見出し画像

留学生のひとりごと日記#5

2023/04/21


体育

週最後の授業は体育。

台湾では早八(ザオバー)と呼ばれる朝八時からの授業が存在する。(僕の大学では正確には8時10分)
体育がそれである。

眠そうにしてる人、遅れてくる人。寝過ごして来ない人もたまにいる。


僕はバドミントンを取っている。
取りたかったが取れなかったと聞くこともちらほらだったので運が良かった。唯一気を付けたいのは利き手だけでラケットを使うことで体のバランスが崩れてしまうことだ。

今日の授業はみんな休憩してスマホ見たりしてて、誰もコートでバドミントンをしていない時があってなんか面白い光景だった。
(さすがに先生も動け~!と言ってた。)


メンタル


体育教師というのはやはりどこでも熱血というかエネルギッシュな傾向があるのだろうか。このクラスの先生もそうである。

これは体を動かすことによって分泌されるホルモンがメンタルに与える影響と関係しているのだろうか。
『筋トレこそが最強のソリューションである』みたいな本もあったはず。

確かに、「何にも心配はありませんできます無敵です」みたいなメンタルだと何事にも挑戦しやすいし行動していける。
成功者に筋トレをしている人が多いといわれるのがそうである。
(何を成功とするかはここでは置いておく)

だから自分も筋トレをし始めるという選択肢もあるだろう。

だが自分は抵抗がある。
それはネガティブを必要としているからだ。

ポジティブな人はどうせ自分で動いていけるんだ。そのまま頑張ってもらえばいい。
ネガティブな人は色々な理由から行動をためらっている場合もあると思う。
しかし彼らも秘めている可能性があると思う。
つまりその可能性を発揮してもらえれば、全体として行動している人が増え、より良い明日へ向かっていくのではないかという期待がある。
僕はそれを信じている。かつてアクションを起こすのが怖かったが、今こうして少しづつ動けるようになったからだ。

そのネガティブ思考からまだ行動には移せていない層にとってポジティブな言動は響きにくいと思う。
なんせ「ああそうかい」とか「自分とは違うもんな」と感じるからだ。

だからネガティブは僕にとって必要な要素であると思う。


ネガティブと言えばマイナスなイメージもあるがそんなに深く捉えず、ただ物事に対する捉え方の傾向とすればいいのではないかとも思う。
ダメとかではない。(誰が決めた)

あれが心配だどうだとか、「リスク・心配事」などを事前に細かく気に掛けられるというメリットだってあるはず。

また、落ちるとこまで落ちてしまえばもう落ちないのだからかえって前向きになれるはず。
絶望の中にこそ希望があるかもしれない。


注意したいのはネガティブがメンタルヘルスに悪影響を及ぼすこと。
なのでメンタルが沈んできているのを感じたら運動しようと思う。



会話

最近は忙しいかと聞かれた。
忙しいともいえるし忙しくないともいえる。

授業、note。いや、やっぱり忙しくないです。

あとキャンパスコレクション台北に出ること。
5/13が本番。チケットノルマの10枚中1枚しか売れてない。300元×9枚=2700元の自腹+これまでの往復移動費宿泊費×3+レッスン代2400元。自分で選んだことだが重たい。

(参加しててこれをここに張るのもどうかと思うが面白い視点なので。
結局受け取り方次第なので自分は自分のための時間になったと言うためなのでご理解願います。)
額面に見合うような自分の改造期間にしようと取り組んでいるつもりである。毎日ウォーキング練習もしてます。

(だが本音を言えばチケットは売り切りたい。)



MBTIの話題。
そもそもMBTIは性格診断テストの一種。

MBTI(エムビーティーアイ:Myers-Briggs Type Indicator)は、個人をタイプに分類したり、 性格を診断したりすることが目的ではありません。回答した個人一人ひとりが、自分の心を理解し、 自分をより生かすための座標軸として用いることを最大の目的にしています。

日本MBTI協会ホームページ

テストはこちらから。


僕は2か月前にやった時はINFJ(提唱者)タイプでした。

  • 理想主義者

  • 全人口の1%に満たない(日本だけ見るとも少し高いらしいけど)

  • 二面性がある

などが書いてありました。


なんか難しそうなタイプだと思いました。
あとスピリチュアル方面に一回進出したいかもと思いました。

ps.さっきやったらINFP(仲介者)タイプでした。
何にせよ独自の世界観だそうです。キャッチ―に?いえば変人らしいです。

良いことです。



選択の話

大学後の選択肢として。
例えば新卒で会社に入るか、ベンチャーや挑戦することに進むか。
(全ての会社ベンチャーがその言い回しに当てはまるわけではないと思うが)もう少し言えば安定か何かを追い続けるか。

追い続けにくいのは社会のタイムリミット(のように思わせるもの)があるからではないか。

安定を追い求めることが悪いことではないがそれが=停止になってしまうこと。これが「ああそうなのね」とがっかりしてしまうという感想を持たれている正体なのではないかと話を思い出して思った。

「輝いていたい」という観点。
それは何を表しているのだろう。
挑戦し続けている姿だろうか。
自分の理想を追い続けようとすることだろうか。

まだ僕は答えを持ち合わせてはいないようだ。

と書いた後に。
この選択の問題が誰にとっても訪れるものだとすると、多くは安定を選ぶかもしれない。しかし、安定を選んだ者によるそこで追い続けることを選んだ存在に対する「羨望」のようなものが「輝き」を見せているのではないかと思った。

「あの人輝いている」というのはその人が本当に輝いている仮説と見る側が輝きフィルターを通していることでそう見えている仮説があるのかも。


身を守るための逃げはアリ。それを許容してくれる存在は貴重であり自分もそのようであろうとしたい。
後の予定まで時間が迫るとそれが頭に浮かんでしまう。時間的なゆとりをもう少し取りたかったと反省。
この夏休みに日本に帰ったら日本の大学に潜入して雰囲気を感じたい。
社会学の授業に潜入したい。
メモメモ。


もしもサポートを頂けたなら、それはさらなる経験に使い、僕の視点からその経験を文章にして共有させていただきます!