老人にかかる国の費用

国民の生活を充実させるモノに国が色々な費用をかけている。インフラ周りから文化面、どこも「まだ足りていない」と言う声も聞こえるけれども、なんだかんだとその国で生活する人たちの生活には、何らかのお金が動いている。その資金源は税金だ。

税金は出来る限り平等に取られ、そして平等に使われるのが理想だろう。難しいことは分からないけれども、国が運営されていく中で長期的に見れば案外バランスは取れているのかもしれない。

ふと「先日の父の病院代が6万円くらいだった」と思いだした。これは1週程度の入院とがん治療の1回目、様々な検査などが含まれているものと思う。で、父の負担は1割。ということは「54万円」を国が払ってるって計算になるのかな?だとすると恐ろしくないか。

病院が儲けているということではなく、設備の維持やオペレーターの給与、その他食事や清掃などのスタッフの人件費だけで見れば、病院のランニング費用は莫大なものとなる。夜間も動いている人材も含めれば、そこに文句は無い。

むしろ、視点として1人の老人が国が54万円を支払ってまで生かすメリットは何なのだろうかと。

老人の人口は膨らんでいる。病院内は高齢者ばかりだ。外科や婦人科、内科などでは若い人たちも見かけるけれども、老人達に埋もれている。

母は数十万の請求がある。全てが1割負担の対象なのかは分からないけれど、もし10万が対象だったとしても90万円を国が支払っている。生きているのかどうかさえ分からない、ただベットに横たわり続ける老人に対して。

年間で言えば1000万以上。もし支払額の全額が1割の対象だったとしたら、2000万以上。この現状は正常なのだろうか。

赤ちゃん1人に対する補助がどの程度まであるのかは分からない。未成年に対する補助なども知らない。だけど、1人当たり年間で1000万ということはあるのだろうか。実際に検索しても複雑でわかりにくい上に、地域で異なる状況も多々あるようだ。

老人にかかる費用を子どもに回せたら良いなとは思うけれど、それよりも本当にここまでお金をかけて生かす必要があるのかどうか。そこを考えたいって思う。

「お金が無いからもう死んでください」ではなく、緊急や最低限「本人の生きる力」に任せる医療はとれないのだろうか。どうも本人の生きる力が尽きてまで生き続けている人間が多い様に思う。

身内が無くなるのは悲しいけれど、生きている人間にとって死は避けられないもの。だからこそ生きている時間を充実させたいと願い活動している。
であれば「これが寿命だった」というボーダーはあるはず。そこを越えてまで生きさせることが本人のためとも思えない。自然の摂理にも反してはいないのだろうか。ここは道徳感が矛盾してくる。

不慮の事故も助からなければ寿命かもしれないけれど、発達した機器が生かし続けるのも寿命というのは誰の為の寿命なのだろうか。生きながらに地獄とはこれのことかもしれない。本人が望んでも言葉も発せられず、意思を伝えられないままに生かし続けられるのだから。

頂いたお金は両親の病院へ通う交通費などに活用させて頂いております。感謝いたします。