心身二元論の起源

「デカルトが心と体を別々なものとして主張したから、現代に至るまでいろんな弊害が起きた」と、デカルトを批判する声を本やテレビ番組でも見聞きする。デカルトが心身二元論を主張したということは欧米でも信じられてるらしく、皆がそう言ってるとつい信じてしまいたくなる。

心と体を別々なものとして理解する心身二元論は弊害が大きいのは確か。私達の心は、体調を崩せば正常に考えられなくなる。何か心に深く思い悩むことがあれば体調までおかしくなる。私達の心と体は深くつながっているのに、心身二元論のせいで「気のせい」で片付けられることも多かった。

ただ、心身二元論をデカルトのせいにするのは酷なように思う。心身二元論はデカルト以前のもっと古くからある、むしろキリスト教の唱えた理論に基づいているからだ。
「ゲルマン人の大移動」のために、古代ローマ帝国は崩壊してしまった。その時代に活躍した僧侶が、聖アウグスティヌス。

聖アウグスティヌスの本を読むと、やたら「霊と肉」という二元論が出てくる。霊は英語で言うとスピリッツ、つまり精神とも訳せる。つまり心(精神)と体(肉)の二元論を唱え、西洋に根付かせたのは、聖アウグスティヌスだと言ったほうがよいだろう。

ではなぜ聖アウグスティヌスの言葉がそんなにも西洋に強い影響を与えたのか?
キリスト教の聖典、新約聖書には「ヨハネの黙示録」というのがある。この世の終わりが訪れる(ハルマゲドン)と同時に、神の国が現れ、神の民である選ばれし人間は天国に入れる、という。そこに書かれている内容が。

古代ローマ帝国崩壊という地獄のことではないか、と当時の人たちは考えた。聖アウグスティヌスは「神の国」という本を書き、古代ローマ帝国が滅びるのはこの世の終わり、ハルマゲドンが近い証拠であり、神の国がもうじき現れるだろう、と説いた。社会が崩壊していくのを目の当たりにしてる西洋人は。

聖アウグスティヌスのこの言葉にすがるように飛びついた。この世の終わりが近づいているなら、何とか自分たちは天国に入れますように、と、キリスト教にすがった。ゲルマン人の大移動により、古代ローマ帝国のシステムはズタズタに引き裂かれ、機能しなくなっていたが。

キリスト教の教会は、ゲルマン人達による蹂躙から市民たちをかくまい、教会の間で使者が行き来して連絡を取り合った。あらゆるシステムが機能しなくなった古代ローマ帝国崩壊後の世界で、唯一手紙をやり取りしたり人材が行き来するネットワークとして、教会は機能した。

西洋で唯一機能するネットワークとして、キリスト教の教会が機能する中で、聖アウグスティヌスの言葉は唯一の羅針盤ともなった。ここから西洋は中世の時代に入り、キリスト教だけが学問となる世界になるのだけど、そのときに一番の教科書となったのが、聖アウグスティヌスの本だった。

心の動きを霊的なものととらえ、やがて霊=スピリッツ=精神(心)と考えるようになった。他方、キリスト教の僧侶達は肉体をこれでもかとバカにした。心を重んじ、体をバカにした。なぜこんなことが起きたかというと、僧侶は結婚しなかったからだ。というか、エッチそのものを否定した。

いわゆる肉欲から離れることが、天国たる神の国に入るための重要な条件と考えられた時期が長かった。王族が結婚する場合でもエッチしないのが理想、どうしても子孫を残すためにエッチしなければならないのなら、せめて快感は感じないようにすべし、という禁欲を説いた。

そうしたひどく不自然な禁欲こそが神の国に至るには大切、と考える傾向が強く、中世においては、精神(心)をやたらと重視し、肉欲(身体)を軽蔑しまくるという倒錯した世界観が中世に根付いてしまったようだ。

心身二元論は、そうしたところから生まれたものと考えるのが自然なように思う。デカルトはキリスト教をはじめとする宗教に大打撃を与える哲学を創り上げたが、昔からある心身二元論の考え方を克服できなかっただけではないか、と思う。

ではキリスト教はなぜ心身二元論になってしまったのだろう?これは恐らく、一神教であるということが大きいように思う。
聖アウグスティヌスはキリスト教徒になる前、古代ギリシャの哲学者、プラトンの学説にハマっていた。

聖アウグスティヌスは、プラトン哲学が持つリクツっぽさをキリスト教に当てはめて考えた。神を唯一絶対とする考え方にリクツを当てはめると、物事の考え方が中央集権的になる。神が一番、その他はそれに劣るもの、というピラミッドな価値観になりやすい。

心(精神)を、神になぞらえて価値のあるものとみなすと、体(肉欲)はくだらないもの、ということになる。一神教的な世界観をとると、何かが上位で何かが下位になる、という序列思想になりやすい。心身二元論は、こうした一神教のクセのような面があるのだろう。

他方、東洋は多神教的。曼荼羅図なんかは、たくさんの仏だらけ。南方熊楠なんかは、粘菌の研究から面白い発想をしている。
粘菌はふだん、細胞一つ一つがアメーバのように勝手気ままに動いてる単細胞生物。ところがある時から突如、それら単細胞の生き物が群集となって一斉に動き始める。

その群集は、あたかも一つの生き物のよう。つまり、多細胞生物のように動く。そして「あ、この場所いいかも」というところに落ち着くと、一本の木となり、花を咲かせて、胞子を遠くまで飛ばすようになる。胞子はどこかでまた命として芽吹くことになる。

単細胞生物かと思ったら多細胞生物のように心を一つにして動く。そうした生き物の様子を見て南方熊楠は、多細胞生物である人間の心も、細胞一つ一つの小さな心を持ち寄ってできるものではないか、と考えた。この考え方だと、心と身体は一体的に理解することができる。

南方はこうした考え方を「南方曼荼羅」にまとめている。心身二元論を克服しやすいのは、多神教的な考え方なのだろう。西洋人が比較的最近になって心身二元論を批判するようになれたのは、こうしたアジアの世界観を学んだからだと言えるように思う。

こうして考えを進めていくと、心身二元論をデカルトの責任として責めるのはおかしいことになる。なのになぜデカルトのせいに西洋人の人たちまでするのだろう?それは恐らく、西洋人が今もなおキリスト教徒だからなのではないか。

現代のキリスト教においても、聖アウグスティヌスが体系化した教えは、キリスト教思想の土台となっている。心身二元論をキリスト教思想のせいだとしてしまうと、キリスト教を否定することにつながりかねない。素朴なキリスト教徒である西洋の人たちからしたら、心身二元論に批判的になったとしても。

その責任をキリスト教の大御所である聖アウグスティヌスに帰したり、あるいは一神教であることの問題として考えることにためらいがあるのではないか。だから近代合理主義を創始したデカルトに「合理主義のクセに心身二元論を唱えるとは」と責任転嫁しているのではないか。

私はキリスト教徒ではないので、デカルトは単に、古くからある心身二元論を克服できず、そのまま踏襲してしまったに過ぎない、と考えるのが自然だ、と思っている。心身二元論は、キリスト教が一神教であること、聖アウグスティヌスがそれを理論化したこと、に原因があるのだろう。

心身二元論は、たとえば医療の世界に大きな悪影響を与えた。心は心の問題、身体は身体の問題に分けて考え、総合的に捉える治療法の開発がいまもってなかなか進まない大きな原因になっているように思う。そういう意味では、心身二元論は現代社会に今もなお大きな影響を与えている。

ゲルマン人の大移動の頃に定着した考え方が、私達の思考をも縛ってしまう。私達は未だに心身二元論という「思枠」から抜け出したとは言えない。ようやくその問題に気づいたというところかな、と思う。しかし心身二元論の原因をデカルトに求めてしまうような過ちをしているようだと。

宗教を絶対視した世界観に立ち戻れ!という考え方が出てくる可能性もあるだろう。犯人を勘違いし、冤罪をかぶせることは、いろいろ問題があるように思う。
デカルトの思想にはいろんな問題があるが、だからといって、彼の責任でないものまで押しつけるのはおかしい。

心身二元論を克服するには、一神教的思考、多神教的思考それぞれのメリットを加味しながら、私達の心身は実際どうなっているのか、ということを虚心坦懐に観察することが大切だと思う。一つの思枠に囚われず、観察する。そのことの大切さを忘れないようにしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?