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001 : 『QOL』という言葉

私は20年近くトレーニングを本気で続けてる。2022年一念発起をしパーソナルトレーナーの資格取得、数十人を超える受講生の中奇跡的に合格、受かったのはたった3名であった、狭き門を無事通過した後は本業のサラリーマンをしながら順調にクライアントを獲得している。
7ヶ月と言う短い勉強期間中は、まさにメンヘラになりながら死に物狂いで勉強していた、そんな最中に出会った言葉『QOL』
直訳すると『人生の質』

『クライアントのQOLを上げる』のもパーソナルトレーナーの重要な仕事の一つである、、、らしい。
この言葉と出会った瞬間から、良い言葉だなぁと感じると同時に、妙な違和感も感じた。
QOLと出会ってその意味を理解した瞬間から、QOLの向上を多少なりとも意識するからなのか、現在のQOLを『もしかしたらそこ迄悪くないにせよ、これから上げていかなければいけない物』などと知った直後からスタート地点として低くQOLを設定し、『これから向上させるべき物』と無意識に認識したからだ。

I don't know my "QOL" is good or not…

結論から言うとQOLとは、その言葉を知らずに、もしくは意識せずに既に幸せだったらもはや知る必要の無い言葉だ。知って意識した時点でQOLは下がる人もいる。
人生の質なので、受け止め方は人それぞれだ。
歯が痛いだけでもQOLは下がるし、太っていると言うコンプレックも同じ。
現在の仕事に不満を抱えている場合は、もっと深刻かもしれない。転職は早目にした方が良いかもしれない。
など。

人間とは元来アナログ的な存在だが、物事を理解する上で、フレームワークやロジックツリーなどを駆使し、デジタル的に区別・細分化し、思考や感情にまで再現性を高めようとする奇特な生き物だと思う。
自己啓発はこの手のやり方で思考・感情のコントロールを目的としている。

他と比べ、自分の劣っている部分を認識した途端『不幸』になる。QOLの下落だ。
フレームワークやロジックツリーなどが好きなビジネスマンは、このQOL下落の後、家に帰ってからロジックツリーを作り、『どうすればあいつに勝てるのか、蹴落とせるのか。』『次会った時は見下してやる』となる為に必要な要素をエクセルや、ロジックツリー作成ソフトなどを駆使して、延々と書き出すかもしれない。
側から見たら非常に下らないと感じてしまう。
この様な事を繰り返してはQOLは絶対に上がらないだろうし上がり辛いだろうと思ってしまう。と言うのが一般的な見解かなと考える。
自分もこの文章を書きながら、他を羨ましいと思いどうやって倒し追い越すかだけを考えモチベーションとしている様は、無駄な時間とエネルギー消費と脊髄反射的に考えてしまっている。

だが視点を動かし、本人の目線に立って考えてみた時、本人は戦略を立てている事に希望を見出し、脳からドーパミンやらアドレナリンが分泌され恍惚となり幸せを感じているかもしれないと仮説も立てられる。

幸せは人それぞれ感じ方が違うのだ。

以前、攻殻機動隊大好き仲間4~5人で酒を飲みながらこんな話をした事を思い出す。
「昔NHKの教育番組で10代の男女グループがディベートをする番組があって、好きでよく見ていたんだけど、そのグループの中のとある男の子は、非常に頭が良くイニシアチブを取っていて、ある日こんな事を議題として投げかけてたんだよね。
『例えば、日光東照宮に行った事がないけども、物凄く日光東照宮の事を勉強して勉強して勉強しまくって、物凄い量の知識を得続けた果ては、それは日光東照宮に行った事なるよね?』
いやマジてバカだよねこいつ、これはただ『物凄く日光東照宮の勉強をした』だけで、『日光東照宮には行ってない』よね。」

簡単な話で共感を得てその場は終わる筈だったが、その友達は

「いや、その人が本気で『行った』と思ったら行ってるんだよ、100%そう信じきってたら経験になるんだよ。」

攻殻機動隊の電脳の話も持ち出し、経験や幸せは個人の尺度だから、その人が勉強し尽くして、日光東照宮を勉強した事が、ある日実際に行ったと言う経験になり得たら、それはその人は行ったと言う『経験』になると言うお話し。

愕然としたと言うか、あまりにも予想していない角度からの反撃に対して唖然とし、次第にムキになり、やがて口論にまでなった。
『電脳とか訳わからんし!』

当時の自分は、国や一般的道徳心から植え付けられた『幸せの雛形』を信じていただけだったと今は考えられる様になった。

別の話で、記憶は作られ歪めらる事もあると言うことだ、詳細は割愛するが1974年ロフタスとパーマーの実験や2005年マーティン・コンウェイの実験などが有名らしく、内容としては他者の情報や環境によって、個人の記憶が歪むことがあるとのこと。
ある人からしてみれば、経験していないことがあった事になる場合もあり得ると言うお話し。

何度も言うが幸せの形は人それぞれ違う、育って来た家庭環境や友人関係などで大きく変わる。
その人の幸せはその人だけにしか分からないのであり、他人がどうこう言うものではないと言う事。

実際に物事を勉強し『知る』と言う事は大切であるが、反面頭が良くなると言う事はそれだけネガティヴな側面を知り、予防するか逃げるかの選択を強いられる場面も知識とともに増えると考察する。
『QOL』という新しい単語を知る時のタイミングも大切なのではないのかと考える。
明らかに人生の質が上向きな時に知りたい言葉ではなかろうか。

リタイヤ予備軍の様に人生終盤を目の前にしている人間に対して、「QOL上げて行きましょう!』はもしかしたら空気の読めない人間にしか言えない言葉なのかもしれないと今は考えるようになった。
なのでクライアントへは、目標を達成して卒業と言う成功体験を得た上で使う事にしている。

私には『QOL』という言葉は『あなたの人生の質はどうですか?』と問われているみたいで、なんとなくお節介な言葉に聞こえてしまうのだ。

皆さんはQOLと聞いて、今のあなたの『QOL』は下がりますか?上がりますか?それとも全く問題はないですか?

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