マガジンのカバー画像

親の介護は突然やってくる(要介護4の父と要介護5の母)

95
突然訪れた親の介護。いつか「やっと終わりました!」って投稿が出来るまで。
運営しているクリエイター

#家族

仕事が滞る

父の様子がいよいよという体制に入り、どうもこうにも生活が落ち着かない。仕事も集中力に欠けるし、何をすべきか全く思いつかない。ふと気づいて「親父の写真探しておいた方がいいよね」なんてLINEを姉に飛ばしたりしているうちに一日が終わる。 今抱えている仕事は大きく3件。それぞれの責任者や担当者へ今の状況を連絡した。幸いとても暖かい言葉と共に「家族との時間を大切にしてください」と不思議と同じ言葉が返ってきた。とてもありがたいと思う一方で、出来れば仕事を完了させたいとパソコンに向かう

生活とお金と未来と

父との別れが迫っている反面、お金のことを考えなければならない現実とのギャップで気持ちは白けている。 母の介護入院費用だけでも赤だったので、姉と一緒に仕送りを行っていた。仕送り自体は微々たるものだけれども、重なる細かな出費の建替えなども含めれば共にそれぞれの家庭の生活費くらいに上る。更に言えば実家に通う交通費と、その間は仕事を休むことになるので減収という現実がある。 結果として貯金の切り崩しとなるのだけれど、正直なところカツカツな状態になってしまった。 その上で、今回の父

会わせたい人が居たら声をかけてあげてください。

医師から伝えられた言葉は残された時間の少なさを表していた。長くて1ヶ月と言っていたけれど、たぶん1週間程度というのが現実なのではないのだろうか。 父の交友関係はわからなくて、父の弟妹へその旨を伝えるのが精一杯だった。本当に父の会いたい相手が誰なのかはわからない。ただ数時間かけて見舞いに来てリハビリに付き添っていた弟や、なにかと顔を見せていた妹との会話は次に会うのが最後なのかもしれない。 母はどうなのだろう。ふと思う時もあるのだけど今この状況で母と会うのが良いのかはわからな

その日が迫ってきた

今日も担当医に呼ばれ病院へ。たまたま妻も時間が合ったので一緒に向かった。妻が親父と会うのは何ヶ月ぶりだろう?というくらいぶり。やせ細った姿に驚きもあった様子。 父の肺がんは脳へ転移していた。 大きなもので3センチ程の影が前頭葉部分に見える。1センチくらいのものも複数、その他小さなモノも多々ありそう。とにかく複数多発している。前頭葉部分には気力に関わる機能もあるそうで、やる気の無さはこうしたモノも原因だったのかもしれない。との話もあった。 結果的に抗がん剤は効いていなかった

ケアマネさんからの連絡

海外出張している時に僕宛に連絡をくれていたらしいのだけど、運悪く海外のsimを使っていたから番号が変わりつながらなかった。帰国と同時に日本のsimに変えたら鬼電状態の着信履歴。 こちらから連絡しようかなと思っていたら、すかさず先方から連絡が入った。 開口一番「あぁ!良かった」と。どうやら介護疲れで連絡拒否してしまったのでは?と悪い方向へ心配してしまったらしい。初回の連絡が出張初日だから、約1週間連絡もつかず折返しもなしなら仕方ないのかも。 連絡の内容は要介護認定の更新申請

いろいろな事がぐるぐると

「そろそろ退院を目処に」と言われていた肺がん治療中の父の様子が変わったのは先々週。見舞いに行くと病室入り口のネームプレートに名前がなく、オロオロとする僕に病院のスタッフさんが「HCUに移りましたよ」と慌ただしく伝えてきた。 肺炎の発症。嘔吐物が気管に入ったことが原因ではないかとのこと。たぶんむせることが出来ず肺に至ってしまったのではと推測。嘔吐についても見回りの看護師によって気づいてもらった。 肺の機能の3/4が機能していないことを伝えられ、「大変頑張られました」と話を聞

自分たちの時間を大切にすることにした話

母の兄、僕らの伯父が亡くなって姉弟でお通夜へ。親二人が入院中となるとこんなこともあるのだなと。母は実兄の葬儀に立ち会えないことはどう感じるのだろう。亡くなったことは理解しているのだろうか。 祭壇にならぶ花の中に当然兄弟の花がある。「親父か母の名前で花を贈らなくてよかったのかな?」とそんな景色を眺めながら姉に聞けば「まぁ仕方ないんじゃないかな」と。段取り的なこともある中で、僕らに配慮してくれた結果なのだろうけれど、ちょっぴり後悔もした。 行き来の道中で久々に話をした。そこで

意識が朦朧としていた

父の様子があまり良い様に見えないと姉からLINEが入った。少し心配もあったけれど、危篤とは遠い状況と思いスケジュール通りに見舞いにいった。 いつもはこちらから話しかけない限り何も言わないのだけれども、今回ばかりは「調子が良くない」と僕の顔を見るなり父は言ってきた。 食事は通常通りの様子だけれども、点滴が追加されていた。熱も40度近くある様子で、今は一旦下がってそれでも38度前後という。鼻の下のチューブからは酸素がほんのりと出続けている。 がん治療の計画も止まったままで、

父への腹立たしさ

最近父に対してイラつくことが多い。僕自身が鬱症状ってことも少し自覚しているんだけど、その原因を色々と考えている。 たぶん「父の認識が甘いから」なのではないだろうか。 僕は仕事柄、常にバックアップを考えている。クリエイティブは細かなミスで取り返しのつかなくなることが多い。また、大きな予算と多数の人が関わるから、それぞれにかかる責任も重い。 とはいえ、事故は起きる。その時に回避策としてのバックアップをどう残すかを常に考える癖がついている。データだけの問題ではない。晴れた日の

父、手術予定となる

胆嚢炎と判断された膿は抗生物質でも完全に引かず、外科手術にて胆嚢自体を取り除くこととなりました。今週中に準備と検査、来週月曜日に術の予定。 一番気がかりなのは体力の消耗。腸を切ってつなげる程の負担ではない。という見方もある。ただどの程度耐えられるのかは未知数。原因が癌の転移として、腸との癒着があれば手術は一段と難しくはなる。 更に言えば、回復も含めた入院の期間延長によって、普段の生活に戻れなくなる可能性が高まること。今は入院しているものの、父は実家での一人暮らし。母は病院

俺、なんでこんなに疲労してるんだろ。

そう思うことがある。たぶん選択の誤り。 休日は釣りかパチンコ。平日は早朝から出勤するサラリーマンの父との思い出はあまりなくて、突然の入院からの肺癌告知、余命告知を受けて、なにか思い出を作りたいと思った気持ちが大きいのかもしれない。 定年してからの父との会話はそこそこ増えたけれど、今は更に増えた。10分以上話すことの無かった生活から、1時間近く話をしていることもある。すっとぼけてるところもあるけれど、人間らしさが面白い人だと思う。 「あと半年」と思って頑張り過ぎたよね。

家族にとって一番負担なこと

トイレの世話も、本人が病院や施設に居る限り家族に負担は無い。家族だからこそ手を出しにくい仕事もある。この点はとても感謝している。そうしたメンタル的な負荷の大きな仕事から開放されていても尚、体力的にも気力的にも疲れ果てている自分がいる。 水曜日に家に届いている書類などを確認し、簡易な掃除をした上で、病院へ様子を見に行って1時間弱過ごす。 父からの要望と病院からの連絡などはLINEで姉と共有。父に欲しいモノがあれば、病院の近所で買い物も済ませる。 淡々とこなせば大した仕事じゃ

病気はタスクがあるから生きがいになる

父の気持ちが少し分かったかもしれない。もしかすると「ゲーム」してるんじゃないかな。それは良い解釈では無い方で。 目的も楽しみも無い中で、治療をタスクとして受けているフシがある。けして前向きな考え方ではなく、タスクを受けることでそれをクリアさせる。だから「生きること」を目的にしちゃって、完治というゴールには何も無いパターン。ただし、そこまで見えていない。 治療というタスクを持つことで、様々な社会との接点もある。病院の担当医や看護師、細々としたサポートをしてくれるスタッフの方

担当医の話

『今回の入院となった腹痛は胆嚢付近にある膿が原因とみられる。以前も胆嚢が炎症起こした事があるので、胆嚢自体が傷ついているかもしれない。』 『抗生物質で膿は減少。痛みも引いているようだけれど、トリガーとなる原因はまだ分からない。検査を進めて治療計画を考えましょう。』 『オプジーボの副作用とは考えにくいので、腹痛の原因と対策さえ決まれば、オプジーボの再開を期待できる。』 という事で、令和と共に始まった父の入院生活も、もう少し長引きそうだ。本人は痛みが引いた事でだいぶ気持ちは