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これは介護なのだろうか。

母は相変わらず病院に入院中。父も令和初日から病院暮らしとなっている。事実上全ての対応はどちらとも病院に任せきりなので、僕らの役割はない。

週に一度家の窓を開けて空気の入れ替えと、一通り水回りを使うことと、病院へのお見舞いくらいが僕のしていること。これは介護なのか。

捉え方の問題ではあるのだけれども、「弱り行く親の姿を見る」ことでの心理的な負担はあるものの体力的な負担はまずない。実家への往復も仕事を兼ねた移動でもあるので、特別に行っている気持ちも少ない。(実家近くに仕事を作れて本当にラッキーだった。)

僕を悩ませるのは、その心理的な負担のみ。今現在は金銭的な負担もない。ただ、その唯一の負担が持つダメージはでかい。

思い出の中の親の姿とは大きく異なる上に、更に死へ近づく姿を目の前に本人を励ます行為は想像以上なもの。これを介護と呼ぶのかどうかは分からず。ただ、両親共に病院にいることは大変に助かっている。

酷い疲れも峠を越した感じもある。どこかでこの日常を割り切ってとらえはじめたのかもしれない。

家の中で社会から隔離された環境よりは、今は恵まれていると思う。

頂いたお金は両親の病院へ通う交通費などに活用させて頂いております。感謝いたします。