アイスクリームと脱走者/40


40.「年内で店閉めるんだ」

 花壇脇の看板が、ライトに照らされていた。

 Cafe&Restaurant Offshore

 わたしはエントランスの石段に座り、美月さんは少し離れたところで啓吾さんに電話をかけている。店長はわたしのすぐ横に立って、通り過ぎる人にぼんやりと視線を向けていた。

「波多、遅いですね」

「まあ、待ってやれよ。わざわざ自転車で来るんだから」

 わたしたち三人は店長の車でオフショアまで来て、車を家に置きに帰った波多を待っている。チラと店長を見上げた。

「ヒロセさんが離婚してなかったの、知ってました?」

「ああ」と、店長は花壇の縁に腰をおろした。

「らしいな。朝日は知らないだろうけど、ヒロセが朝日の親父さんに頼み込まれたんだってさ。娘の気まぐれだから離婚届出すのは待ってくれって」

 なんだかなあ、と店長はぼやく。

「ヒロセに聞いたのか?」

「朝日さんです。店長、朝日さんは気づいてたのかな」

 わたしとヒロセさんのことを、と口にしなくても伝わったようだった。たぶんな、と店長は言う。

「女は怖いな。正直、俺は自信がなくなった。俺が望んだように二人は元に戻ったけど、あいつらがこれからどうなるか。案外、千尋ちゃんとくっついたほうがヒロセも幸せだったのかもな」

 店長は力なく笑い、わたしは「冗談でしょ」と反射的に返した。

「わたし、ヒロセさんといても幸せになれない気がします」

「ハハッ、そうか」

 店長はなぜか嬉しそうに笑った。しばらく笑い続けて、電話を終えて歩いて来た美月さんが「酔っぱらい?」と顔をしかめた。

 波多が合流し、四人でhappy icecreamに向かった。早めの忘年会なのか人通りが多く、自転車を引いて歩く波多は路地で何度も立ち止まる。クリスマスソングがどこかから聞こえてきた。

 次第に人けがなくなり、路地の突き当たりにその店はある。クローズの札がかかっていたけれど、気にとめず美月さんは店に入っていった。店長もそれに続く。

 波多は電信柱に自転車を繋いでいた。鍵をポケットにしまうと、「千尋さあ」とわたしの名前を呼ぶ。彩夏や圭、うまし家のバイトのせいか、最近ではミサトと千尋がごちゃ混ぜになっていた。

「何? 寒いから早く入ろ」

 寒さに耐えながら急かすように言うと、波多は「そうだな」とわたしの隣に来る。

「何言おうとしたの?」

「大したことじゃないよ」彼はドアを押し開けて店に入った。

 カウンターは手前の二席が空いていた。友花さんと愛莉さんの姿が奥に見えたけれど、手を振り合うだけで話はできそうにない。男女のカップルと男性の二人連れを挟んで、美月さんと店長。波多とわたしで満席になった。

 美月さんはウィスキーの入ったグラスをすでに手に持ち、店長のグラスには氷と無色透明の液体が入っている。

「ライムいりますか」

「ちょうだい」

 啓吾さんがライムを切っているあいだに、店長はグラスに口をつけた。ライムの乗った小皿が、グラスの横に置かれる。わたしがその様子を見ていると、「ジンだよ」と店長が言った。

「お前らも頼め」

 波多は「ジントニック下さい」とすぐ言ったけれど、わたしはカラフルなボトルに目移りして途方に暮れる。

「女性に人気のカクテルでも作ろうか」と言う啓吾さんに甘え、大人しくうなずいた。

 啓吾さんはグレープフルーツを半分に切り、スクイーザーで果汁を絞った。手際よく作られた淡いコーラルピンクのカクテル。

「スプモーニだよ」

 啓吾さんはわたしの前にグラスを置く。ほろ苦く、果肉が口の中で弾けた。

「啓吾君、さっきの話の続きだけど」

 波多と二人で目を向けると、店長は追い払うようにシッシッと手を振る。

「お前らは勝手にイチャついとけ」

 口にしたあと、店長は気まずい顔でわたしを見た。その視線に気づいたのはわたしだけのようだ。

「店のことですか」と啓吾さんが言う。

「ええ。年明け以降は全然開ける予定ないんですか、ここ」

 思いがけない店長の言葉に「え」と声が漏れた。

「年内で一旦この店閉めるんだ」ごめんね、と啓吾さんは淋しげに微笑む。

「千尋ちゃん、そこに飾ってあった絵、覚えてる? その絵を買ってくれたお客さんから依頼があって、大きい作品になりそうだから、しばらくそっちに集中することにしたんだ」

 啓吾さんが指す場所に目をやると、あの小人とアイスクリームの絵はなかった。かわりに横長のフレームに収められた別の絵がかかっている。ひとりの少女と七人の小人がいて、一列に並んで右に行進している。その先にどんなに楽しみが待っているのか、少女は楽しげだ。

「あの絵、売れちゃったんですか?」

「欲しかったの? あれはちょっと買えない金額よ」

 美月さんが店長の向こうからヒョイとのぞきこむようにわたしを見た。

「もう一度見たかっただけです」

 答えながら、ため息が漏れる。

 店長はライムを絞ってグラスに落とし、ペロッと指を舐めて顔をしかめた。

「ところで、その依頼が仕上がったあと再開の予定は?」

「これを機会に、いい人がいたら譲ろうかと思ってるんです。絵の仕事もコンスタントに入るようになったし、一度そっちに集中したくて。それで、店長さんのところでやってもらうのはどうかって美月に話してたんですけど、まさか今夜来られるとは思ってなくて。もともと叔父の所有している建物なので、急いでどうこうという話ではありませんし」

 美月さんは「私のおかげよ」と、おいしそうにウィスキーを飲んでいる。

「この規模をうちでっていうのは難しいけど、店やりたいって知り合いはいるんだよね」

 店長はフロッ爺の頭でトンと煙草の灰を落とす。「どんな人ですか」と啓吾さんが聞いた。

「この近くのバーニーって店の、ヒカルって子なんだけど。知ってるかな?」

 啓吾さんは心当たりがあったらしく「ああ」とうなずく。

「バーニーにしては化粧も服もおとなしい感じの子ですか」

「そうそう。その子であってる」

「若いですよね。見た感じだと二十歳くらい」

「ハタチ?」と、わたしは思わず声を上げてしまった。二十歳と言えば同い年だ。

 店長が何か思い出したように「そういえば」と、わたしを見た。

「千尋ちゃん、ヒカルのこと知ってるかも。年は二十二って言ってたから学年は二つ上になるけど、俺の家の近所の子。安養寺光成」

 わたしはしばらく固まっていた。目の前で波多が「大丈夫?」とヒラヒラ手を振る。

「知ってたのか」と店長が笑った。

「知ってます。みっちゃん、同い年の二十歳です」

 ポカンと口を開けた店長は、「サバ読んでたのか」とクツクツ笑いはじめた。

 みっちゃん。

 母がLGBTの番組を見て話題を振ってきた、小学時代の同級生。女の格好で街を歩いていたという。

「店長、みっちゃん実家に住んでるんですか?」
 
「ああ、実家。去年、あいつんちの祖父さんが脳梗塞で倒れて、米作る男手がいるから帰ってきたんだよ。親父は単身赴任中だし。まあ、家では普通に男の格好してるし、彼女もしょっちゅう遊びに来てるから近所の人たちは光成が女装してるなんて知らんけど」

 女装しているけれど、彼女がいるみっちゃん。わたしが母に吐いた暴言は、ずいぶん的外れだったのだ。


次回/41.惚れ薬のせい

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長編小説/全62話/14万5千字程度/2017年に初めて書いた小説です。

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