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一週間で夜行バス4回乗り継ぎ紀行 第5話 最終回


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名古屋を深夜に出たにもかかわらず、到着したのは5時台で、辺りは真っ暗、人々も寝静まっている北陸は富山でございます。この名古屋と北陸を結ぶ夜行バスは、距離が短いからか需要が少ないからか定かではありませんが、コンセントもWi-Fiもありませんでした。もちろん、バス会社や車両にもよるとは思いますが、このような短距離路線に乗る場合はこういうこともあると想定して行動しなければなりません。さもなければ、未明の駅前でコンビニ(に売ってる充電器)を求めて右往左往する羽目になりますのでね。さて、読者諸兄は、富山といえば何を連想しますでしょうか。大抵の場合、立山、黒部、五箇山なんかになってくるかと思うのですが、私は即座にコンパクトシティを連想します。

簡単に説明すると、コンパクトシティとは、中心市街地の活性化を図る施策を指します。日本においては、都市機能の集約と交通結節点の整備によって、中心市街地に住宅や商店、事業所の立地を誘導するのが一般的な手法です。そして、富山市は、日本におけるコンパクトシティの成功例として確固たる地位を築いています。富山市が路面電車と路線バスの公共交通網に合わせて徒歩生活圏を整備するという画期的な都市構想、通称「お団子と串」を実装していることが高く評価されているのです。

富山市の中心市街地


しかし、考えようによっては、東京や大阪は既に一流のコンパクトシティと言えるのではないでしょうか。見た目上は全くコンパクトではないどころか世界最大の都市圏人口を誇っておる訳ですが、人口あたりで見るとその限りではありません。東京は、あの膨大な人の波を道路交通に頼らず鉄道主軸で毎日さばいている奇跡の都市です。世界に類例のない奇跡を可能にしているのは先進国にあるまじき満員電車と狭い住宅なのが玉に瑕ですが、これは富山市が理想とするところに極めて近いと言えます。東京も大阪も、百年前から鉄道会社や住宅公団などの手によって「お団子と串」の都市構造が形成されてきたと言えるでしょう。

一方で、先進的な都市政策を実装している富山市はと言うと、実は富山県が世帯あたり自動車保有台数で全国2位なんですよね。試みに平日朝ラッシュ時の路面電車に乗ってみました。地方とは言え普通に県庁所在地なので、そこそこの乗車率だったかと思います。興味深かった点としては、海側の富山ライトレールと中心市街地側の富山地鉄が富山駅を挟んで直通運転を行なっているのですが、ライトレールの乗客は概ね3/4が富山駅で下車、地鉄の環状線の乗客は殆どが富山駅から乗車して中心市街地までの間に下車、中心市街地から富山駅へ戻る間は空気輸送に徹していました。

輸送品目:空気


富山市の政策は、公共交通の利便性向上という点では、高い効果を発揮しているように思われます。しかし、それをコンパクトシティという目標に結びつけるには、まだ乗り越えなければならない壁が多いと言わざるを得ません。結局のところ、中心市街地への自動車乗り入れと郊外開発を抑制しないことには、都市構造を変革することは不可能なのです。日本独特の財政再建を主目的としたコンパクトシティ政策は、税収の増加に繋がるかが政策評価の尺度として大きすぎるのだと思います。短期的な税収増加を目指すに当たっては、壁を乗り越えるより壁の手前でとどまった方が良い。富山は、その意味でやれるだけやったのだろうと思います。この壁を乗り越えるには、もっとコンパクトシティを含む都市政策について、国民が関心を持って議論を深めていく他ないでしょう。

ところで、偶然スターバックスの割引券を持っていたので、富山にある日本一美しいとして名高い店舗へ行ったりしました。スタバのコーヒーは美味しいし、強力なWi-Fiも使い放題なので、旅先で困ったときは重宝します。しかし、スタバの最大の特徴は環境に優しいサスティナブルな経営を実践している点にあるでしょう。紙ストロー導入などの脱プラスチック化は、飲食業界の中でもかなり早い時期に始めていたように記憶しています。コーヒー豆の買い付けをケイマン諸島に設立したペーパー企業を通して行う節税策によってESG経営に充てる資金を捻出していることは口が裂けても言えません。スタバが駆逐した純喫茶では元から使い捨て容器なんて使ってなかった気もしますが、それも心の奥底にしまっておきましょう。あ、誰かがドアをノックしているみたいなので、ちょっと外しますね!

池畔に立地


富山の次は、お隣の金沢です。ひがし茶屋街に行く時間が無かったのでやむ無く素通りして、金沢城と兼六園を観光しました。世界的に有名な鼓門を擁する駅舎が特徴的な金沢駅から循環バスが運行されており、主要観光地を一通り結んでいます。

さて、金沢城は海鼠壁が特徴的でございます。僕としては、白亜の櫓が居並んでこそ巨城、という観念が念頭にあったので、白の面積が少ない金沢城は実際の規模よりこじんまりとした印象を受けました。本来なら、大名の威厳を示すことに失敗しているので駄目なのですが、ここは100万の石高を誇る加賀藩の本拠なので、威厳を示しすぎると幕府に取り潰される可能性があります。加賀前田家の石高など誰でも知っているので、少し威圧感を無くすくらいで丁度良いのです。調べると海鼠壁が登場したのは江戸時代初期とのことで、まさに些細なことですぐ改易という世知辛いご時世。防寒と防火の機能を持ち、それでいて見た目は美しく威圧感もないということで、武家屋敷などでの採用が増え、豪商や豪農がそれを真似して全国に広まったのではないでしょうか。


兼六園は、藩主のためにあるので、金沢城に隣接しています。まさにザ・日本庭園という感じで、初めて行ったのに全く新鮮さを感じませんでした。例えるなら、前からフェラーリが走ってきたら「お!」と思うが、クラウンが走ってきても何も感じない、みたいなものです(例えが意味不明w)。それだけ日本人の心象風景に深く刻まれているということで、それはそれで良しとしましょう。

美しい庭園


兼六園を囲む一帯は「兼六園周辺文化の森」という文化地区になっていて、各種博物館や美術館が10程度集積しています。特に金沢21世紀美術館などが有名ですが、ガラス張りの美術館より、やっぱり目を惹かれるのは近代建築ですよね!まずは、旧石川県庁舎です。国会議事堂の設計者が設計したとのことで、立派な外観となっています。ところが、この建物には、よほど保存費用を抑えたかったのか、建物の前面しか残さず裏側はガラス張りにするという、目を覆いたくなるような欠点があります。せめてもう少し格好の良いデザインであれば良かったのですが、これではキメラ建築ですね。加えて、機能的にも「県政記念しいのき迎賓館」という、何が目的なのかよくわからない建物となっていて、正直面白くはなかったです。でもまぁ、一部が残っただけでもマシな方ですね。それと、この旧庁舎も含めて、金沢の行政機関には国旗・自治体旗に加えて国連旗が掲揚されていました。国連大学の附属機関が金沢にあるからだそうです。

左が国連旗
誰にでも裏の顔ってもんがあるでしょう…

それより良かったのは、令和になって東京から移転してきた国立工芸館です。元は、皇居北の丸にあった近衛師団司令部庁舎の建物が国立工芸館だったのですが、金沢に移転してきました。そう、私は一回の旅行で新旧国立工芸館を巡ることに成功したのです!ワンピースを彷彿とさせる壮大な伏線回収に成功したところで(第1話参照)、この工芸館の建物は金沢市内の二つの近代建築、第九師団司令部庁舎と金沢偕行社を移築させて出来たものなのですが、とても良い雰囲気です。保存にあたっては、いずれも完全に保存されているわけではありませんが、減改築部分もかつてのデザインが再現されており、非常にレベルが高いと思います。流石にお国の施設は一味違いますね。それ以前に、そもそものデザイン性が高いと言えましょう。金沢偕行社はまるで奈良女子大学本館のようなデザインで、地方における文明開化の象徴としての軍の姿が垣間見えます。なお、工芸館の隣には金沢陸軍兵器支廠の赤レンガ倉庫が博物館として保存されていて、即ち陸軍の近代建築が一堂に会しているのです。このような保存の仕方は全国的に稀ではないでしょうか。これらの建築を残した先人は素晴らしいですね。道路を挟んだところには石川護国神社もありますし、ここまで来ると軍都と呼べる規模ですよ。それでもなお近代建築を見足りないという方は、旧制第四高校本館もあるのでそちらもご覧になってください。

左が師団司令部、右が偕行社。逆光で撮影に苦心


余談ですが、この度の国立工芸館の移転は、地方創生の一環として行われたもので、北の丸時代の国立工芸館は東京国立近代美術館の附属施設という扱いでしたが、金沢移転時に独立したそうです。日本海側初の国立美術館であり、文化振興に一役買ってくれることを期待したいと思います。往々にして自民党政権の地方創生は駄作続きですが、文化行政に限っては例外で、文化庁京都移転など矢継ぎ早に政策が展開されている印象です。日本の文化行政は先進国最低レベルとは各所で耳にタコができるほど聞きましたが、そろそろ日本も大人になりたいですね。だからさぁ、東京国立博物館法隆寺宝物館は奈良県に移転させようぜ!

近代建築だらけだった金沢から福井へ移動する前に、腹ごしらえをします。1時間に一本しかない電車に乗り遅れてはならないので、手頃なご当地B級グルメを昼食に選びました。何も知らない純粋な存在である「僕」は、ゴーゴーカレーという店で、カツなどが載っている具沢山のカレーを頼みました。値段も張らないのに量が多くてお得だな、と喜び勇む「僕」の前に運ばれてきたのは、文字通り山盛りのカレーライス。半分くらいの量を想定して注文したので、将来に一抹の不安を抱えながら食べ始める「僕」。最後の方は「いや〜美味しいな〜」などと呟きながら食べ進め、ただ死中に活あるのみを信じて何とか完食することができました。間髪入れることなく改札からホームまで全速力で走ったおかげで駆け込み乗車にも成功し、1時間に一本しかない電車を逃すという最悪の事態は避けられたのでした。

疲れすぎて眠れない段階に至った「僕」を乗せた列車は、そこそこの乗客とともに、新幹線延伸に向けて工事が進む福井駅までやってきました。駅前は動く原寸大恐竜があるだけでマックもスタバもなく(商店街を少し進めばマックはあった)、福井城跡には福井県庁と県警本部のビルが建っており、訳がわかりませんでした。ガオウ、ガオウと辺りに響き渡る恐竜の唸り声、金沢では晴れ渡っていたのが嘘のような雨空。人類は、いや人間は、恐竜の鳴き声も毛色も知ることができないし、城跡から県庁を移すこともできない、紙に印刷された写真からカレーの量を推測することさえままならない、儚い存在なのである。僕の心は旅の疲れからか駅前のビジネスホテルへ向かいました。

6日目、完〜

首長竜のガオウさん


翌日、国語の教科書風の語りはやめて(駅前のビジネスホテルのみが「僕」の鉤括弧を外してくれるという高等文学)、一乗谷朝倉氏遺跡と永平寺へ行くことにしました。金沢同様、福井駅から一乗谷経由永平寺行きのバスがあり、観光に便利です。天気は昨日から打って変わって快晴と相成りました。

ところで、実は福井〜一乗谷間はバスのみならず鉄道でも結ばれています。JR九頭竜線という路線ですが、所要時間16分、運賃240円となっています。バスだと28分680円なので、鉄道の方が圧倒的なるコスパを誇っているわけですが、東京のようにはいかないのが地方の残念なところです。まず、九頭竜線の欠点として、一乗谷駅から遺跡の中心までが遠いことが挙げられます。そもそも、福井平野から足羽川の谷筋に入り、そこから更に分岐した谷筋が一乗谷となっています。九頭竜線は足羽川の谷筋を走っているので、これら谷筋の交点辺りに駅があれば合理的な訳ですが、何故か交点から少し離れた田んぼの中に駅があります。交点には集落もあるので、移転させれば良いのですが…。

しかし、それくらいならバスではなく鉄道に乗るでしょうよ。最大の欠点は、運行時間帯です。本数自体は、九頭竜線が1日7.5往復、バスが8往復で五分五分なのですが、九頭竜線(一乗谷駅)の時刻表はご覧の通りになっています。

ちなみに越前大野は途中駅

なんたる惨状!福井始発が9時過ぎで、それを逃すと13時台まで列車がない!お化け屋敷でも味わえないほどゾッとする恐怖ですね。対してバスは福井駅始発が8時で、そこから80分に一本の頻度で運行されています。午前午後に各4本設定されており、実家のような安心感を抱かせる信頼のダイヤです。一乗谷駅を少し移動させて、福井〜一乗谷の区間列車を増発すればバスを駆逐できると思うのですが、そうはならない。

それから、もう一つ言わなければならないことがあります。僕が旅行した際には、県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館の建設工事が進んでいました。なお、旅行してからこうしてnoteで紀行文を発表するまで丸一年かかったために生じた事態なのですが、この資料館は丁度この10月1日に開業しました。良かったですね。一乗谷には、この資料館を除けば案内施設の類が一切ないので、福井県はここを地域観光の拠点としても位置付けています。そんな大事な資料館を、こともあろうに不便極まりない一乗谷駅の前に建設してしまいました。これまでのおさらいも兼ねて、周辺の地図をご覧ください。


左上にある駅が一乗谷駅で、その右にあるのが資料館です。福井県の整備基本計画を確認すると、案の定「近くには一乗谷駅などの主要な交通結節点がある」だそうです。お役所仕事、ここに極まれり。とりあえず「駅」は「交通結節点」やん!計画書に駅近って書けば説得力あがるやん!ええやんええやん!!的な。

よく考えれば国道を交通結節点と呼ぶのもおかしいので、
単に福井インターから近いだけとなってしまう

流石に一乗谷駅を「交通結節点」と呼ぶのは無理があろうかと思われます。しかし、せっかく観光資源と鉄道インフラがあるのですから、もう少し活用できるよう方策を練ってみましょう。

・一乗谷駅を遺跡寄り(前述の地図の矢印あたり)へ移設
・駅前に資料館を建設。可能なら近所の道の駅も移転
・福井駅〜一乗谷のバス路線を廃止
・福井〜一乗谷(又は越前大野)のダイヤを60分又は90分周期に改正
・遺跡〜一乗谷駅〜永平寺〜永平寺口駅のバス路線を拡充
・基幹観光ルートとして大々的に宣伝

素人考えでもこれくらいは思い付きます。では、これを阻む要因はなんでしょうか。まず、最大の障壁は資金面ですよね〜。JRは民間企業ですからこんな儲からなさそうなローカル線に出資する道理はないし、自治体も財政事情はどこも厳しく、鉄道に出す金は少しでも抑えたい。

本州においては、JRも自治体も、都会で儲かってるからローカル線は放置プレイでいいや、という慢心を平成の30年間抱き続けてきました。それが、コロナ禍で都市部の利益率が大きく下がったので、JRはローカル線の廃止を俎上に載せ、多くの自治体と真っ向から対立するようになったわけですね。そして、全ての元凶である国鉄分割民営化を断行した国は何をしているのかというと、「協議会を作るのでJRと自治体で話し合ってくださいね〜。あ!チケットレスシステムを導入するなら補助金出すで!」みたいな感じで、とにかく日本の鉄道行政は無責任体質の百貨店なのであります。

瀕死のローカル線を前にチケットレスとか言うか?

東京や大阪を除いて、国鉄分割民営化は失敗と言わざるを得ません。国鉄の課題であった地域密着経営の欠如は、地方においてはJRになっても全く変わっていないという現実があります。ローカル線については、自治体の積極的な経営関与の下、都市計画や他の交通機関との連携を密にし、国が安定して財政支援を行う枠組みが必要です。国主導での輸送密度による全国一律廃線、内部補助による鉄道のゾンビ化という二度の失敗を経て、鉄道を血の通ったインフラへ再構築するの秋は今なのであります。

資金面に次ぐもう一方の課題は、競合のバスを運行している京福バスを抑えなければならない点です。近年、独占禁止法特例法により地方においてバス事業と銀行業は独占禁止法の適用除外となりました。この流れをもっと積極的に進めて、JR、私鉄、バス、自治体が一体で交通網の構築にあたるような制度を作るべきです。戦時下の統制経済を思い出さずにはいられませんが、独占禁止法が適用されないということは市場原理が働いていないし働かせることもできないということを意味します。国内のいかなる場所でも市場原理を適用しようとしたのが新自由主義だとすれば、市場原理が働かない地方で政府が経済に介入するのは脱新自由主義の流れの中で当然取るべき方策であります。いずれは都市計画や住宅・商業立地もこの会議体で決定すべきです。勘の良い方はお気付きかもしれませんが、これは鉄道会社の郊外開発と同じやり方です。日本の大都市圏では人口と地理上の特性から、民間企業による完結した都市・交通政策が実現可能でした。行政の役割は大都市の税収を地方に移転させ、大都市を支える人口を生産するだけ。国全体の人口動態が大きく変化している今、行政が本来やるべきことをやる段階に来ているのです。思い返せば前の方で富山市の都市政策の理想像が東京にあることを示しましたが、それも納得ですね。

紀行文の中で言うことじゃねえ…という読者諸兄の心の声が聞こえてきたので、この話題はいつか理路整然と清書してnoteにあげることにしましょう。

肝心の一乗谷は、太秦映画村みたいな感じの復元街並の他は芝生に覆われた遺跡があるだけで、特筆することはありません。遺構の保存状態は良好で、特に「上城戸」という、谷筋の南側を防衛する土塁は完璧に残っていました。結構高かったです。…一乗谷の感想終わり。我ながら文章の熱量差が凄い(笑)

上城戸
上から道路を見下ろす


例のバスに乗って、永平寺へ移動します。従前より一度は永平寺に行かなければと思っていました。というのも、何を隠そう我が家の墓が曹洞宗だからです。そうでなくとも、曹洞宗の教義は「正伝の仏法」とされる仏教の本質に近いもので、高い精神性があると勝手に評価しています。

バスを降り、土産物店が並ぶ門前の参道を抜けると、間もなく寺の敷地内に入ります。有名な勅使門の辺りは本当に綺麗で、「永平寺杉」と呼ばれる立派な杉の大木が立ち並ぶ様はまるで伊勢神宮のような神秘的な雰囲気。これはいいぞ〜と思いながら歩を進めると、最初の門でコロナ対策の体温センサーが参拝者を出迎えてくれます。ここから先は、何らの感動もありませんでした。

永平寺杉


なんというか、俗世との繋がりを断つため、狭い山中に堂宇がコンパクトにまとまっていて、雑然としてるんですよね。おまけに装飾も金ピカでごちゃごちゃした印象を抱かせます。奈良の唐招提寺や薬師寺なんかもそこそこ金の装飾はあるのですが、多分永平寺は全体的に物量が多いのだと思います。それこそ奈良の寺は学問修養の場であり、対して永平寺は修行僧が生活する場。当然の違いです。

黄金の世界


もっとも、勅使門から直接伽藍の中心へ進めたら、もっと好印象だったかもしれません。一般の参拝者は、事務所や宿坊などとして使われている建物(吉祥閣、傘松閣)を通過しなければ伽藍に入れないのですが、ここの雰囲気が個人的に凄く嫌だったのです。天井が低く、床は木目調、味気ない電灯に蛍光テープで示された動線。まるで戦後に建設された古い病院みたいで、高い精神性とやらはどこかへ飛び去っていきました。

どことなく陰気な廊下


これまで、本願寺や知恩院で阿弥陀如来像を差し置いて親鸞や法然の像が中央に配されているのを見て不快感を抱き、比叡山に行けば金の紋章付きセンチュリーから高僧が降りてきて興醒めなど、大本山で良い思い出がありません。いや、そもそも奈良県民がよその寺を見て感動しようなどと考えてはいけないのである。県内に転がっている荘厳壮大壮麗なる神社仏閣と比べれば、たとえ大本山であろうと取るに足らないのであります。奈良のみならず、関西は非凡な文物で溢れていると思います。姫路城や大阪城があるので、松本城に行った時は石垣低くて天守も小さいという感想しか出ず、海遊館があるので、沖縄の美ら海水族館に行った時は目玉展示の大水槽が海遊館と比べて小さいし一方向からしか見えないのでつまんねー、などと、ろくなことになりません。



この日のうちに電車を乗り継いで奈良へ。しばらく鈍行しか乗っていなかった僕にとって、新快速や近鉄電車は矢のように鋭く感じられます。小学生の頃、旅行から帰ってきて自宅最寄り駅から駅前商店街へと歩み出す時は毎度うら悲しい気分になったものですが、歳を重ねる(まだ大学生なんですけどw)ごとにそうした気分は薄れていきました。恐らくは、旅行先に限らず、自分の知らない世界はそこら中にあるのだということがわかったからだと思います。

一週間で4回夜行バス乗り継ぎ紀行終わり。


0日目
(夜行バス泊)
1日目
東京観光
(先輩宅泊)
2日目
東京観光
同級生宅見学
バス移動
(いわき市のホテル泊)
3日目
夜ノ森駅・大野駅周辺視察
高田松原津波復興祈念公園見学
陸前高田市街地視察
(夜行バス泊)
4日目
ハンセン症資料館見学
同級生と会食
(夜行バス泊)
5日目
名古屋観光
明治村見学
(夜行バス泊)
6日目
富山市街地視察
金沢観光
(福井市のホテル泊)
7日目
福井観光
(帰宅)

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