ノータイトル

昨夜眠れなくて、今抱えている状況を整理したいとグルグル考えてた。いつか清書したいなと思いながら、このnote.に書きなぐっているのもストレスからだし。

一枚一枚玉ねぎの皮を剥ぐように、自分が嫌だと感じるポイントとか振り返る。

母が自宅介護となった頃から気持ちが揺らぎだしたかも。思うようにならないことから、父の苛立ちが見えはじめて、ちょっと強い口調での会話も聞こえる様になった。
そもそも父と母は仲良くなくて、価値観も異なる。離婚をしないのは惰性だったのだろう。どちらかと言えば、母の父に対する愚痴は子供の頃から聞かされてきた。その関係で介護される側も気分は良くはないだろう。

父はといえば、母に対して基本無関心だったけれど、介護というか世話をするのが生きがいになったパターン。それは退職後に日々のやることを失ったから、ルーティン作業が欲しかったのだと思う。また、母の介護を通して様々な人との交流があった。病院や介護施設などで、スタッフや同じ家族の立場の方々など、そうした新しい出会いも楽しかったのだと思う。
言い方は悪いけれど、ペットを飼って公園で知り合いが増えるのと近い感覚を体験していたのだと思う。

昭和40年代のお見合い結婚。誰かしらのお世話によって、適齢期の男女がお見合いをしていた時代。離婚も恥じることで、様々な諦めみたいな詰め合わせのドロドロした家庭も少なくなかったのでは。長男の家に入るのも当たり前であって、嫁姑問題も子どもに火花が降りかかることが多かった。
とはいえ、今になって振り返ると祖父母は常識的な人で、母の方が偏見が強かった様に思う。ただ子どもにとっては母の方が正しいとされるので、祖父母の悪口ばかりを聞かされて育った。

祖母は料理が得意で知識も豊富。あれだけの知識と経験がどこから得たのか、興味と好奇心の賜物だろう。新しい食材も見かければチャレンジするし、調味料も色々と試す人だった。本や新聞などのメディアや、人づての情報に加えて研究も貪欲にしていたと思う。
そんな祖母の料理が僕は好きだった。けれど、それをつまむ事を母は良く思わなかった。「それは祖父母の食事だから取っちゃダメ」と家族で囲む食卓で言われることもしばしば。祖母は残念そうな顔を見せたが、そんな母に対して反論を見せない人だった。

こうした出来事も客観的に見れる様になったのは実は最近のこと。僕自身も結婚することで、近くに異なる価値観が入り、ようやく自分が間違っていたことを知ったりする。閉じた世界の怖さを知った。

大学に入る頃から家で過ごす時間は減り、卒業後1年くらいは実家暮らしをしたけれど、なんの前触れもなく家を出た。実家に未練は無かった。好きじゃなかったんだよね。

祖父母は亡くなり、父と母の二人暮らしになったのは8年前くらいか。会話も必要最低限だった気がする。一緒に何かするとかあったのかな。全く記憶にない。

父はコミュニケーションが下手だけど、人と関わることは嫌いじゃない。むしろ誰かとの会話や交流は好きな方だと思う。基本的には正直な人間で、コミュニケーションが下手というより不器用なのだと思う。
子どもに対しても距離感を悩むタイプで、どこか「自分は親だから」とリードしたがる面も見える。今の状況ではこれが厄介だ。

今の病状を自身で正確に把握し、その上での治療に臨む。治療するからには退院が目標であり、退院してからの生活についても「自分が望む生活」「自分で出来ること、出来ないこと」それらを認識した上で、使えるサービスはあるのか、家族(姉と僕)の役割はどうするのか。そこを共有したいと僕は思っている。
でも、今の病状を自身で正確に把握出来ているのかさえ分からない。5/1の救急車に乗った際「ステージⅣ」と隊員に伝える姉の声に「そうなのか?」と返したのは父自身だった。繰り返すけれど、僕らが診断結果を聞く時に父が同席しなかった事はない。治療計画のことも同じく。
ただ、父だけが診断結果や治療計画を聞くこともある。その際には僕らへの共有が曖昧になる。最近は医師もそれを把握していて、必ず僕らの居る時に伝えることをしてくれている。

僕は自分の生活、自分のリズムを乱されるのは嫌いなのだけど、目的地さえ共有してもらえれば、突発的なハプニングに対しては動きはとれる。
目的地、つまり父の直近の目標が共有されないこと、事態の把握が甘いこと、そして全てを自身で解決できると思っている点が僕の不安。
その不安こそがストレスとなっている。

もちろん、週に1度顔を出す程度ながら毎度顔が変わる(癌の進行がある)親を見るのはとても辛い。精神的なダメージはむしろこちらの方。
落ち込んだ気持ちの上にストレスが加わることで、自分のリズムを崩しているのだと思う。

父の人生を後悔させたくない。ただ、思いや目標を共有されないことで力になれないもどかしさがある。
親であれ、他人の気持ちや価値観を変えることは出来ない。強制することも出来ない。これは反面教師であって、自分の身に降り掛かった時に取るべき行動を示している。

頂いたお金は両親の病院へ通う交通費などに活用させて頂いております。感謝いたします。