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親の介護は突然やってくる(要介護4の父と要介護5の母)

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突然訪れた親の介護。いつか「やっと終わりました!」って投稿が出来るまで。
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#末期がん

父と過ごす時間

父の余命宣告を聞いた時は、駐車場の自分のクルマに戻って一人きりになった時に涙がこぼれた。去年の8月27日。でも父の記憶では「1年が経った。去年の6月だから」と。 それはただの記憶違いかもしれないけれど、本人の自覚症状だったり病院への診察だったりが、その頃だったのかもって思ったりもした。深くは問わなかった。 「何もすることがない」と父はベットで話した。 喉が乾いたからと、コーラとトマトジュースを買ってくる様に言われ、病院の中に入っているコンビニで購入する。父は僕が戻ると「飲

判断力の鈍り

日々のToDoをこなす上で優先順位の判断や、量の把握は重要。特に仕事絡みならば、時間の使い方含めてお金に換算とつながる。 それなりのボリュームをこなすなら、心身の健康が基本となるよね。 母の存在はどこかで諦めてることもあって、ある程度の割り切りも可能なのだけれども、まだまだ諦めない父のことは僕を悩ませる存在でもある。 どこかで割り切って仕事を優先させた時に後悔しそうで、できる限り付き添ったり手伝いをしたりしたくなるのです。それは余命宣告の時期を過ぎたからということもあるし

安楽死という選択

NHKの番組「彼女は安楽死を選んだ」を見た。 安楽死を選ぶべきではないという意見も分かる。生まれたからには生きる権利がある。死ぬまでは生きる。誰かに迷惑をかけず生きることなど出来ないのだから。だったらとことん生きる。 それは「生きる力」の強い人の声だと思った。死ぬまで何かをやってやろうと思う気持ちがある人の声。表現者だ。 一方で安楽死は良い選択肢だと僕は思った。 大好きな人と一緒に過ごす最後の晩餐があるなんて幸せじゃないかと。コンディションがまだ保てる段階で大切な時間を

衰えゆく親を世話するストレス

母の要介護認定を知ってから、ツイッターやブログに感情を書きなぐって来たのだけれども、今読み返して驚いている。ずっとストレスだったんだ。想像以上に。 今はそのストレスがデフォルト状態なので、精神的に健全な時も心の底にはドロドロとしたストレスが溜まっている。これらが無かった状態のブログを見ることで、晴れやかだった過去の自分を知る衝撃。 親の死に立会い、「良かったね。本当に良かった」と涙を流しながら喜び、目を覚まして夢だと知る。そして現実には親が生きている事を知り、一気に気持ち

これは医療と家族との戦いなんだ

今日は父の見舞いへ。酸素が繋がれているとエアの音が騒々しい。開口一番で「少し動くと苦しいんだよ」とのこと。会話をしていても体内の酸素量が減り息苦しさを感じるという。部屋の中にあるトイレへの移動も辛いみたいで、ベットの上での介助をしてもらっているとのこと。 人間が寿命を全うしようとしている姿も一瞬ちらつく中で、医療はベットの上の人間を生かそうとする。無駄な延命措置は事前に断っているとはいえ、様々な薬や適切な対処により、死までの時間を無理やり延ばされている様に感じる。 徐々に衰

ノータイトル

昨夜眠れなくて、今抱えている状況を整理したいとグルグル考えてた。いつか清書したいなと思いながら、このnote.に書きなぐっているのもストレスからだし。 一枚一枚玉ねぎの皮を剥ぐように、自分が嫌だと感じるポイントとか振り返る。 母が自宅介護となった頃から気持ちが揺らぎだしたかも。思うようにならないことから、父の苛立ちが見えはじめて、ちょっと強い口調での会話も聞こえる様になった。 そもそも父と母は仲良くなくて、価値観も異なる。離婚をしないのは惰性だったのだろう。どちらかと言え

念仏は誰のために

祖父母の法事に行ってきた。お坊さんの唱えるありがたい念仏を聞きながら「相変わらず難しい言葉ばかりだな」と。そんな感想しかない。 もしも僕が死んで霊になった時に、しみじみとありがたいモノとして聞こえてくるのだろうか?突然意味が分かったり、聞き取れたりするものなのだろうか? もしも僕が化けて「うらめしや〜」と柳の木の下に出た時には、この呪文みたいなものを聞くことで成仏しちゃったりするのだろうか。成仏って自己申告制なのか、誰かの許可制なのか。念仏は誰のためのものなのか。 祖父

知らない自分が現れるとき

音楽を聞くと涙がこぼれる。なにかきまった曲ということではなく、歌詞に意識を寄せた途端にぐあーっとこみ上げてくるモノがあって、そして涙が止まらなくなる。 疲れてる。たぶん。 自分を押し付けている、我慢している気持ちが開放される瞬間がそれなのだろう。涙を流しながら泣いている意味がわからない。 そんなに辛いのだろうかと、今の状況を考えてみたりもするけれど、それほどではない気もしている。

老人にかかる国の費用

国民の生活を充実させるモノに国が色々な費用をかけている。インフラ周りから文化面、どこも「まだ足りていない」と言う声も聞こえるけれども、なんだかんだとその国で生活する人たちの生活には、何らかのお金が動いている。その資金源は税金だ。 税金は出来る限り平等に取られ、そして平等に使われるのが理想だろう。難しいことは分からないけれども、国が運営されていく中で長期的に見れば案外バランスは取れているのかもしれない。 ─ ふと「先日の父の病院代が6万円くらいだった」と思いだした。これは

両親を信頼していない自分に気づいた日

今日は父の病院へ。昨夜あたりから腹部が痛むとのこと。それが切った箇所なのか内蔵なのかは分からず。言葉少ない。 姉によると最近父の機嫌が悪いらしい。どうも体調がすぐれないことが原因とのこと。この辺りは誰もがそうかもね。機嫌が悪いと風邪ひいていたりする。僕もそう。 食事制限が解かれ、経口食となったから首に刺さる痛々しい点滴は外れた。ただ酸素のチューブだけは鼻の下に残る。僕が行った時は止めてあったけれども、たぶん頻繁に必要となる感じなのだろう。同時に肺機能の低下を意味している。

長期入院の課題

高齢になってからの医療費については保険のCMで煽られているけれども、1割負担となる現実として、実際の請求書などを見ればその心配は不必要ということが分かる。 ただ、残りの9割が現役世代の税負担と考えるとモヤモヤする気持ちは相変わらず。 さて、現役世代が背負う見返りとして何か良いことがあるのだろうか。 国としては老人を見殺しに出来ないという人道的なモラルでしかないのだろうけれど、姥捨て山とは言わずとも延命治療は禁止にしてもいいと思う。死ねずに苦しむ人を見る家族も、必ずしも全員

これは介護なのだろうか。

母は相変わらず病院に入院中。父も令和初日から病院暮らしとなっている。事実上全ての対応はどちらとも病院に任せきりなので、僕らの役割はない。 週に一度家の窓を開けて空気の入れ替えと、一通り水回りを使うことと、病院へのお見舞いくらいが僕のしていること。これは介護なのか。 捉え方の問題ではあるのだけれども、「弱り行く親の姿を見る」ことでの心理的な負担はあるものの体力的な負担はまずない。実家への往復も仕事を兼ねた移動でもあるので、特別に行っている気持ちも少ない。(実家近くに仕事を作

命の価値に差はある

誰にとっても命は平等であり、奪われてはならないモノ。それは倫理としての基本であって、疑うことはない。ただ、今考えるならば命の価値は不平等であるものと思う。 病室に横たわる余命いくばくの老人の命に価値があるとするならば、それはとても小さなものだ。 「生きているだけで価値がある」という言葉の指す価値に差を感じただけのこと。他人の命に価値に対しては、誰であっても判断出来るものでもないのだけれども。 機器に繋がれ生命反応がある老人。全快した後に目的を見失う。強いて言うなれば「誰

永遠に続く様に見える地獄

もやもやした気持ちがずっと続いていることが一番の負担なのかもしれない。「危ない」→「ご臨終」となる「→」を永遠に過ごしている気持ち。退院すれども健康状態に戻ったわけではなく、自宅でも生活出来るレベルになっただけ。病気は消えることはなく、確実に身体を蝕んでいるのははっきりわかる。 本人がどれだけ意識しているのか分からないけれども、近くで見ている姉や僕には、その変化が明確に分かる。診察時に見せてもらうレントゲンやCTの画像でも進行ははっきりとしている。 病気になった人間は早く