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障害を受け入れるとは?【障害受容について】


学生時代、看護や医学の勉強をしている時に、「障害の受容過程」というものを学んだのを、ふと思い出した。過去の看護師国家試験にも出ている内容である。

心理学者フィンクの危機モデルといい、
障害を受容していく過程ではそれぞれのステージに分類していくことができる というもの

❶衝撃 ・・・ショックを受けている状態
❷防御的退行・・・現実逃避したりすることで自己を守っている時期
❸承認・・・逃避しきれずに現実に直面する時期
❹適応・・・残存機能の発揮によって、自己のアイデンティティを再認識する。価値観を構築する時期
出典:メディックメディカ レビューブックより


そもそも、このフィンクという心理学者は脊髄損傷の患者を対象とした研究の結果でこれを提唱したようで、身体的な障害を持つ患者をモデルとしたものなのだと考えられる。

発達障害には該当しないのだろうな、と感じて私はこの過程に当てはまらないな、と思った。


難しいことがたくさん述べられているが、面白い論文を見つけた。

我が国の「障害受容」という概念を巡って
* 立正大学心理学部教授 中田 洋二郎氏 著

障害受容という概念自体が「仮説」の域を出ていないことが述べられている。

更に、発達障害の受容過程についても触れられていて、障害の診断に至るまでの過程がそれぞれ違うことも含めてステージ別に分類にすることの困難さなども指摘されている。

ざっくり言ってしまえば
「障害という概念のくくりが大きくなった今、障害を受容していく過程をステージごとに分類などできない。人それぞれの過程がある。」という事だと思われる。

それと、話は少しすり替わるが、医療者やリハビリ支援側が障害を受容することを強要している、さも当たり前のように考えて軽視している、との批判もある。

障害者の心理
* 和洋女子大学家政福祉学研究室 准教授 高木 憲司氏 著

それほど、障害というのは当事者にとっては向き合うのが大変で、辛くて、苦しい事なのだろう。


私は障害を認識するまで、「もしかしたら…?」と薄々感じていたところもあったからか、さほど大きな衝撃は受けなかったし、その障害から逃げる、感情的になって現実逃避する、というような行動も特に取らなかった。

発達障害というのは、その診断に至るまでのプロセスが本当に人それぞれで違うように思う。

それに障害というものを一生抱えて生活していくのだから、それに一生苦悩する人もいるだろうし、それを受け入れる、受け入れるべきだ、というのは簡単に言ってはいけないのかもしれない。

一生付き合い続けていかなければならないのだから。



***



私はこのADHDという障害を認識し、診断に至ってからは気持ちや感情を持て余していた。溜め込んでいた。
それらを吐き出すかのように、noteへ文章を綴るようになってからは、以前よりも自分のことが嫌いではなくなったし、もっと自分に優しくしてあげていいんだな、と思えるようになった。
同じ苦しみを抱える人達の言葉を見たり、触れたりする事で自分の視野も考え方も広がった。

何より、「自分だけじゃ無いんだ。」と思えるのはすごく安心できた。
noteは自分と向き合ういいツールとしても使わせてもらっている。

今後も何か迷ったり、苦しくなったらこうして綴ったりして自分と向き合いながら、困難なことも乗り越えていけたらいいな、と思う。

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