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アイスクリームと脱走者/11


11.左手の傷を隠す

 深夜の国道を、海岸に向かって車を走らせた。大学からほど近い場所で、彩夏や友人を乗せて行ったことがあった。

 車のヘッドライトが流れ星のように過ぎ去り、波多はそれをぼんやりと眺めている。

「山名さん、彼氏がいるんだ。ここら辺から車で一時間半くらいのとこ。彼女の地元だって」

 なんのタイミングだったのか、急に波多が口にした。

「へえ、彼氏いるんだ」

 わたしの声に、わずかに批判がこもった。

「彼女、心療内科に通ってて」

「え……」

 思ってもみなかった言葉だった。チラと隣を見ると、いつのまにか波多はこちらに体を向けている。

「病院に行くときは彼氏がこっちに迎えに来てる。春くらいかな、救急車で運ばれたことがあったんだ」
 
 小さくため息をついたようだった。

「あいつのここ、見てないよな?」

「どこ?」

「左手の、手首んとこっていうか、腕のへん」

 なんとなく、波多の言いたいことを察した。

「見えないよ。長袖だし」

「傷がね」

 わたしはため息をつきたくなるのを堪え、アクセルを踏み込む。ダッシュボードのデジタル時計は、とっくに日付が変わっている。

「山名さんが救急車で運ばれたとき、俺は家にいたんだけど、今くらいの時間に先輩から電話がかかってきた。俺んち、市立病院からけっこう近いだろ」

「そうだっけ」 

「近いんだ。自転車だと五分くらい。だから様子見に行ってくれって先輩に頼まれた。俺が着いたときには山名さんの彼氏が来てて、俺の行った意味なかったけど」

 その彼氏は、山名さんのアパートを出て地元に帰る途中だったらしい。

 山名さん本人から電話を受けて救急車を呼び、自分も病院に駆けつけた。その途中でボランティアサークルの部長に電話をした。何かあった時のために、連絡先を交換していたということだった。

 波多は山名さんと話すことなく帰ったらしい。

「なんていうか、無力だなあって」

「そんなこと、ないよ」

「そんなことあるよ」

 交差点を曲がり、国道から外れてしばらく行くと、古い民宿が連なる海沿いの道に出た。

 少し窓を開けると、ザアッと波の音が聞こえてくる。民宿の明かりが消えるあたりまで進み、駐車場に車をとめた。波多がドアに手をかける。

「降りるの? 寒いよ」

「せっかく来たんだから」

 彼はさっさと車から降りてドアを閉め、わたしは後部座席のパーカーを掴んで外に出た。風が冷たい。

 波多の後ろを歩きながら、足跡が波に消されるのを眺めた。

「陽菜乃先輩に、何もしてあげられなかったんだ」

「……え?」

 何の前触れもなく彼は口を開き、わたしは無意識に足を止める。波多は振り向きもせず、慌てて追いつこうとして砂に足をとられた。

「あっ」声を出すと、ようやく彼は立ち止まる。

「ミサト、またこけたのかと思った」

「こけてないよ。今も、さっきも」

 波多は近くの流木を指さし、「座ろっか」と歩いて行く。海を正面に見て腰をおろし、わたしも隣に座った。

「高三の夏休みに、陽菜乃先輩に会いに行ったんだ。そのとき西野さんに会った」

 わたしの反応を確かめもせず、波多は砂浜を見つめている。

「先輩と西野さんが仲いいのは知ってた。マンションも一緒に探してもらったって。年上だし、頼りにしてるんだろうな、くらいにしか思ってなかった。女同士だったから。
 先輩は普通に俺を出迎えてくれて、外でご飯食べて、話して。特に変わったことなんてなかった。俺は久しぶりに会えて浮かれてたけど、先輩はいつも通りだった。でも、急に先輩が座りこんで、顔色も悪いし、すごく苦しそうで、救急車呼ぼうかって言ったんだ。そしたら、大丈夫だから西野さん呼んでって。それで、電話したら男の声がした。会ったらもっと混乱した」

 ビックリだよな、と波多は小さな声でつぶやいた。

「圭に、会ったんだ」

 続く言葉を見つけられず表情をうかがったけれど、うつむいたままの彼がどんな顔をしているのかわからない。

「西野さん、今よりも男っぽかった。見た目だけじゃなくて、陽菜乃先輩にとっては俺よりずっと頼りになる男なんだって思った。色んなことがショックで、西野さんに全部任せっきりで、後ろで荷物だけ持って先輩の部屋までついて行った。
 俺、そんとき初めて先輩のマンション行ったんだけど、西野さんが自分のポケットから合鍵出してるの見てさ、なんか部屋に入れなかった。もともと日帰りのつもりだったし、もう帰るって言ったんだ」

 波多はわたしを見て、泣きそうな顔で笑った。いつもみたいにクシャと顔をちぢめて。

「ガキだな、俺」

 わたしが首を振ると、彼はもう一度「ガキだよ」と呟いた。

「帰って、そのあとは?」

「陽菜乃先輩に会ったのはそれが最後。帰り、西野さんが途中まで送ってくれて、先輩の発作は受験のときからあったって教えてくれた。精神的なものだって。
 俺、何も知らなかったんだ。だから、二人の間に入っていけない気がした。俺じゃ無理だから先輩のことお願いしますって、西野さんに言ったんだ」

「それで、別れたんだ」

「まあ、そうかな」

 波多の声は笑いを含んでいた。過去の自分を笑ったのかもしれない。別れ話はてっきり陽菜乃先輩からだと思っていたから、わたしは少し驚いていた。

 波多が何かしゃべろうとした時、またスマホの振動音が聞こえたけれど、五回ほどで切れた。

「そんとき、西野さんに怒られた。男だろって。自分はもうとっくにフラれてるし友達にしかなれないって」

「圭、波多が先輩とつきあう前にフラれたって、言ってたよ」

 そっか、そうだったよな、と彼はどこか気が抜けたようにこぼす。

「帰ってきてから先輩に電話したんだけど出てくれなくて。しばらくして別れようってメールが来た。だから、結局あの二人上手くいったんだと思ってた」

「圭、陽菜乃先輩とはつきあってないよ」

「内緒にしてるだけかも」

「そんなことないよ。だって、彩夏にもフラれたって言ってた」

 すこし間があった。

「マジか」と、彼はそれまでよりすこしだけ憂いの晴れた笑い方をする。「マジだよ」と笑うと、強ばりがほぐれた。

 漁船の明かりが見える。その上に、数え切れないほどの星が見える。

「俺さ、山名さんのこと、先輩の時のリベンジみたいに思ってた」

「リベンジ?」

「今度はちゃんと見てあげなきゃ、みたいな。病院の一件から、頻繁に声かけるようにしてたんだ。サークルの先輩にはほどほどにしとけって言われたんだけど」

「どうして?」

「俺も、どうしてって思った。でも」

 波多はさっきブルブルと鳴ったポケットを、ぽんぽんと叩いてみせた。

「夜中の電話とか。呼び出しとか。最初は付き合ってたけど、このままだとエスカレートするんだろうなって。サークルの連中と探りながら今の距離に落ち着いた。というか、落ち着かせたいと思ってる。情緒不安定な時もあるけど、普通の子なんだ」

 色々な思いがとりとめもなく頭の中を駆け巡る。正解なんて、たぶん存在しない。

「リベンジはできなかったんだけど、リベンジとか、そういうの意味なかった」

「だね」

 相槌をうつと、彼は自分を納得させるように「うん」と声に出してうなずいた。

 高校のときの波多と、今の波多が、わたしの中でひと繋がりになった気がした。


次回/12.そんな時代じゃないから

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