意識が朦朧としていた

父の様子があまり良い様に見えないと姉からLINEが入った。少し心配もあったけれど、危篤とは遠い状況と思いスケジュール通りに見舞いにいった。

いつもはこちらから話しかけない限り何も言わないのだけれども、今回ばかりは「調子が良くない」と僕の顔を見るなり父は言ってきた。

食事は通常通りの様子だけれども、点滴が追加されていた。熱も40度近くある様子で、今は一旦下がってそれでも38度前後という。鼻の下のチューブからは酸素がほんのりと出続けている。

がん治療の計画も止まったままで、胆嚢の摘出手術からの回復が良くない。体力的にも、ガンの進行からも外科手術は難しいだろうという医師の話とは裏腹に、父本人が依頼した外科手術。本人曰く、可能性にはすべて賭けたいという感覚らしい。
家族としては残りの生活のクオリティを上げるとかして欲しく、無駄な博打みたいな選択はあまり自分にとっても良い選択になりにくい点は理解してほしいのだけど。それも含めて本人の人生。

いや、父を見ていても賭けに勝ったとして、自立した生活に戻ったとしても、なにもする事がないんだよね。やり残したことがあるとか、何かをしたいということはなくて、何もする気がない。

だからこそ残りの人生を充実させるという選択はなくて、よくわからない選択肢で賭けみたいなのを楽しんでいる。親とはいえ他人と思っているけれど、この関連した考え方についてだけは全く同意も理解もし難い。

花がキレイだなとか、美味しいものを食べるとか、本を読むとか、家を整理するとか。充実度上げる生き方あると思うんだよ。

人は死ぬ寸前まで知識を得るべきだし、知識を得ることで喜びもある。ひらめきもあるし、感情も変わる。
美しきものを感じ、五感を震わせ、新たな知識を得る。それこそが人間なのではないのか。

病院に横たわる老人の多くが、「人」であること、文化を持つことを忘れてしまっているのではないか?と思う瞬間がある。

頂いたお金は両親の病院へ通う交通費などに活用させて頂いております。感謝いたします。