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俺、なんでこんなに疲労してるんだろ。

そう思うことがある。たぶん選択の誤り。
休日は釣りかパチンコ。平日は早朝から出勤するサラリーマンの父との思い出はあまりなくて、突然の入院からの肺癌告知、余命告知を受けて、なにか思い出を作りたいと思った気持ちが大きいのかもしれない。

定年してからの父との会話はそこそこ増えたけれど、今は更に増えた。10分以上話すことの無かった生活から、1時間近く話をしていることもある。すっとぼけてるところもあるけれど、人間らしさが面白い人だと思う。

「あと半年」と思って頑張り過ぎたよね。

寄り添おうという気持ちに頑張りすぎて、思ったより疲れちゃったかな。入院から数ヶ月で「明日にも、わかりません」という状況を迎えたことがある。この時は腸から大量出血し、失血死一歩手前という状態になった。腸自体が弱っている為、出血しているポイントを絞れず(というか、細かく複数出血していた)、また手術も耐えられないということで「次の輸血は行いません」という選択の後に奇跡的に回復した。それから数ヶ月。

父の死を覚悟することが、この8ヶ月の間に数回あった。それも僕自身を頑張らせてしまったのだと思う。抜け出すタイミングを完全に失った。

短期間であれば自分の生活の時間を奪われても文句はない、なのに、いつまで続くかわからないターンに入ってしまっている。こうなると「手を抜いたタイミングで死なれたら後悔する」と、いつまでも抜け出せない魔のターン。ここまで頑張ったんだから、と思ってしまうタイミングでもあるよね。

本来は「親もひとりの人として」好きな人生を歩めば良くて、それにいちいち口出しする必要はない。自宅へ帰る選択をして、事故で野垂れ死んだとしても、それはそれで選択した人生。尊重すべきはずなんだ。

それが出来ないんだよね。気になってしまう。そして姿を見れば、記憶の中と大きく変わった父に落ち込む。

医療の発達は「死を遅らせる」ことは出来ていると思う。それは患者それぞれの体力や気力に合せて。完治して元の生活に戻るには、気力体力は必要。それがなければ、病気とはまた異なる部分が衰えたまま復帰させることが難しくなる。そもそも死の近い老人なんて、出来ることが減ってる。なのに普段と同じ生活に戻ろうとして失敗をする。ほんと免許更新しないでくれて良かった。

本当に疲れたよ。

頂いたお金は両親の病院へ通う交通費などに活用させて頂いております。感謝いたします。