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アイスクリームと脱走者/33


33.喧嘩は未遂

 サンドイッチとミルクティー、クッキー&バニラのアイスをおごってもらい、袋を波多に持たせて生協を出た。

「この寒いのにアイス食うの?」

 波多は寒そうに肩を縮める。

「せっかくおごってもらうんだし、今日のわたしのラッキーフード、アイスクリームなんだって。占いでやってた。でも寒いから半分あげる」

「なんだそれ」と、彼は呆れたように言う。

「あ、波多って誕生日七月七日だったよね。星座、蟹座?」

「俺の誕生日なんてよく知ってたな。正解。蟹座」

「ユカ情報。蟹座は今日の占い十二位。残念だね、波多」

「そっか。十二位だから忘れ物で遅刻した上に、おごるはめになったんだ」

 ――陽菜乃先輩と遠距離かあ。七夕生まれの波多にはピッタリだね。そんな言葉をユカが口にしていたのを思い出していた。

 学食はいつもどおり混み合っていて、座れそうなのは隅のパイプ椅子だった。学食を斜めに突っ切ると、知り合いから「誰なの」と問いかけるような視線を向けられる。それをやり過ごし、目的地に到着したときにはひと仕事終えた気分だった。

 窓を背に、波多と並んで椅子に座る。

「外寒そうだけど、中は熱気がすごいな。アイス溶けないうちに食べよう。半分くれるんだろ」

 波多は袋から自分の分を取りだし、残りをわたしに差し出した。アイスクリームの容器は冷たく、カーディガンの袖口で持つ。アイスクリームは口の中ですぐに溶けて、喉を落ちた甘い液体が体の熱を奪った。

「寒くなったから、もういい」

 波多に渡したアイスは半分以上残っていた。彼はラッキーと一瞬で空にし、パンとおにぎり二個を平らげ、のんびりとスマホをチェックし始める。わたしのサンドイッチはまだ半分くらい残っている。

 午後の講義に間に合うように黙々と食べていたから、波多の声をつい聞き流してしまった。電話でもしているのかと思ったら、わたしに話しかけたようだ。

「え?」

「……いや、だから。もっと怒ってもいいと思うってこと。俺がひどいこと言ったんだから、もっと怒ってもいいのに」

 波多は視線を合わせないまま、独り言のようにつぶやく。

「波多は悪くないよ。わたしが勝手に傷ついただけ。もっとメンタル鍛えないと」

「そうかなあ? 傷ついたら、怒っていいと思うけど」

「でも、わたしが傷つかなかったら怒らなくてすむじゃん」

「たしかに、全部自分のせいにしちゃえば喧嘩しなくてもすむんだろうけど、言わないと伝わらない」

 波多の言ってることは理解できる。感情的に怒って関係が壊れるのが怖いから逃げているだけだ。

「俺は、ミサトが思ってること言ってくれたほうがいい。じゃないと、こうやって何年も傷ついたままなんじゃないの? 一人で完結しようとすんなよ」

 わたしは何と返すべきか分からなかった。本当のことを言って嫌われるくらいなら、何も言わないほうがいい。波多とは今のままがいい。そんなことを考えている。

 波多は拗ねたように下唇を突き出していた。

「波多、照れてる?」話をそらすと、彼は口元に手をあててチラとわたしを睨んだ。

「俺ひとりに語らせるなよ。恥ずかしいから」

 ガタッと音をさせて勢い良く立ち上がった波多は、パイプ椅子を畳んで「行こう」とわたしを促した。まわりの喧騒が急に耳に届き、時刻を見て慌てて立ち上がる。

「仲直りでいいよな」

 早足で歩きながら、波多がわたしを見た。すぐまた視線を前に戻す。

「喧嘩だったの?」

「喧嘩にならなかった。ミサトが怒らないから」

 波多は学食を出てすぐのところにある時計に目を向け、安心したように歩調を緩めた。彼に合わせて歩きながら、わたしは家でのことを考えていた。

「わたし、言いたいこと言えないんだ。怒ると先に涙が出る」

「溜め込み過ぎだろ。怒るなら小出しにしろよ。溜め込まれるとあとが怖そうだから」

 波多の言葉は正しいかもしれない。彼の蹴り上げた落ち葉を見つめながら口にした言葉は、それとは正反対だった。

「怖くなかったでしょ。三年も溜め込んでたのに」

 わたしの言葉に波多は微妙な笑顔を返し、その笑顔に名前をつけるなら『不完全燃焼』がピッタリな気がした。

「ミサトとの初喧嘩がいつになるか楽しみにしとく」         

 わたしの三年越しの傷は少しだけ癒えて、波多との喧嘩は未遂に終わったようだった。


次回/34.再婚の祝いに

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長編小説/全62話/14万5千字程度/2017年に初めて書いた小説です。

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