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アイスクリームと脱走者/41


41.惚れ薬のせい

 みっちゃんのことを話す店長は、まるで弟の話でもしているようだった。

「ガキの頃から知ってるヤツだから勝手にやれってわけにもいかないし、勢いだけでなんとかなると思うなって言ってるんだけど」

 わたしは中学の体育祭を思い出していた。みっちゃんは着付け競争でドレスを着る役だった。

 小学生の頃には、ピンクのヘアピンをあげたことがあった。わたしはそれを二つ持っていて、みっちゃんが何度も「かわいいね」と羨ましそうに言うものだから、ひとつあげた。

「千尋、なんか飲む?」

 遠い過去から、波多の声で呼び戻される。わたしのグラスは氷だけになって、波多は二杯目のジントニックを飲んでいる。

「アイス食べたいな」

 ポロリと言葉が出ていた。アイスクリームと小人の絵が頭にあったからかもしれない。

「ごめん、アイスはないんだ。これで我慢してくれる?」

 啓吾さんが出してくれたのは、オレンジの房の形をしたチョコレートだった。

「ハッピーアイスクリームなのに、アイスないの?」

 頬杖をついた美月さんが、からかうような笑みを啓吾さんに向ける。チョコレートを口に入れると爽やかなオレンジの香りが広がった。

 ふと思い出して、わたしはカバンの内ポケットを探った。

「何? チロルチョコじゃん」

 波多がわたしの手をのぞき込んだ。以前、奏さんにもらったものだった。

「奏さんにもらったの。魔法使いのチョコだって」

「惚れ薬でも入ってるの?」

 あげる、と波多に渡すと、彼は包み紙を開けて口に放り込む。かすかにコーヒーの香りがした。

「惚れ薬、効いた?」

「うん、効いた」

「嘘ばっかり」

 店長が二杯目を飲み終わるころ、奥に座っていた愛莉さんと友花さんが席を立ち、「帰らないから」と美月さんに耳打ちして店を出ていった。他の二組もつられるように会計を済ませ、あっという間にわたしたちだけになった。

 美月さんは一人ちびちびとウィスキーを飲み、啓吾さんと店長はずいぶん話が弾んでいる。わたしは少しずつ眠気がさしてきて、半分眠った状態で波多の話に相槌を打っていた。

 コトッという音が突然はっきり聞こえた。

 カウンターに突っ伏したまま目を開けると、琥珀色の液体がグラスの中でゆらゆらと光を反射している。隣に人の気配があった。

「起きた?」

 グラスが目の前から消え、波多の顔があらわれる。同じようにカウンターに頭をつけて、わたしを見た。

「千尋、前に来たときも寝落ちしたんだって?」

 わたしはぼんやりと波多の笑顔を見つめた。

「他のみんなは?」

「バーニー行ってる。千尋も行く?」

「行かない。波多、行ってきたら?」わたしは目を閉じる。

「寝るの?」

 波多の手が、わたしの髪を耳にかける。返事をせずにいると「いいけどね」と諦めたように小さなため息が聞こえた。なんとなく後味が悪くなり、目を開けると波多はわたしをじっと見ている。わたしは逃げるように顔を反対に向けた。

「千尋、ヒロセさんのことが好きなの?」

 わたしは顔をそむけたまま首を振った。放っておいてほしいと思ったけれど口にはしなかった。

「俺んちここから近いだろ」

 わたしが返事をしないのに、波多は構わず話し続ける。

「何度か見かけたんだけど、何て言うか、モテるみたいだよ。俺が口出しすることじゃないけど、ちょっと心配っていうか」

 吹っ切ったつもりなのに胸が疼いた。

 ギィと椅子の軋む音がし、波多が立ち上がった気配がある。起きてるんだろ、と聞こえたけれど、返事を待っているわけではなさそうだった。

「ここにあったのって、どんな絵?」

 絵の女の子に尋ねるように、波多の声は優しかった。

「夢に出てきたんだ」と、わたしはつぶやく。

「どんな夢?」

「覚えてない。でも、泣きながら目が覚めた」

 夢を見た時の感情が蘇り、涙が流れた。音もなく涙は流れ続け、波多は気づいているはずなのに、知らないふりをしていた。

「この絵の女の子は楽しそうなのに」

 波多が口にして、わたしは涙を袖で拭う。立ち上がり、隣に並ぶと彼はわたしの手をとった。

「惚れ薬のせい」と波多は言う。

「惚れ薬なんて嘘。童話の中だけの話。奏さんみたいなこと言わないで」

「奏さん、千尋にはそんな話するんだ。あんまり話したことないけど、あの人の話と言えば下ネタしか思いつかない」

「奏さんは魔法使いで、わたしはシンデレラなんだって」

 ふうん、と波多のぶっきらぼうな相づちがおかしくて、わたしはつい笑ってしまった。

「千尋はシンデレラじゃなくて小人だろ」

 千尋はこれな、と波多は絵の中の小人を指す。列の最後尾で、転んで半べそをかいている。その小人に、緑の帽子の小人が手を差し出していた。

「波多はこれ?」

 手を引かれ、気づいたら抱きしめられていた。わたしは、この夜のことは覚えていないフリをすることにした。


次回/42.プロポーズのつもりで

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長編小説/全62話/14万5千字程度/2017年に初めて書いた小説です。

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