自分たちの時間を大切にすることにした話

母の兄、僕らの伯父が亡くなって姉弟でお通夜へ。親二人が入院中となるとこんなこともあるのだなと。母は実兄の葬儀に立ち会えないことはどう感じるのだろう。亡くなったことは理解しているのだろうか。

祭壇にならぶ花の中に当然兄弟の花がある。「親父か母の名前で花を贈らなくてよかったのかな?」とそんな景色を眺めながら姉に聞けば「まぁ仕方ないんじゃないかな」と。段取り的なこともある中で、僕らに配慮してくれた結果なのだろうけれど、ちょっぴり後悔もした。

行き来の道中で久々に話をした。そこで共通したのは自分たちの生活のこと。

父が余命半年と言われ入院してから僕らは出来る限り時間を父に費やした。あと何日生きられるか?という状況も迎えたりもしたけれど、結果的には一年経った今でも生きている。だいぶくたびれているけれども。

「あと何日生きられるのか」このことばかりを気にして、空いている時間は実家に通ったり、父の都合で通院のために時間を作ったり。色々振り回された形でもあるけれど全ては善意として。だから恨みは無いのだけれど、物凄く疲れてきた。

姉は息子の大学受験も重なり、更にバタついた時間を過ごした。母の入院に関しての手続きなども、父から姉に変わりすべての窓口になっている。

「旅行に行こうと思うんだ」そう話す姉に「良いんじゃない」と応える。僕は僕で「しばらくは仕事を優先させたいから実家や病院へ顔出すのも不定期になる」と話して「良いんじゃない」と姉も応える。

僕らの生活の中で半分くらいのウエイトがあった両親の入院。要介護認定。突然呼び出されたりもあったけれど、いつまで続くか終わりが見えなくなってきたのだ。だから無理はしない、一番は自分たちの生活を大切にしよう。それが僕ら姉弟で考えは同じだった。

若干親を見捨てた感覚もあるけれど、申し訳ないが親も自分の人生を歩んでもらいたい。僕らにも僕らの人生があるのだから。見捨てたのではなく、自立なのだと思う。

頂いたお金は両親の病院へ通う交通費などに活用させて頂いております。感謝いたします。