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アイスクリームと脱走者/0

#小説 #長編小説 #恋愛小説 #青春小説 #家族 #LGBTQ #ヒューマンドラマ #田舎 #大学生 #回避傾向 #日常 #14万5千字 #全62話  
第50話まで無料です


0.波多君


「ミサトさんって、ブスだよね」と、波多君は言った。

 わたしは一瞬なんと言われたのかよくわからず、それはたぶん、波多君の言い方が「ミサトさんって右利きだよね」くらい棘のないものだったから。

 高校のお昼休みの時間のことで、その日は同じテニス部のユカと、テニスコートの倉庫前で待ち合わせていた。

 波多君もテニス部だった。

 彼と仲がいいのはユカ。わたしはそれまでほとんど話したことがなかった。だから、お弁当箱の入った巾着袋を手にテニスコートまで来たとき、ユカの隣に彼が座っているのが見えて少し動揺した。

 わたしが声をかけるのをためらったのは、ユカの気持ちを知っていたからだ。

 ユカは波多君のことが好き。

 ユカとは中学のときに大会で顔を合わせたり、一緒に合宿をしたことがあって、なんとなく一緒にいるようになった。

 男友達の多いユカは、たぶんクラスに仲の良い女子がいなくて、だからわたしに波多君のことを打ち明けたのだろう。

 男子にも気安く話しかけるユカと、引っ込み思案のわたし。その組み合わせは、我ながらずいぶんアンバランスだと思う。だからというわけではないけれど、わたしたちの関係はテニスコートの中でだけだった。

 ユカが学食で男子と笑いあってる姿や、波多君たちと自転車で帰る様子に、わたしはぼんやり寂しさをおぼえていた。

 そんな感じだったから、ユカから秘密を打ち明けられたときは舞い上がってしまった。ユカがわたしを信頼してくれているということと、彼女みたいな人でも恋に悩んだりするのだということに。

 だから、倉庫前に座るふたりを見てわたしは足を止めた。それなのに、ユカは何でもないみたいに「ハロー、ミサト」と手を振ってきた。

 コートに足を踏み入れると、風で閉まったフェンスの扉がガシャンと音をたてた。校舎の裏山が、わずかに色づきはじめている。

「ミサトさん、俺、邪魔じゃない? 」

 波多君の手には食べかけの焼きそばパンが握られていた。ユカが「じゃまだよ」と心にもないことを言う。

 中学から一緒だったというユカと波多君は、わたしからすればかなり”仲がいい”。

「邪魔だなんて、全然」

 わたしがユカの隣に座ると、彼は大きなひとり言みたいな声で「あー、もう、どうにかなんねーかな」と空に向かって言った。

 アハハ、とユカがわらった。

「あのね、ミサト。波多ね、陽菜乃先輩からの返事待ちなんだって」

 すい、とトンボが目の前をよぎる。

「返事?」

 波多君はそっぽを向いて焼きそばパンにかぶりついた。

「だからー、きのう告白しちゃったんだってさ。もう言っちゃったくせにうじうじしてるから、ミサトも一緒に愚痴聞いてやって」

 ユカはわらっていたけれど、わたしは居心地が悪くなった。

「なあ、ユカ。どう思う。俺、いけそうかな」

「どうかな。波多と陽菜乃先輩って、まさに月とスッポンじゃん。先輩のお父さんって教育委員会のお偉いさんとかじゃなかったっけ。トップクラスだし、インターハイもいいとこまでいったし、それに比べると、波多はねー」

 ユカはちょっと意地悪な口調でいうと、サランラップに包まれたおにぎりにパクリとかぶりついた。

「だよな」

 波多君は大袈裟にうなだれる。ユカはわたしと目をあわせようとしない。

 陽菜乃先輩は、地元のナントカ娘くらいなら軽く選ばれそうなキレイな人だ。面倒見がよくて、わたしみたいなタイプでも気負いなくしゃべれる。

「ミサトさんは?」

「え?」

 わたしに話が振られるなんて思っていなくて、箸を止めたまま言葉に詰まった。

「なんでもいいからさ、陽菜乃先輩ってミサトさんから見たらどんなかんじ?」

「えっと、美人、だよね」

 とりあえず口にした言葉の陳腐さに情けなくなりながら、「だよね」と聞こえた声が不機嫌でないことにほっとした。

 波多君は飲み干したコーヒー牛乳の紙パックをクシャッと潰し、そのあと紙パックみたいにくしゃっと笑った。

「でも顔じゃないんだ」

 照れているのか鼻をこすった波多君は、ふと何か思いついたようにわたしを見た。

「なんかさ、悪い意味じゃなくて、ミサトさんって、ブスだよね」

「はぁあ?」

 ユカが調子っぱずれの声を出した。

「なに言ってんの、波多。ミサトはかわいいじゃん」

 ユカは腕を振り上げて殴るフリをする。波多君は両手でブロックするフリをする。

 わたしは二人のやりとりをながめながら、男子に「ブス」と言われて女子に「かわいいよ」とフォローされる、このやりとり小学校のときもあったな、なんて考えていた。

 女子たちのユウエツカン。

「顔とか関係ないってハナシだよ。ごめんミサトさん。悪気なかったんだ。ブスってそういう意味じゃなくて」

「じゃあ、どういう意味なのか説明してよ」と、強気の声はもちろんユカだ。

 たぶん、ユカが怒っているのは、わたしのことじゃない。波多君がユカ以外の人を好きだと知ったからだ。

「だから、ブスっていうのはさ……」

「あの。気にしてないから、その話もうやめ、ない?」

 わたしが波多君の声をさえぎると、ユカが「ふん」と鼻から息を吐き、波多君は両手をあわせて「ごめん」と頭を下げた。

 そのあと、三人でいったい何を話したのか、今となってはまったく覚えていない。

 傷ついていないと思っていた。

 この時のことを忘れてなかったと思い知らされたのは、大学に入ってずいぶん経ってからのことだ。

次回/〈1〉再会

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長編小説/全62話/14万5千字程度/2017年に初めて書いた小説です。

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