「あっ」と呟いた。

「千尋ちゃん、そういえばあの件だけど。啓吾がね、ご両親の了解を得られるなら部屋貸してもいいって」

「本当ですか?」

 あのシェアハウスに住めないだろうかと、わたしは一週間ほど前に美月さんに聞いてみたのだった。両親の了解、という言葉が重くのしかかる。

「でも千尋ちゃん。ちゃんと考えてみてね。車の維持費もかかるだろうし、駐車場は別にどこか借りてもらうことになる。家賃も安いとはいえタダじゃないし、そのためにバイト増やしたりしたら家なんて寝るだけになっちゃうよ。車手放したら通学するのも家に帰るのも不便だろうし、焦って家出なくてもいいと思うんだけど」

 たまに泊まりにくればいいじゃない、と美月さんは諭すように言った。

「もう一度考えてみます」口にしたものの、わたしはどこかホッとして、これ以上話を進める気はなくなっている。

「あの、美月さん。愛莉さんがいなくなったら部屋の場所変えたりしないんですか? 啓吾さんと同じ方に住めばいいのに」

 美月さんは「実はね」と、ちょっと呆れたような顔をした。

「それ以前に、一階部分の壁をぶち抜こうかって話になってるのよ。とにかく男どもは自分の仕事場を広げたくてどうしようもないって感じ。ギャラリースペースを作って販売しようとかね」

 美月さんの横顔をながめながら、二人の未来を想像した。それから、兄とまだ見ぬ婚約者のことを考えた。

 二人でどんな未来を歩もうとしているのか、その決断の意味を知りたくなった。


次回/43.猫をかぶる

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長編小説/全62話/14万5千字程度/2017年に初めて書いた小説です。

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