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丸森時間差遺産 第5話「棚田にて深呼吸を」


東京での20年間の暮らしを経て、20年ぶりに故郷へ移住したクリエイティブディレクターは何を思うのか。あの頃は特に気にも留めなかったことが、今さら大切だったと気付くものとは。Steve* inc.(https://steveinc.jp)代表取締役社長の太田伸志が、宮城県丸森町の広報誌「広報まるもり」にて連載中のエッセイを特別限定公開中!

夕暮れの国道349号線。大学での授業を終えて自宅へと車を走らせる途中、思い立って寄り道をした。阿武隈川沿いの側道を坂道に沿って3分ほど登ると、日本の棚田百選・農林水産省選定のつなぐ棚田遺産にも選ばれた「大張沢尻の棚田」が現れる。長い時間をかけて、複雑な地形を試行錯誤しながら開拓して生まれた、人々の努力の結晶である。

 見晴らしの良い駐車スペースに車を停めて、秋風が吹き抜ける新鮮な空気を思い切り吸い込んだ。夕陽に照らされ階段状に連なる田んぼを埋め尽くす黄金の稲穂。久しぶりに訪れたが、山頂でもなく平野でもない、難しい地形に確かに存在し続ける棚田の美しさに改めて見惚れて、しばらく動けなかった。そう、世の中には棚田が生まれる過程のような「試行錯誤」の時間が足りないのかもしれない。

 今日、学生から真剣な顔で「自分らしさってどうやって見つけるんですか」と問われて、即答できなかった。聞けば、友人たちが早々に人生の目標を見つけて焦っているらしい。いやいや、そんな簡単に答えられる問いではないよねとも思ったが、同時に、そもそも、そういった悩みはなぜ生まれるかと考えていた。自分らしくありたい。最近特に増えているこの種の悩みは、世の中の「空気」が原因なのではと僕は怪しんでいる。空気といっても、大気汚染の話ではなく世の中の風潮という意味だ。SDGs、サステナビリティ、インクルーシブ、流行りのキーワードが蔓延する世の中において、多様性でなければいけないという空気は特に気圧が高い気がする。確かに、多様性という考え方自体は素晴らしいと個人的にも思うが、それ故に大人たちから自分らしく生きなよと言われ続け、他人とは違う自分だけの「らしさ」を早めに見つけなければと、競争を強いられている若者の気持ちを想像すると息が苦しくなってくる。多様性であるべきという画一的な風潮。現代社会が抱える大きな矛盾の一つである。

 だが、他人に無い自分だけの個性はこれです。と、即答できる人間がどれだけいるのだろう。簡単には見つからない。だからこそ人生をかけて試行錯誤する。それが人間の自然な営みともいえるのではないだろうか。長い歴史によって生まれた美しい棚田が、急ぎ過ぎている人類にそう教えてくれている気がした。帰り道、そういえば上京したいと家族に相談した時も、父がこの場所へ連れて来てくれたっけ、と思い出した。どうやら太田家は、悩み過ぎると棚田へ来たくなるらしい。

丸森町時間差遺産005:大張沢尻の棚田
総面積4.1ha。1999年に「日本の棚田百選」に選定。2022年には農林水産省が選定した「つなぐ棚田遺産」にも選ばれている。

時間差遺産【じかんさ-いさん】
あの頃は特に気にも留めなかったことが、今さら大切だったと気づくもののことを、筆者が勝手にそう名付けた。

絵と文:太田伸志(おおたしんじ)
1977年、丸森町生まれ。クリエイティブカンパニーSteve* inc. 代表取締役社長。東北芸術工科大学 講師。2023年から丸森町のクリエイティブディレクターに就任。作家でもあり唎酒師(ききざけし)でもある。




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