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アイスクリームと脱走者/32


32.宇宙人だと思えないから

 洗面所へ戻り、鏡を見た。

 男子に「ブース」とからかわれた顔。女子たちが優越感混じりに「そんなことないよ」とフォローしてくれた顔。

 あのころ、わたしは「ブス」という言葉を投げかけてくる人たちを心の中で罵っていた。わたしが傷つくことで彼らが満たされるなんて許せなくて、平気なフリをした。けれど、鬱憤は未消化のまま堆積していく。

  その呪縛から逃れる術を、いつだったか教えてくれたのは奏さんだった。クレーマーの客にうんざりし、愚痴をこぼしたときのことだ。

「ああいう人のことは宇宙人だと思えばいいよ。違う星に住んでるんだから意味不明なの。聞くだけ聞いて、分からないなら分からないままにしときなよ。嫌なやつのために、自分の脳みそ使うのもったいないじゃん」

 脳みそ使うのもったいない、という言葉に目から鱗が落ちた。

 ――ミサトさんって、ブスだよね。

 波多の言葉は悪口に聞こえなかったし、自分が傷ついてるなんて思わなかった。だから心の整理がつかない。

 洗面所の鏡をじっと見つめた。

 どうせブスだよ。波多はメンクイだし、陽菜乃先輩キレイだし、見た目は関係ないなんて、いい人ぶってる。圭はスッピン見ても何も言わない。ヒロセさんも好きだって言ってくれた。

 波多のことも「宇宙人だから」と割り切ってしまえばいいのに、それができない。わたしが傷ついていることをわかって欲しい。

 彩夏のアパートを出る前に、波多にメールを送った。

『高校のとき傷ついた。でも、悪気がないのはわかってるから、もういい』

 大学の正門を抜けて、まっすぐ文学部棟へ向かった。人通りはほとんどなく、広場のベンチでスマホを確認すると、もうじき午前の講義が終わる。学生の姿が増えはじめ、しばらくして彩夏が顔を出し、その隣には思ったとおり波多がいた。

「彩夏、鍵ありがと。今日は圭は一緒じゃないんだ」

 視界の端で、波多は顔をそむけている。

「講義室にいたからもうすぐ出て来るんじゃないかな。たぶん三回生の先輩と一緒。足掛け三年大学にいるから、圭は交友関係広いんだ。とりあえずわたしは消える。二人はちゃんと仲直りしなよ」

 彩夏の背中を、波多と並んで見送った。微妙な空気のまま立ち止まっていることもできず、二人そろって生協の方へと歩き出す。波多は沈黙を埋めるように落ち葉を蹴り上げ、何枚目かの葉っぱをクシャと踏み潰して足を止めた。

「ミサトが言ってたのって、いつ頃の話?」

 波多の視線を感じたけれど、顔を見返すことができない。わたしは彼を置いて先を歩いた。後ろから聞こえてくる足音に、ときおり枯れ葉を踏みしめる音が混じる。

「高二の秋。ユカも一緒にいたよ。テニスコートで話したの、覚えてない? 波多とまともに話したのなんて、そのときくらいだと思うんだけど」

 思ったより近くで「ああ」と声が聞こえる。

「三人で話したのは覚えてるけど、言ったのはやっぱり覚えてない。ごめん」

 謝罪のつもりなのか、下げた頭を横に向け、波多はわたしを見上げた。

「あのときミサト、地面に英語のタケ先の顔描いてたよな」

「そんなの描いたっけ?」

「描いてた、描いてた。顎のしゃくれ具合とか激似だった。その直後の英語の授業で思い出し笑いしたら、タケ先に怒られたんだ」

「おぼえてない」

 波多はどこか楽しげだ。

「ミサトと話したの、もう一回あるよ。一年の合宿のとき、体育館のグラウンド側の扉のとこで」

「あ! グラウンドで金髪の男子がサッカーしてた時? あのとき話したのって波多だっけ」

 首をひねるわたしに「俺、そんなに印象薄かった?」と苦笑する。

「あのときのミサト、すごく険しい顔でそいつら見てて、何怒ってんのって俺が聞いたら、あの人達幸せそうじゃない? って言ってさ。そのあと、わたしも金髪にしてやろうかなって。俺には相当なインパクトだった」

 ミサトのイメージ変わったんだよね、と波多は懐かしそうに話している。

 グラウンドを駆け回る金髪の高校生たち。兄と重ねて彼らを疎ましく思ったのも、いっそ自分も金髪にして全部ぶち壊してしまいたいと思ったことも、はっきりと思い出せた。誰かと話した記憶も蘇った。けれど、それが波多だといわれてもピンとこない。

「わたし、波多にそんな話したんだ」

「覚えてないだけでもっと話してたりして」

 波多は冗談ぽく言ったけれど、浮かべた笑顔はすぐに引っ込めた。

「俺、思ってないよ。ミサトのことブスとか。前は、……もしかしたら思ったのかもしれないけど」

「やっぱり思ってたんだ」

「思ったかもしれないけど、俺んちではブスはそんなに悪い言葉じゃないっていうか。なんていうか、魅力というか」

 ブスが魅力だなんて、と思ったけれど、しどろもどろの波多を見ているとどうでものよくなってくる。もう少し言い訳を聞きたくて、わたしは笑いをかみ殺していた。

「俺も変だって分かってるんだ。小さいころフレンチブルドッグ飼ってて、ブサイクな犬なんだけどかわいいし、愛嬌があるし、見てて和むんだ。母親も姉貴も、この子ブスよねえって、バカみたいにかわいがってたから。言葉の選択を間違っちゃったっていうか、さ」

「苦しい言い訳。ブサイクって言ってるし」

「なんだけど、そうじゃなくてさ。えーっと、見てて飽きないっていうか、何ていうか」

 わたしの口からはついに笑い声が漏れ、波多があからさまにホッと息をついた。

「波多、許すからお昼おごって。生協でいいから」


次回/33.喧嘩は未遂

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長編小説/全62話/14万5千字程度/2017年に初めて書いた小説です。

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