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アイスクリームと脱走者/47


47.千尋は千尋のペースで

 翌日、昼過ぎに史緒さんを駅まで送って彩夏のアパートに行った。部屋はスッキリと片付いて、ベッドの上にだけ服と小物が散らかっている。

「明日から彩夏いないんだよね」

「うん。明日の朝イチの高速バスで帰る。今日がバイト納め」

 スーツケースに服をくるくると丸めて詰めながら、彩夏は教授から連絡があってね、と言った。

「春に語学留学しないかって。シンガポールに、たった一週間だけどね。急だよね」

「彩夏、来年の夏に半年ドイツって言ってなかったっけ」

 そうなのよね、と彩夏は作業の手を止める。

「実家帰ったら親に相談する。教授の勧めって言ったほうが説得しやすいし」

 ご機嫌な口振りの彩夏の頭の中は、語学よりショッピングと観光のようだ。跳ねるような手つきで、彩夏はスーツケースをバタンと閉めた。

「そういえば千尋は就職とかどうするの? 親の会社で働くとか」

「それはない」

 流されるまま地元の大学に決め、必要な単位を取得して二年後には卒業。その後のことがまだ想像できない。

「そうだ!」

 彩夏が浮かれた声で手を叩いた。悪戯でも思いついたような顔をしている。

「千尋、店長のところに就職しちゃえば。オフショアの件は返事したの?」

「やるって返事した。でも就職とは別の話だよ。うちの親、恥ずかしいからやめてって、絶対言う」

「めんどうだね」と彩夏は他人事のように言う。

「千尋はもし反対されなかったらやりたい?」

「わかんない」

「千尋は、好きなものに手を伸ばすのヘタクソだよね。甘えるの下手だし」

 よっと立ちあがった彩夏は、机のうえのポーチからキシリトールガムを取りだした。

「彩夏、禁煙続いてるんだ」

「吸うよ。一日三本まで減らした。あんまり張り切ると挫折しちゃうから」

 彩夏はガムを自分の口にポイと放り込み、そのあと「はい」とわたしに差し出す。

「ちゃんと考えてるんだ。彩夏らしい」

「千尋は千尋だから。千尋のペースでいいんじゃない? 就職のことも、波多のことも」

 彩夏はそう言って、突然後ろからギュッと抱きついてきた。

 happy icecreamで波多に抱きしめられたことは、彩夏には話していない。あれ以来、近づき過ぎないように”友だち”らしく振る舞って来たつもりだ。

「波多のことって?」

 聞き返しながら、波多が彩夏に話したのかと思う。

「千尋、波多のこと好き?」

 頭と頭をくっつけたまま、彩夏が言った。速まる鼓動が彩夏にも伝わってしまいそうだ。

「どっちかって言うと、好きかな。彩夏の方が好きだよ」

 ウソつき、と言う彩夏の息が耳にかかった。ガムのミントっぽい匂いがする。

 片付いた机の上に、短期留学の要項を書いたプリントと冊子、その横に、どこから仕入れてきたのかシンガポールの観光ガイドが二冊置かれていた。

 バイトが終わったあと、わたしと彩夏はレジの前に立っていた。目の前で店長が腕組みをしている。

「調理師学校出てるのは新太だけだよ。ヒロセも隆也も調理師免許は持ってるけど、学校行ったわけじゃない」

 そうなんですか、と彩夏が言う。

「学校行かないと調理師免許取れないと思ってた。ね、千尋」

 わたしは「知ってたよ」と返す。ネットで少し調べただけなのに、店長は「へえ」と興味をそそられたように口を歪めた。

「ヒロセはシェ・アオヤマで働いてるときに免許とってる。隆也は、どこって言ってたかな。二年間勤めてれば受けれるよ」

「だって、千尋」

 彩夏の首元のファーが、クスクスと笑う息でふわりと揺れた。興味はあるのに、会話に参加すると後戻りできないような気がして、わたしは曖昧な相づちばかりうっている。

「焦んな」店長が見透かしたように言った。

「免許持ってるからウマいもんが作れるわけじゃない」

「分かってます。でも、彩夏と比べると焦るんです。彩夏みたいに行動力ないし」

「は?」と彩夏は呆れ顔で、またクスクス笑う。

「千尋も行動力あると思うよ。厨房とホールかけもちなんて、わたし絶対やりたくない」

「俺もよくやってると思うぞ。そうじゃなかったらオフショアに行けなんて言ってない」

 二人の言葉に、つい口元が緩んだ。「千尋、ニヤけてる」「わかりやすいな」と言われて口元を隠す。

「うるさいな、もう。それでも彩夏がうらやましいの」

「大丈夫。迷ってても、気持ちがそっちに向かってたら何とかなるよ」

 店長のマネをして、彩夏はわたしの頭をポンポンと叩いた。


次回/48.決断したんだよ

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長編小説/全62話/14万5千字程度/2017年に初めて書いた小説です。

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