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看取り~介護と死別を通して得られた家族の絆とは~(5)

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3月11日(木)
手術当日。今日は仕事を休んだ。手術の簡単な説明をしてるとき、「出血が多いときは・・」と先生が仰ると、お父さんは、「そのときは哲也の血をもらうから大丈夫」と言った。すると先生が、「昔はそうして家族のかたから輸血してましたが、今では輸血用の血がありますので、それを使います。」と仰った。血ぐらいならいくらでもあげるよ、と言いたかったが黙って説明を受けた。職場にご主人のガンを介護してるかたがいらして、よくお話しをさせていただいたのだが、手術のときは他の臓器に転移がないか丁寧に見て、切除するので7時間、8時間かかるが、転移が広いとおなかを切ってすぐに縫うので、1時間くらいしかかからない、と聞いていたので、手術が始まって1時間はものすごい緊張した。カトリックにはロザリオの祈りというものがあるが、術中ずっとロザリオを唱えていた。手術から1時間たったころ、手術がうまくのではないかとホットした。ところが1時間半くらいしてお父さんが病室に戻ってきたので、僕は青ざめてしまった。お父さんは麻酔でぼーっとした感じで近くの先生に向かって「ずいぶん早く終わったね」と言った。にいた先生に恐るおそる「切れたんでしょうか?」と尋ねると、「私は麻酔医なので、外科の先生に(聞いてください)」と言われたが、外科の先生には怖くて来てなかった・しばらくすると、Y先生から別室に呼ばれた。そして転移がひどくて胃はとれなかったこと、そしてこれから食事ができなくなってくるだろうから胃ろうを埋め込んだこと、それと腹腔内に抗がん剤を流せるようにポートというものを埋め込んだという説明を受けた。これからは抗がん剤治療となるようだった。僕は打ちのめされてしまった。しかし、お父さんはもっとつらいはず。なんとしても元気づけないと、と思った。
 
3月12日(金)
 
見舞いに行くとお父さんは水枕をしていて相当辛そうだった。もっと長くそばにいたかったのだが、辛そうなので早めに切り上げて帰った。熱が39度近くあった。お父さんは健康でこんな高熱を出したことがないので、とても心配だった。
手術の結果説明をまだ受けていないようだったが、ガンが切除できなかったことをお父さんが知ったらどれほどがっかりするだろうかと思った。しかしいつまでも黙ってられないこともわかっていた。
 
3月15日(月)
 
胃ろうが開始された。エンシュアリキッドという白色の液体を使うことになった。
熱は下がって、父の調子もよくなってきたようだった。見舞いに行くとお父さんが僕に話かけてきた。「(ガンが)取れなかったんだってよ。」ああ、とうとう知られてしまったんだ、どれだけ落ち込んでしまったろうか、とひやひやしたが、お父さんの表情はすっきりしていた。ここら辺ののお父さんの心境はよく分からないが、一番怖かった手術が終わったので一安心といったところなのだろうか?

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