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【花鳥風月】相対的な人間の世界と絶対的な自然の世界を行き来する。

「いじめの体験記には『花鳥風月』が出てこなかったんですよ。」

たまたまYoutubeを見ていたら、養老孟司先生の講演会動画が流れてきた。
講演会の全てではなく、抜粋された切り抜き動画だったので、サクッと見てみることにした。

先程の「花鳥風月」の言葉は養老孟司先生が仰ったものだ。

この言葉を聞いて、とても「ハッ」とさせられた感覚があった。
それと同時に、養老先生が言おうとした意見に共感してしまった。

あくまで「いじめ」という分かりやすいもので喩えただけで、それは本質ではないのだ。

身近な出来事でいうならば、「愚痴・苦しみ・悩み」などネガティブなことを「自分が言うモード」や「人の話を聞くモード」がある。
それを振り返ってみると確かに「花鳥風月」が一切無いのだ。

「花鳥風月」というのは何かと言うと「絶対的な自然の世界」のことを指す。

そして、真逆の世界こそが「相対的な人間の世界」となるのだ。
人が幸福や不幸を感じる時というのは、この「相対的な人間の世界」にいるからだという。

そのために人間関係で一喜一憂することが多く、往々にしてそういう場合は「花鳥風月」に目を向けていない。

この話が非常に興味深かったので、今回はボクにとっての「花鳥風月」を語ってみようと思う。
それではヒアウィーゴーーーッ!!!

①夜風を感じながら空を見上げて月を眺める。

ボクは月や星を眺めることが昔から好きだった。

祖父母の家は田舎にあったので、満点の星空をずっと眺めていた。
煌々としたお月様をジッと見てはウサギの形をしていないかを確認することが好きだった。
今では星空観測アプリをスマホにブチ込んで、日々移りゆく月や星の軌道を考えて遊んでいる。

風を感じるのも好きで、最近では風のイラストを描くようにもなった。

高校時代は免許をとって、風を感じるために原付バイクをよく走らせていた。
今では風好きを拗らせてしまい、雨雲レーダーで風を読んだり雲の状態を見て天気を自分なりに予測している。
その結果、ずぶ濡れにならないようにジョギングをしたり、洗濯物がすぐに乾くように調整している。

「花鳥風月」でいう後半2文字は我ながら楽しんで遊んでいる(笑)

匂いがキツい「花」や見分けられない「鳥」に対しては、どうしても興味が持てないのだ(汗)
いつか興味が持てたら良いが、今は「風」「月」で遊ぶことが楽しい。

この話を急に差し込んだのかには理由がある。
それなりに「花鳥風月」を楽しむことができるボクでさえ、ネガティブモードに入るとその話を一切しなくなる。

いや、もっと正確にいうと「頭から『花鳥風月』がすっぽりと抜け落ちてしまう」のだ。

②相対的な人間の世界では一喜一憂しやすい。

「人にとっての幸福や不幸はどこからやってくるのだろうか?」
20代の頃からなんとなく考えていたが、頭がパッパラパーなボクには検討もつかなかった。

ボクの長年の疑問を、養老先生が「人の幸福も不幸も人間関係から作られる」とズバッと仰った。

たしかに、メンタルをやられる理由の1番が「人間関係の悩み」だと聞いたことがある。
だが、逆を言えば人間関係で「喜ぶ」こともできるということだ。
さらにいうと、周囲の状況や本人の状態によって簡単に左右されてしまうことが多い。

つまり、人間の世界は非常に相対的な世界ということだ。

それほどに乱高下する人間関係に一喜一憂して、幸福や不幸を感じていたら高低差で耳がキーンとなってしまう。
いや、むしろ耳がキーンどころか、メンタルが崩壊してしまうのではないだろうか。

そしてボクはこのことにとても思い当たることが本当に多い。

人間関係で苦しんで「不幸」を味わっている時というのは「花鳥風月」を味わうことができない。
前章であんなに「風」「月」が好きだと言っているのに、全くもって見向きもしなくなってしまうのだ。

これこそが「相対的な人間の世界」しか見えていない状態なのだ。

それを養老先生は「花鳥風月が無い」と喩えたのだ。

逆に平和だな〜とか、幸せだな〜とか、ラッキーだな〜と思う時ほど「花鳥風月」を味わうことができている。
まさに最近は人間関係が落ち着いて心が穏やかだからこそ、「風」や「月」を楽しめているのだ。

③絶対的な自然の世界では受け入れるしかない。

では、逆の世界である「絶対的な自然の世界」とはなんだろうか。

結論からいうと「あるがまま」を受け入れることなのだ。

自然の力はとんでもないパワーであり、人類にコントロールできる余地などは全く無い。
なにも天候や季節の移り変わりだけの話ではなく、亡くなった方の遺体も自然の一つなのだ。

養老先生はもともとは解剖医の分野で活躍されていた。
生きている人と接すると疲れるが、亡くなられた人と接するのは苦しくなかったという。

人の意思が介入してこない「絶対的な自然の世界」では、幸福も不幸もなくただただそこに存在するだけなのだ。

それをただただ「あるがまま」を受け入れることこそが非常に重要なのだ。
さらに踏み込むならば、そこに自らの心の中で「幸福」「不幸」と決めることはできる。

月が見れたからラッキー!風が吹いたからラッキー!と決めるのは自分だ。
月が見れたからアンラッキー・・・、風が吹いたからアンラッキー・・・、と決めるのも自分なのだ。
# そんなことあるのか?
# 我ながら極端な喩えを出した気がする

「絶対的な自然の世界」と向き合うことで安定した「心」を手に入れることができるのかもしれない。

④2つの世界を行ったり来たりしていく。

といっても、人の幸福とは「相対的な人間の世界」の中にあるのだ。
「絶対的な自然の世界」に入り浸るのも良いが、おそらく心の起伏が無くなり過ぎる可能性がある。

大事なのは「2つの世界を行ったり来たりする」ことなのだろう。

問題となっているのは「相対的な人間の世界」に入り浸り過ぎていることなのだ。
だから人間関係に一致一憂してしまい、精神が安定せずに心の中がざわついてしまう。

その証拠に、大昔に坂本九という歌手が素晴らしい歌を出してくれた。
「見上げてごらん夜の星を」というタイトルで、世代では無いボクですら聞いたことのある曲だ。

辛いとき・苦しいとき・しんどいとき・希望を見失ったとき、仕事の帰り道にふと見上げてみるのだ。

そこには、「あるがまま」に受け取らざるをえない「夜空の星」が煌めいている。

小さな光が歌っていると思うも自由だし、名も無い星が幸せを祈っていると思うも自由だ。

心を安定させることができたならば、「相対的な人間の世界」で再び人としての幸福を追いかけていくのだ。
「絶対的な自然の世界」だって「意識する」というパスポートさえあれば、いつだって花鳥風月を味わうことができる。

ボクも2つの世界を行ったり来たりして、いつの日か幸福を感じられる心を手に入れたいものだ。

そんなことを考えた今日この頃だった。

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