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留学生のひとりごと日記#7

2023/04/23

穏やかな朝

朝目が覚めて外がいい天気だったので散歩へ。
朝ごはんも求めて。

日曜日とはいえ、多くの朝ごはん屋さんは営業している。そこに多くのお客さんが並ぶ。ここに台湾を感じる。

油豆腐湯というスープを飲んでいる人が隣の席にいた。ここは具が湯豆腐のみのタイプだ。
お店により湯豆腐の他に大根が入っていたりするお店もある。(そちらのお店の方が人気が高かったりするのではないかとも予測ができる。利便性な点などもあるので不確かだが。)


お店により料理の名前と実際が異なることがあるのも面白い部分だと思う。

例えば以前、カレーオムライスみたいな名前の料理を興味本位で注文してみた時に、僕の想像ではカレールーのカレーライスに卵が乗っているものだった。しかし、実際運ばれてきたのはカレー風味のチャーハンに卵が乗っているものであった。
(まあ、炒飯屋だったしな。)

なるほど。面白い。確かにカレーオムライスである。
このように無意識に思い込んでしまっているものが他にもきっとあると感じた。
そんなエピソードを思い出した。


今日は果物屋さんにあるジュースがどんなものかが気になったので寄った。
そのお店は柳橙汁(オレンジジュース)と甘蔗(サトウキビ)の2種類のみを売っている模様。

オレンジジュースは無いと言われ、もう片方を頼んだ。こちらは興味本位だ。

お店のおじいちゃんが持ってきてくれたのは冷凍されたジュース。ああ、割とすぐ飲みたかったのだが。


キンキンに冷えてやがる。
味ある部分は後に凍り先に溶け出す。
なので斜めに傾けて凍らすのが味を均一にするコツらしい


なのでまず公園へ。
いつもゲートボールをしている姿が若く青春を感じさせるおじいさんおばあさんグループは今日はいない模様だ。

自分も歩いたり、鉄棒にぶら下がり伸びをしたりした。
木々に囲まれていて穏やかで、散歩する人や談笑する人。何で平和なんだろうと思った。ぼんやり空を見上げ、風を頬に感じるゆとりがあった。
ずっとこうしていられたらいいのに。
いがみ合ったり悲しんだりしなくていいせかいがいい。

だが今の自分は無力だし、そのためにこの方向に力を注ぐというものがまだ明確ではない。

世界が逆さま

ps.寮に戻ってジュースを飲んだ。あまーい!
2回目は無いかな。

『自分を知るための社会学入門』という本を読んだ。
社会学の概念についてというよりは、文学・映画などの作品や筆者の体験談を元に、こんな部分にも社会学の観点や理論は活かせるのだよという方針に重きを置いた本だ。
文学作品や映画のオススメ書として読んでも良いかもしれない。

そのような日常や「より身近なもの」というところに注目した社会学者もいるようであるから少し安心した。割と自分は好きなスタイルかもしれないからだ。(S・M・ライマン、M・B・スコット)

印象に残ったことのメモ。

マックスウェーバーは権力を「ある社会関係において、自らの意志を、たとえ抵抗に反してでも貫徹することのできるすべての可能性」としているという記述があった。
これと同じ文を中国語で見かけて読んだが、このような理解にはほど遠かった。内容理解の深さという点で普段の授業の難しさを改めて認識した。


自己表現しないと・アイデンティティを確立させないとという呪いから解放されることが現代の苦しみを解く鍵だという村上春樹さんの提唱。
はっとしたので『夢を見るために僕は毎回目覚めるのです-村上春樹インタビュー集1997-2009』を読んでみたくなった。


ピグマリオン効果
ギリシア神話においてキプロス王は理想とする女性を像に掘り、あたかも人間のように心からの愛を注ぎ続けた。それを哀れんだアフローデーテが彫像に生命を与えた。
ここから発展して自分の強烈な思い入れで自己の望みを現実化する効果のこと。
例えば学校の先生から期待された生徒は良い点数をとるみたいなことが現実ではあるらしい。
なので自分で自分に期待し続けることをやめてはいけないと思った。

インタビュー記事を書くのにとある日本人留学生にインタビューした。

留学の背景、現状、これから。
すごいなと思ったし尊敬している。
自分も頑張りたいと思った。
(こう書くとありきたりだが実際はもっとエモーショナル)

留学はいろいろある。だから結局は自分がどうするか。どうしたいか。

留学の先は分からないことだらけだが『留学経験がもたらす効用としての自己効力感の形成プロセス:質的研究手法を使って』によると「やればできる」というような自己効力感の形成がもたらされる傾向があるという。なので考えすぎるくらいならひとまずこの考えを享受しておけば良いのかもしれないと思った。

https://da.lib.kobe-u.ac.jp/da/kernel/81009809/81009809.pdf


今週は大学のイベントで国際ウィークというものがあるのでそのダンス発表の練習をした。
踊る機会なんてひょっとしたら大学が最後なのかとかよく分からんことが浮かんだ。

いや、やろうと思えばできないことなんてないし何事もその瞬間が最後になり得るだろう。
「最後かもよ」の意識感は瞬間を大切にさせてくれる。分かっていても難しさがあるが。


練習後グループのみんなの話を聞いていた。
(の前にみんなに着いていくか迷ったときに、おいでよ!って言ってくれたのに温かさを感じて嬉しかった。)

勉強も頑張り、バイトもして、好きなこともする。将来のことも考える。

みんなすごいと思った。
なんか「人生だな」って思った。
この先どうなっていくんだろうっていう興味がある。それは自分には歩めないものだから。その人固有のものだから。
楽しみだな〜と心の中で思っていた(大勢の場になると聞き手になる習性から。何目線かは気にしないで)


嬉しい日だった。幸せな日だったと感じた。
1日って色んなことがありすぎる!
毎回二千字超書いてしまう。読む側の読む気が失せるのではないかとも思ってきた。
しかし、自分のための記録なので「他人の1日はどんな1日なんだろう」と覗いてみたくなったら読んで貰えば良いのか。

近くの人にこれ読まれてたら恥ずかしい。
とかは別にない。思ってないことは別に書かないし、そういう人間だのそれ。触れられようがなんだろうが委ねますよ。

さあ、また1週間が始まるよ!

もしもサポートを頂けたなら、それはさらなる経験に使い、僕の視点からその経験を文章にして共有させていただきます!