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ビジネスサイドがSQLを学ぶことについて
ビジネスサイド+SQLは過大評価されすぎている非エンジニアでかつデータ関連職ではない人をまとめて「ビジネスサイド」と表現しよう。
どういうわけか、「データ分析」を学ぶ際にSQLを身に着けることが話題になりやすい印象を持っている。そして、ビジネスサイドがSQLを学ぶことについては過大評価がされていると感じている。もっと先に身に着けるべきことがおざなりになっていたり、SQLを学ぶ以外の選択肢が考慮さ
分析は先にやればやるほど効果がある理由
最初が間違えていたら元も子もない戦略(あるいは目標、KGI/KPI、企画、施策、アイデア、方針その他もろもろ)を決めても、実はそれが正しくないのであればどんなに実行されていようが正しい結果に繋がらない。
もしも最初から間違えていたとしたら、どんなに正しく実行されているかをチェックしても「間違えている方向に正しく進んでいるか」をチェックしているだけにすぎない。
だからこそ、正しい(あるいは、より
「データ分析」をやめよう
「データ分析」をどんな意味で使っているか答えられますか「データ分析」という言葉はずいぶんと広まった。仕事をしていれば聞かない日はないぐらいだ。
ところが「データ分析」が何を意味しているのかがはっきしりない。何となくやっていることに対して何となく使っているのではと思うことも度々ある。
そこで、「データ分析」という言葉の使い方にどのような問題があり、代わりにどうしたらいいかについて書いてみる。
なぜ「データの依頼のやり方」を知る必要があるのか
「データの依頼のやり方」はどう学んでいるのかまとめられた知識がないので、個人の経験に基づいて行っている場合が多いだろう。しかしそれでは社会全体で考えると非常に効率が悪いと考えている。そこで、データの依頼のやり方についてまとめている。
しかし、完成にはまだかかりそう。なのでまずデータの依頼のやり方を知るべき理由について記事にした。
なぜ「データの依頼のやり方」を知る必要があるのか自分でデータを集
「仮説」には「どうやるか」ではない仮説があるのかもしれない
どう実現するかではなく、何をするかのための仮説もあるのではないかやるべきことがあり、それを「どうやって実現するか」をあれこれ考える、というのはみんな日頃から行っていることだ。この時に出てくる案のことを「どうやるかの仮説」と呼ぶことにしよう。
それ以外にも、「何をするか」や「あるべき姿」を考える場合がある。こちらは「どうあるかの仮説」と呼ぼう。例えば、人生の目標とか、会社の長期的な戦略を決めるよう
「仮説」を気軽に使うと事故になるので気を付けていること
「仮説」を気軽に使っているけど、大丈夫?データ分析では「仮説」が良く話題にのぼるが、筆者は仮説という言葉があまり好きではない。
なぜならば、「仮説」というのは今そう思うことやすぐに思いつくこと、あるいはそうなって欲しいことになりがちだからだ。
「仮説を証明する」とか「〇〇がうまくいったか調べたい」なんてよく言われるが、これは仮説の間違えた使い方だ。仮説も考えるための道具であり、正しく使わないと
データ基盤を作ってもデータ分析ができるようにはならないので、作るのと使うのは一緒に考えよう
データ基盤は令和の箱物行政にしないためにどうもデータ基盤を作ったりするのに比べると、データを使う話、特に意思決定のための分析について語られることが少ない。
もちろん単純に比較できるような話ではなく、データ基盤が不要だという話でもない。それにしても偏りすぎであり、この10数年(どころかずっと前から)かわらない。
その理由の1つには「データ基盤を作ってデータを集めておけば、あとはデータが活用できる
データアナリストとは何をしている人なのか
データアナリスト≒ビジネスマンなのかデータアナリストは「分析に責任がある人」ではなく「分析のスキルがある人」で定着している、という話を「データアナリスト」の違和感の正体では書いた。
ところで、データを収集し、分析し、意思決定するというのはだれでも行っている行為である。勘と経験もその人の持っているデータのみを使うというだけで分析だ。つまり「分析のスキルがある人」=ビジネスマンということでもある。と