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両親を信頼していない自分に気づいた日

今日は父の病院へ。昨夜あたりから腹部が痛むとのこと。それが切った箇所なのか内蔵なのかは分からず。言葉少ない。

姉によると最近父の機嫌が悪いらしい。どうも体調がすぐれないことが原因とのこと。この辺りは誰もがそうかもね。機嫌が悪いと風邪ひいていたりする。僕もそう。

食事制限が解かれ、経口食となったから首に刺さる痛々しい点滴は外れた。ただ酸素のチューブだけは鼻の下に残る。僕が行った時は止めてあったけれども、たぶん頻繁に必要となる感じなのだろう。同時に肺機能の低下を意味している。

両親どちらの見舞いの時でも、分かりやすい言葉だったり前向きな言葉を意図的に選んでいる。単語も文章も短く、出来る限り優しい単語を選びながら。相手を不必要に刺激しない、ネガティブな気持ちにさせない様にという気持ちなのだけど、それは結果的に本音で向かい合っていないなと思った。
ただ、両親と本音で向かい合うことなどあったのだろうか。

子どもの頃、父との会話は日頃から少なかった。なんとなしに本音の言葉がこちらから出たとして、照れ隠しなのか適切な言葉が見つからないのか「なんだそんなこと。」と、意味の無い言葉で返されるか、聞こえないふりされる事が多かったと思う。

専業主婦だった母とは共にする時間も長かったから本音を吐く時があったけれども、やはり聞こえないふりされるか、母の意図にそぐわない思考は多くの場合否定された。
母が目指す目標に対して結果を出した時のみにほめられる昭和の典型的なスタイル。

子供の頃は親の影響を受けやすい。むしろ大人の存在が身近に少ない時代。ネットが無い時代には大人=親が正解であると思い込まされていた。
親が示すものが全て正しいし、子は身近な大人に認めてもらいたいが為に親が喜ぶことを繰り返す。子の承認欲求の先は親だけだった。

そのうち言葉が通じる都合の良いペットみたいな存在になっていく。親が子に自分が果たせなかった夢をかなえてもらう。そんな道筋。でも子は周りに比べる情報も無く、ただひたすらに親を信じるしかなかった。

小学校くらいまではそれで良かったけれど、中学くらいから同級生も自我が芽生え始め、結果的に色々な価値観と出会うことで親の意図とは異なる自分の意思や気持ちを抱く様になっていった。
そうした自分の意見に対して反応が無いばかりか、最悪の反応が返ってくることもあった。その都度、僕の価値観を否定された気持ちになった。

僕は子どもの頃からクルマが大好きで、30代の頃は手が届く範囲で好きなクルマを手に入れたりした。年老いたら運転が辛くなると思ったから。

小学校の頃から憧れていたブランドやそのものを1年置きくらいに色々と買った。でもそれを親に見せる事は無かった。
僕がようやく手に入れた夢を「つまらないもの」と否定されるだろうと思ったから。実際にどういった反応を示すかは分からないけれど、このエピソードは自分が親を信頼していないという事をわかりやすく示していると思う。

親に見せなかったものは多い。僕の喜びを一緒に楽しんだり、喜んだりしてくれないことを分かっていたから。それをされたら僕の喜びも最悪になる。たぶん親を今以上に嫌いにならない為に喜びを伝えなかったのだと思う。

仕事での結果もそう。どんなに楽しかったか嬉しかったかを伝えようとも、何一つ伝わることは無かった。テレビに出た喜び、ラジオで話した喜び、雑誌や新聞に載ったことも、嬉しさを共感してもらえない人とは喜べるはずがない。

そんな中で唯一喜んだ出来事があった。

普段僕は自営業というスタイルで広告をベースにした仕事をしている。プロジェクトが動けば曜日も時間も関係なく動く。気を抜けば数ヶ月は実家に帰ることもなくなる。仕事優先なのは、その時間が楽しいから。

だから母が要介護となった際に、なんとか定期的に実家に顔をだすきっかけを作りたいと考えた。たまたま運良く実家近くで講師の案件を受けることが出来た。今でもこの話を持ってきて頂いた方には感謝している。

そんな状況で両親は初めて嬉しそうに「息子は先生になった」と、病院で世話になっている看護師や介護士に話した。僕は先生ではないし、この講師業は本業ではない。
決して「先生」という職業を軽んじている訳ではなく、アルバイトの様な立場且つ本業の傍らで週一顔を出してるだけの講師が、先生を語るなどおこがましく思っている。そんな崇高な立場ではない。

ただ、親の年代は「先生」という言葉に弱い。「先生」と付けば立派であり社会に誇れる職業と思っている節がある。その価値観がとても悲しく思う。「息子は先生なんです」と。誰かに紹介する時に鼻高々に話す。とても恥ずかしいし、毎度僕の価値観を否定されている気持ちになる。

子は親を両親であるという事実は受け入れながらも、例え親であれども完璧な人などいないという事実とも向き合う。

いくら歳を重ねても人は完璧ではない。様々な価値観や意見意思に触れて成長していく。多くの視点を知って人は成長していく。

親に「人として完璧であること」を望む気持ちはなく、むしろ「親であっても完璧ではない部分がある」と素直に子どもに接するべきと思う。そうすることで、子も親を一人の人として尊重することだろう。
誰にでも誤ちがあることを知ることが大切で、それは親であっても子に教えられることは多いはず。経済的にも依存するしかないし、年齢的にも経験は少ないかもしれないけれども、同じ場に居ても異なるものを見ているのだから。

親も間違えることがある。それを子に示すことで、間違いを恥ずべきことでは無いことが理解できる。そして一緒に成長していくのが家族なのではないだろうか。

「老いては子に従え」は老人が社会人となった子から指図を受けるということではなく、自我が芽生えた子もひとりの人として接し、意見を正面から受け入れるということなのだと思う。

人は歳を重ねることで成長するのではなく、様々な価値観に触れて人は成長していく。触れることのない感情や思考には一生たどり付くことはないのだから。

両親は「完璧だ」と「間違いはない」という態度を今でも示す。

それがとても辛く恥ずかしい。昭和時代の「親」像はそうしたものだったのだと思うけれど、時代の問題にしたくはない。時代関係なく正しく接してきている親はある。そうした視野の狭さなども踏まえた上で、何度も否定されてきた経験から、両親共に僕は心全開に信頼することが出来ない。

だいぶねじれた関係なのだなと、言葉にして今分かった。
「あの親に育てられて、よく普通に育ったね」と妻にぼそっと言われたことが理解出来た気もする。

頂いたお金は両親の病院へ通う交通費などに活用させて頂いております。感謝いたします。